第15話 レッド002


 その日の閉店後。


 ロイドとリクは掃除を手伝い、二人で店を出た。

 リクを家まで送って行って、明日は《レイガフ》のアジトに戻るらしい。


 戸締りをしてミツに餌を与えると、ルートヴィーズは鎖を外してやった。 

 ミツはアデレートよりも彼になついている。料理ができないかわりに、ミツの世話の全般を受け持つ事になったのが要因であろう。

 言葉を話せない彼も、彼女には気兼ねしなくていいのか、人間よりもミツとじゃれている時の方がいくらか表情が柔らかかった。

 ミツは美しい斑模様をルートヴィーズの体にすり寄せると、頭を撫でられ目を細めた。


「ルー・・・」


 カウンター席に座っていたアデレートに呼ばれ、ルートヴィーズは振り返る。

 いつもより疲れ、固い表情をしている彼を見て、カウンターの内側に入っていった。


「話がある」


 グラスに手を伸ばしていたルートヴィーズが頷く。

 砕いた氷と『レッド002』という琥珀色の酒を入れ、水で割る。

 二人分をてきぱきと作ると、一方をカウンターに出した。

 アデレートはグラスを受け取ると、そこに真実が隠れてでもいるように、中身をじっと見つめる。紅茶のような見た目の酒だ。ふと、独り言のように呟いた。


「・・・昼間、二人を奥に入れたろう?」


 ロイドとリクのことだ。

 ルートヴィーズは頷いた。


「こうなった以上仕方ないが、近いうちこの地区を出るそうだ。今はまだ目立った行動はできないが、《レイガフ》の本拠地に移るらしい・・・店の方は、まだ暫くいてくれるそうだ・・・彼女の方は『迷惑がかかるから』と言っていたが、今すぐ辞めれば疑いは更に強まるだろう?だから代わりが見つかるまで、という条件で、いてもらう事にした」


 アデレートが返事を求めて視線を上げると、ルートヴィーズは頷いた。

 アデレートも頷き返す。

 グラスを持って初めて、酒を口に含ませた。


「・・・どうしてこの酒にした?」


 ルートヴィーズは薄らと口を開け、何かを言いたそうにしていた。

 しまった。質問の仕方を間違えた。

 イエスともノーとも出せない質問に、彼は困惑しているようだ。

 どうやら記憶喪失以前には喋れたようなので、彼には手話の習慣がない。もし彼ができても、アデレートには解読できない。二人の間にいつの間にか通じるようになったジェスチャーはいくつかあるが、「どうして」という質問に対しての、長文になりえる答えは持たない。せいぜい、単語の組み合わせが限界だ。

「ああ、すまない・・・」

 ルートヴィーズはかぶりを振ると、自分のグラスに指を入れた。カウンターの上で指先を滑らせると、何やらたどたどしくはあるが、それが文字である事が分った。


 あ で  れーいと すき おもう から


 アデレートはそれをじっと見つめた。

「俺の好みだと思ったから?」

 ルートヴィーズは頷いた。


 確かに。それほど高価な酒ではないが、アデレートが好きな酒だ。前の店主、フィドとの思い出の酒・・・しかしそれを、彼に話した覚えはない。


「お前、気付いてたのか・・・」    


 ルートヴィーズは頷く。

 アデレートは下手くそな文字に視線を落とし、ふと笑う。


「いつの間に練習したんだ?」


 彼にしては珍しく、少し照れたような表情になった。

 まともな教育を受けていない子供は全域的にも珍しくない。アデレートもその一人だ。

 しかしお堅く優雅で回りくどい上層階級の言葉でなければ、フィドのお陰で何となくは読み書きができるようになった。


 不要になって朴って置いた練習本を、ルートヴィーズの部屋で発見した時は、ふと懐かしくなったものだ。必要なら質問してくるだろうと、今まで気付かないふりをしていたので、どうやら彼は独学でここまで扱えるようになったらしい。

 その飲み込みの速さを考えると、初めから知らなかったのではなく、失った物を取り戻している作業なのだろう。普段生活していて感じるのは、彼の仕草が低層界の子供の出身だとは考えにくい、という事だった。


「読み書きできれば、便利になるな・・・習ってみるか?」


 ルートヴィーズは心なしか、いつもより力強く頷いた。

 アデレートは笑う。


「じゃあ、店が暇な時は教えてやろう」 


 ルートヴィーズが頷きかけた時、肘が当って彼のグラスがカウンターの内側でガシャンと割れた。今日は珍しく、『参ったな』という困った表情が彼の顔に色濃く浮いた。


「お前なぁ、ひとが褒めてやろうと思った矢先に・・・」


 しゃがみこんだルートヴィーズは、カウンターの下の棚に、白い影を見つける。

 ロイドの手紙だ。

 そう言えば明日にはアジトに戻る、という事を思い出したのか、ルートヴィーズは顔を上げると、それをアデレートに示した。


「手紙?ああ、返すの忘れてたなぁ」


 ルートヴィーズは自分の顔を指すと、そそくさとカウンターを出てきて、通用口の方を指差した。おそらくは『彼に届けてくる』という意味だろう。


「こんな時間にか?もう追いつかな―・・・」


 アデレートが言うか否かで、ルートヴィーズは奥に姿を消した。


「おい、待て」

 アデレートはその後姿を追う。

「ミツ、おいで」

 裏口の方へ行くと、ドアが閉まる音がした。すぐにドアを開くが、彼の姿はない。


「さては・・・怒られると思って回避したな?」


 足元に擦り寄ってくるミツの頭を撫で、言った。


「散歩だ。ルーの後をついておいで」


 その言葉が通じたのか、それとも日ごろルートヴィーズと散歩をしている習慣がそうさせたのか、ミツはアデレートの横を擦り抜け、闇夜に駆け出して行った。

 闇に包まれたこの街で、一人で歩くのは自殺行為。

 ミツがいるのといないのとでは、襲われる確率が格段に違う。

 店番の為に残る事になったアデレートは、ため息を吐いて裏口の扉を閉めた。 

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