第16話 賞金稼ぎの女とバトル
「じゃあ・・・おやすみ」
南側に近い東地区の、比較的安全な場所にある貸家に、リクは一人で住んでいる。
最近まで年老いた母親と二人で暮らしていたが、病気で亡くしている。
リクは一番末っ子で、父親はいないと、アデレートは記憶している。この世に居ないのか、側にいないのかは分らない。上のきょうだいと真っ当に血が繋がっているのか、それも不明だ。
どちらにせよ、必要以上の干渉はしない、というのがこの街の暗黙のルールである。
リクにしても、アデレートやルートヴィーズの過去を知っているわけではなかった。
「おやすみなさい・・・」
「・・・ああ」
青白い月光に照らされた二人は、数十秒も見つめ合ったあと、やっとの事でその台詞を言い、古ぼけたドアが二人の中を裂くようにゆっくりと閉まりきるまで、体面していた。
そのドアが閉まって暫くしてからも、二人は無言で立ち尽くしている。
やがて息を殺すようにしてドアに凭れていたリクは、ついに歩き出した彼の足音が遠ざかっていくのを聞き、細いため息を吐きながら、苦しそうにしゃがみ込んだ。
どうしてよりにもよって、彼なのだろう?
リクは顔を伏せたまま、暫くその場を動かなかった・・・。
* * *
漏れ出した闇に最後の希望がへばり付いているように、小さな星が光っている夜道だった。ロイドは仲間と連絡をとるために、南西方面へと向っている。
ひと気のない住宅街の曲がり角でふと立ち止まると、視線を闇に寄越した。
「・・・何者だ」
ふ、と何者かが笑う気配がした。
「さすが、高額首。田舎娘にかまけて勘が鈍ってるんじゃないかと思っていたけど、どうやらそうでもないらしいねぇ」
南地区の建物や地面は、石造りが多い。暗い色の壁に落ちた影の中から、人影が突然現れた。声色からして予想していたが、出てきたのは女だった。遠くにある外灯の僅かな光に照らされているのは、赤い髪と紫色の瞳だ。
「元賞金稼ぎ、『血色帽子のロイド』。うちらの業界じゃあそこそこ名の知れたガンナーだったが、ある日突然、何を血迷ったのか反政治犯のリーダーになり、自分の首に賞金かけちまった気狂い者・・・」
自嘲めいた苦笑をロイドはふ、と浮べた。
「それで、その気狂いに何のようだ?」
「ふふ、何の用?もちろん、決まってるでしょう・・・?」
女が一歩踏み出ると、今まで胸の辺りしか見えなかった彼女の姿が、うすらと全身を見せる。鍛え上げられた手足に、女性らしい丸みを兼ね備えた美しいフォルムだ。
ホットパンツからすらりと伸びた生足に、ガンホルダーが巻きつけてある。
彼女はサイレンサー付きの黒光りする銃に触れた。
「君みたいな美人とは、もっと違う形で会いたかったなぁ」
この状況にも関わらず、ロイドの声は飄々。
しかし彼の全神経は、戦闘に向けて計算を始めている。
リラックスしているように見える体の隅々に、昔の感覚を思い出させるまでに一瞬。腰に備えてある旧式銃はガンホルダーごと、体の一部のように錯覚できるまでになった。
「お洒落なバーにでも誘いたいんだけど、生憎と持ち合わせがなくてね」
「あら、結構よ。あなたの首で、バーを一軒貸切りにするんだから」
「じゃあ、酒樽を棺おけにしようかな?」
「ええ。葬儀屋にはそう言っておくわ」
ゆっくりと、女がグリップを握る。
「できないよ」
ロイドはにっこりと笑った。
右腕に流れる血液が、久しぶりに微炭酸水になったような感覚がしてくる。
おそらく、血が騒ぐ、というやつなのだろう。
「酒樽に入るのは君のほうなんだから」
女はかっと目を見開いて、銃を引き抜いた。同時に、ロイドは右腰のガンホルダーから銃を抜く。対向線にいる二人は、ほぼ同時に相手に向って銃口を突き出し、引き金を引いた。
サイレンサーの銃声を乾いた銃声が掻き消し、闇夜を劈いて一瞬で消える。
ーー遠くの方で、犬の遠吠えが感染していた。
ガシャン、と銃が地面に落ちる。
ロイドは大きく顔を顰め、銃を握ったまま胸元を両手で押さえた。どす黒く見える液体がそこから溢れ出している。腕を伝った大量の血液が、地面に飛び散っていた。
