第17話 個室馬車の中で


 カウンターの内側で酒を呷っているのは、アデレートだった。


 窓の格子から差し込む闇は、すでに白み始めた朝の光に変わろうとしている。


 いくらなんでも遅い。

 何かあったとしか思えない。


 探しに行きたかったが、今にも帰ってきて擦れ違いになったら、と思うとその場から動けなかった。

 日が完全に昇ったら捜索願いを出そうか・・・いや。もう少し待ってみよう。下手に市警察軍を出して《レイガフ》と《キンコウセン》を刺激してはいけない。


 アデレートは通用口に振り返った。

 裏口の方から、ドアをノックする音が聞こえる。急いでそちらに向うと、遠慮がちに、もしくは警戒した様子でノックが続いていた。

 ドアを開ける。


「ルー、遅いぞ」

 と説教しかけた口が、開いたまま停止する。

 そこに立っていたのは、見知らぬ白人男だった。


 険のある目つきから、一般人でない事がすぐに分る。

 肌の色から、《キンコウセン》でないことも。


「あんたがアデレートか?」

「そうだけど・・・何か用か」

 男は黒い布を差し出した。

 何だ、と思って受け取ったが、すぐにそれが、タキシードのベストだと気付く。

 ルートヴィーズが愛飲している煙草の匂いがかすかにした。


 顔が自然と険しくなる。


「どうしてこれを?」

「俺はロイドさんの使いだ。あんたんとこの店員が、ロイドさんと一緒に襲われた」


 アデレートは目を見開いた。

「無事なのかっ?」

「頭を殴られて出血していたが、今は落ち着いてる。巻き込んじまったこっちとしては運んでやりたいんだが、何せ腕利きのボディガードが、患者を車に乗せるのを拒むんでね」

「ボディガード?」

「金髪黒ブチの、べっぴんさんだよ」

「ああ・・・彼女は俺とルーにしか従わないように訓練してあるんだ」

 男は頷いた。

「アジトに運び込むだけでも一苦労だった。車は用意してある。手伝ってくれ」

「分かった」

 アデレートはそのまま外に出ると、裏口に鍵をかけた。 


* * *


 カッポカッポ、というリズムと一緒に、体が揺れている。

 馬の蹄が石畳を走る音だと気付いて、ルートヴィーズは瞳を開いた。

 じんわりと浸透していくような痛みが頭に残っている。

 二日酔いにも似ているが、それより陰湿な痛みだ。


「ルー・・・」


 上から覗きこんできたのは、アデレートだった。

 どうやら大分時間がたったようで、窓から差す淡い光に銀髪が透けている。自分がアデレートの膝の上に頭を置いているのに気付いて、ルートヴィーズは僅かに身動ぎをした。


「起きたか」


 向かいの席に、二人掛けの席を占領しているロイドがいた。

 その足元に、しっぽを振っているミツが座っている。

 ここが個室馬車の中だと気付いた。

 体を起こそうとすると頭の中に刺すような激痛が走り、ルートヴィーズは顔を歪めた。

 アデレートに「寝ていろ」と言われたので、素直に従うことにする。


「お前は賞金稼ぎの女に襲われたんだ」


 ルートヴィーズは細いため息を吐き、包帯の巻かれた頭を押えた。


「本当は絶対安静なんだが、俺達の領地からはできるだけ早く出た方がいいと判断した。《キンコウセン》の連中も最近はぴりぴりしてるんでね」


 赤い帽子の男は、添え木をして布で腕を吊っていた。

 ルートヴィーズがその腕を指差すと、奇跡的に大きな神経には触れていなかったので、完治する見込みは充分にある、とロイドが答えた。 


「あのあと、ロイドが女を片付けた。ここらへんの地区は水路が多いだろう?停泊してた近くの小船に女を隠して、その体で仲間を呼びに行ってくれたんだよ」


 ルートヴィーズはロイドを見て、それからアデレートに向って頷いた。


「あとは部下の連中が上手くやってくれるだろう。あの女は昨日から行方不明。お前は夜中の散歩で正体不明の通り魔に襲われた、ってことにしてくれ」


 ルートヴィーズは頷くかわりに、ゆっくりと瞬きをした。


「店の方は、リクが切り盛りしてくれている。俺もすぐに出ようと思う。お前は家でおとなしく休んでろ」


 黒髪の青年は申し訳なさそうに、少しだけ寂しそうに、そしてこれ以上意識を保っているのが辛そうに、ゆっくりと瞳を閉じた。額に添えられたアデレートの手の平の温かみのせいか、再び意識を失うまでにそう長くはかからなかった。

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