第2章 目覚めた化石 ファイル1
春の光が教室の窓を照らしていた。
風見宇宙は新しいノートを開き、久々に穏やかな日々を感じていた。
鎌鼬事件から三ヶ月。東京の空気はようやく落ち着きを取り戻し、
ニュースから“怪奇”という言葉も消えつつあった。
「おはよう、宇宙」
声をかけたのは小嶋瑠璃。
新学期の制服に身を包んだ彼女は、相変わらず周囲の視線を集めている。
「久しぶりに何も事件がない朝ね」
「いいことだよ。……ずっとこんな毎日が続けばいいのにな」
宇宙が窓の外を眺めながら呟いたとき、瑠璃はふっと笑った。
「そういう時ほど、“嵐の前の静けさ”だったりするのよ」
宇宙はその言葉に、小さな不安を覚えた。
彼女の直感が外れたことは、ほとんどなかったからだ。
⸻
昼休み、屋上。
宇宙、瑠璃、そして同級生の佐伯真菜、高城慎が集まっていた。
「風見くん、最近ほんと静かだよね。もう“探偵くん”卒業?」
「その呼び方、やめろって」
「だってさぁ、あの鎌鼬事件、警視庁と一緒に解決したんでしょ?」
真菜が半ば冗談交じりに言うと、慎が笑いながらうなずいた。
「そうそう。刑事にスカウトされるんじゃないかって噂まであるぜ」
宇宙はため息をつく。
「まさか。ただの偶然だっただけだよ」
「偶然で事件を解ける人なんていないけどね」
瑠璃が弁当の箸を止め、穏やかに言った。
笑い声が春風に乗って消えていく。
けれど宇宙の胸の奥では、かすかに“警戒の鐘”が鳴っていた。
──何かが、また起こる。そんな予感。
その夜、東京・板橋区の住宅街。
時計の針は午前0時を回っていた。
ビルの一室で、40代の男性研究者・高槻達夫が、PCに向かってタイプを続けていた。
室内には、微かに低い振動音が響いている。
冷蔵庫のモーター音……ではない。
耳を澄ませば、それはまるで、遠くの地層が軋むような“呻き”だった。
「……何だ?」
高槻が立ち上がる。
窓の外は風一つなく、静まり返っている。
背後の部屋のドアが、かすかに軋んだ。
「誰だ?」
応答はない。
次の瞬間、部屋の隅で黒い影が動いた。
「おい、誰だ!」
高槻が懐中電灯を手に取った瞬間、
その光の先で“何か”が蠢いた。
床に広がる泥の跡。
そこに、明らかに人間ではない“爪跡”が刻まれていた。
「ありえない……」
彼が後ずさりした瞬間、
影が跳ね、空気を裂くような音が走る。
「グァァァァァッ……!」
咆哮──それは、どこか恐竜の鳴き声に似ていた。
高槻は叫びもできず、背後に倒れ込む。
床に叩きつけられる音とともに、部屋の照明が明滅した。
光が完全に消える直前、彼の耳には“誰かの声”が確かに聞こえた。
「……我は、再び甦る。
滅びし血が、現世の風に呼ばれたのだ……」
⸻
◆ 犯人の心の声
――夜の街を歩く影。
黒いコートを纏い、手に血を滲ませながら、闇に溶けていく。
心の中で、誰かが囁く。
「やっと……やっと目覚めた。
この手に宿る“古の血”が、俺を呼ぶ。
これは復讐だ……時を超えた命の怒りだ……!」
理性が警鐘を鳴らしても、止められない。
血液の奥で何かが蠢き、脳の奥を支配する。
「俺は人間じゃない……
俺は、この地の“化石”そのものだ……
人間に封印された記憶が、俺を解き放った……!」
口元がゆがむ。
暗闇に浮かぶ瞳は、まるで爬虫類のように冷たく光った。
翌朝。
宇宙は登校途中でスマホの通知に気づいた。
画面に流れるニュース速報。
【都内マンションで研究者死亡 体内から“未知のDNA”を検出】
「……やっぱり」
宇宙は足を止めた。
校門前で待っていた瑠璃が、同じ記事を見ていた。
「昨夜の事件……、現場はDNA研究所勤務の科学者。
死因は鋭利な刃物による出血死。でも、現場には動物の足跡が残されていたって」
「動物……? でもDNAが“未知”って……まさか」
「西園寺先生が言ってたわ、“6600万年前の配列に似てる”って」
瑠璃の声に、宇宙は眉をひそめる。
「ありえない……けど、偶然とは思えないな」
「つまり――“目覚めた化石”ってわけね」
彼女の言葉に、宇宙の胸の奥で何かが冷たく軋んだ。
静かな日常の中に、再び“見えない怪物”の影が忍び寄っていた。
⸻
◆ 闇の街に再び
その夜、別の男が都内の繁華街を歩いていた。
背広姿の中年。スマホを耳に当てながら、焦った声を漏らす。
「……だから、俺はやってない! 本当に知らないんだって!」
その足元に、いつの間にか冷たい風が吹いた。
男の背後で、鉄柵が“ギギ……”と軋む。
ふと耳を澄ませた瞬間、
低い咆哮のような音が聞こえた。
「……グゥオォォォォォ……」
男は振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
彼の背後に、黒い影が立っていたことに気づくのは、
次の瞬間だった。
「人は……滅びを忘れた。
ならば、思い出させてやろう。
血の記憶を──」
鋭い光が闇を裂き、男の悲鳴が夜に溶けた。
そしてまた、一つの“化石の記憶”が、現代に目覚めた。
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