「いい腕してるな・・・」
「どうして・・・」
女は右肩を押えていた。綺麗に間接部分に入り、肩が抜けている。神経もやられたらしく、握力は一瞬でなくなって、武器が足元に転がっている。
女は悔しそうにロイドを睨んだ。
「どうして殺さないっ」
ロイドは小刻みに震えている体で微笑った。
「あんたの賞金稼ぎの生命、棺おけに入れてやったじゃないか」
ひどくプライドを傷つけられたらしく、女は顔を歪めた。
「くそっ、馬鹿にしやがってっ」
女は倒れるようにして地面にしゃがみ込むと、左手で銃を握り、連射した。
ロイドは咄嗟に地面を転がり、壁に横付けされていた巨大な木箱の影へと滑り込む。
銃声が止んだ隙をつき、木箱から半身を出すと、彼女の左手を狙って引き金を引く。
乾いた音と共に、彼女の悲鳴があがった。
苦曇った声と共に、彼女の口からゴポリと大量の血が溢れ出てくる。
見開いた瞳は木箱を捕らえたまま、彼女は前方にバタリと倒れこんだ。
ロイドは木箱と壁の三角地帯に凭れ、ため息を吐く。
「うっ」
苦痛の悲鳴をあげ、傷口をぎゅっと握り締めた。
生暖かい液体が、遠慮も知らずにお気に入りの服を汚していく。
さて、どうしたものかとロイドは思った。
苦痛に歪むを顔をはっと上げると、こちらに近づいてくる二つの気配に気付いて神経を凝らす。たったった、と走ってくる音がして、賞金稼ぎの女が倒れている辺りで立ち止まり、悲鳴も上げずにその場に留まっている。
警察軍を呼びに行く気配もない。
〝仲間か?〟
ロイドは手探りで地面の冷たい感触を辿り、銃を掴む。
ひらりと、何かが頭上で動く気配がした。
たん、と木箱の上に降り立った音がして、ロイドは咄嗟に上を振り向く。
思わず瞳を見開き、口を開ける。
そこには美しく恐ろしい生き物がいた。
無言のまま、金色の瞳でこちらを見下ろしている・・・。
続いて足音が近づいてくると、警戒したようにゆっくりとした歩調でこちらに回り込んで、木箱の影を覗き込んできた。
視線が合い、相手はあっけなく『降参』を現して両手を胸元に上げる。
銃口を向けている相手がルートヴィーズである事に気付き、ロイドはため息を吐いて銃を降ろした。
「どうして・・・ここに?」
ルートヴィズはズボンの後ポケットから手紙を取り出し、それをロイドの目の前に示した。ロイドは「ああ」と言い、血だらけの手で手紙を受け取る。白い封筒はあっと言う間に斑に染まり、くしゃりと潰されてロイドの上着の内側に入った。
「わざわざ危険を犯すほどの代物でもないだろう・・・」
ロイドは大きく顔を顰め、傷口を押えた。
ルートヴィーズは困惑した顔で、辺りを見渡し、自分の胸ポケットにハンカチが入っているのに気付いて、それでロイドの左腕の傷口を縛ってやった。
小さく呻き声をあげるロイドは、きつく縛られた布がみるみるうちに生暖かさに侵食されていくのを体感しながら、ルートヴィーズを見上げた。
「悪いな・・・」
ルートヴィーズはかぶりを振る。
ロイドは苦笑した。
「額ではなく、心臓を狙っていると本能的に悟った。だから咄嗟に、左腕で庇ったのさ」
ルートヴィーズは頷いた。
木箱の上では、『ヴィーキツ』のもう一方の看板娘がしなやかなシッポを振っている。彼女の毛並みの表面を、美しい月光が撫でていた。
「とりあえず手当てが必要だな・・・手を貸してもらえるか?」
微笑しながらルートヴィーズに振り向くと、彼は無表情に頷いた。
彼が手を差し伸べようとしたその瞬間、ロイドは目を見開く。
ルートヴィーズの後に、あの女が立っていた。
すでに致死量分の出血をしているはずの彼女は、弾切れの銃を振り上げている。
「おいっ、避け・・・」
異変に気が付いたルートヴィーズが振り返るよりも早く、グリップの底が彼の頭に叩き落された。
驚愕に見開かれた瞳。前のめりになっていく体。
ルートヴィーズは、ロイドの上に被さるようにして意識を失った・・・。
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