「目覚めた化石」 ファイル2
警視庁捜査一課三係。
室内の空気はいつもより重かった。
会議室の壁に貼られた現場写真には、血の跡と獣の爪痕のような深い切り傷が写っている。
「被害者は高槻達夫、四十三歳。都内の『バイオジーン・フロンティア研究所』所属の生物学者だ」
係長の麻美一樹が低い声で読み上げた。
その表情は鋭く、机上の資料を一枚ずつめくっていく。
「死亡推定時刻は午前0時半。現場には争った形跡なし。
しかし、遺体の右腕に“裂傷”があり、これは人間の力ではありえない深さだ」
麻美の後ろで、浜辺理沙がホワイトボードに図示する。
線の角度、刃の軌跡、血痕の飛散方向……。
「この切り口、刃物というより……“鉤爪”で切られたような痕ですね」
「動物の攻撃?」と高山裕司が眉をひそめる。
蓑原絵梨華が端末を見ながら口を挟んだ。
「防犯カメラには誰も映っていません。
ただ、現場近くの路地で“動物の鳴き声のような音”が録音されています」
「鳴き声?」浜辺が振り返る。
「ええ……解析によると、“低周波の咆哮音”。
分類不能。哺乳類でも鳥類でもない、爬虫類系統の可能性が高いと」
部屋の空気が静まり返る。
麻美が顎を指で叩きながら呟いた。
「爬虫類……。まさか、恐竜か?」
皆の目が彼を見た。
冗談のような言葉に、しかし誰も笑えなかっ
警視庁科学捜査研究所。
無機質な蛍光灯が、銀色の分析機器を照らしていた。
検査主任の加瀬博士が、DNAサンプルを遠心分離機にかけながらつぶやく。
「何度やっても、結果が矛盾してる……。
“人間のDNA”の中に、“古代爬虫類の塩基配列”が入り込んでるんだ」
浜辺が腕を組み、モニターを覗き込む。
「混入の可能性は?」
「ない。サンプルは三重封印だ。
それに、同じ異常が“被害者の傷口”からも出てる」
「つまり、犯人は人間でありながら、“古代の遺伝子”を持っている」
徳川が低く言った。
加瀬がモニターを指差す。
「見てくれ。この部分、TATAGGCA……この配列は6600万年前の“トリケラトプス”の骨から検出されたものと一致する」
浜辺が絶句する。
「そんな……ありえない」
「ありえないことが起きてるんだ」
モニターには、人間の染色体の中にまるで“異物”のように埋め込まれた配列が映っていた。
その構造は不自然で、まるで誰かが“意図的に組み込んだ”かのようだった。
「人工的な操作だな」徳川が言った。
「問題は──それを誰がやったか、だ」
同じ頃。
宇宙と瑠璃は、放課後を使って研究所周辺を再調査していた。
警察の封鎖テープを避けながら、裏口の方へ回り込む。
宇宙が足元の土を観察しながら呟く。
「……妙だ。人の足跡と、もう一種類。
靴底じゃない、“三つ爪”のような跡がある」
「それって、まるで……」瑠璃が息をのむ。
「恐竜の足跡に似てる。けど、深さが浅い。
つまり──“人間の体重”で踏み込まれた跡だ」
宇宙は跡をスケッチし、メジャーで寸法を測る。
「足のサイズは27センチ前後。
成人男性、恐らく170〜180cm程度の体格だな」
「じゃあ、やっぱり犯人は人間……でも何かが混ざってる?」
「その可能性が高い」
二人は裏口の鉄扉を調べる。
錠前が破壊されているが、外側ではなく“内側から”。
「内側から……?」
「つまり、被害者が自分で開けた可能性がある。
犯人は知人か、あるいは研究所の関係者だ」
宇宙の瞳に閃光のようなものが走る。
閃きの瞬間。
「……研究データ。誰かが“研究成果”を奪おうとして
その足で、宇宙と瑠璃は研究所近くの喫茶店へ。
ここは高槻達夫が頻繁に通っていた店だ。
マスターの老婦人が二人を迎えた。
「また警察の人かい?」
「いえ、少し高槻さんのことを知りたくて」宇宙が丁寧に頭を下げる。
「高槻先生はねぇ、いつも古い化石の写真を見ながら、“血は記憶を持つ”って言ってたわ」
「血が、記憶……」瑠璃が繰り返す。
「そしてね、ある日を境に変わっちまったの。
目がギラついて、夜になると“呼ばれている”とか言ってた」
「呼ばれている?」
「“古の声に”って……気味が悪かったわよ」
宇宙はカップを見つめながら、静かに考え込む。
「もし本当に“声”があるとすれば、それは外からじゃなく──
彼自身の体内にあるものだ」
瑠璃が息をのむ。
「つまり、彼自身が“化石DNA”の実験体に?」
「その可能性は高い。
だが、死んだのは高槻。ならば、その研究データを奪った誰かが……“覚醒した”んだ」
翌日。
二人は研究所の元職員・久賀真帆を再訪した。
彼女は明らかに怯えていた。
「森岡亮介さん……覚えてますか?」
「ええ……彼、最近おかしかったの。
“体が熱い”とか、“夢の中で恐竜が歩いてる”とか……」
宇宙が鋭く尋ねる。
「森岡さんは、実験に関わってた?」
「……はい。高槻先生と二人で、“古代遺伝子復元”の最終段階を担当してました」
「その遺伝子を人間に移植した……?」
「ありえません! でも……先生、時々“人体モデル”について話してました」
「人体モデル?」
「“再現できるのは血の記憶だけだ”って……。
何の意味か分からないけど、森岡さんが何かを見つけたのかも」
宇宙は手帳を閉じて呟く。
「血の記憶……それが、“目覚め”の鍵だな」
その夜。警視庁科学捜査室。
加瀬博士が新たなサンプルを顕微鏡で覗いていた。
浜辺と徳川、麻美、そして宇宙と瑠璃も立ち会っていた。
「これが、2件目の傷害事件の被害者の血液サンプルです」
モニターに拡大されたDNAの螺旋構造が映る。
加瀬が指を動かし、特定の部分を拡大する。
「ここを見てください。明らかに“変異”が進行している。
被害者の傷口の中に、犯人のDNAが混ざっていたんです」
「つまり、接触だけで遺伝子が移る?」浜辺が驚く。
「そう。通常ではありえない。
でも、もし犯人の体内で“古代ウイルス”が再活性化してるとしたら──」
徳川が唸る。
「感染型のDNA……か。まるで遺伝子の呪いだな」
宇宙が一歩前に出る。
「博士、犯人のDNAは安定してますか?」
「いや、不安定だ。細胞の代謝が異常に高く、
このままでは“肉体そのものが崩壊”する可能性がある」
「それなら、犯人は“自分の変化に怯えている”はずです」
宇宙の声に皆の視線が向く。
「逃げているのではなく、“助けを求めている”のかもしれません」
浜辺が頷いた。
「……いい読みね、風見くん。
だったら、私たちも“追う”んじゃなく、“見つけ出す”方向に変えよう」
麻美が立ち上がり、地図を壁に貼る。
「森岡亮介の行動範囲を洗い直す。
DNAの拡散源が“どこか”にあるはずだ。
風見、小嶋。お前らも動いてくれ」
宇宙は一瞬ためらい、しかし真っ直ぐ頷いた。
「了解です、係長」
その夜、渋谷裏通り。
月の光が細い路地を照らす。
金属バットを持ったチンピラたちが三人、若者を囲んでいた。
「おい兄ちゃん、なにビデオ撮ってんだよ」
「研究だ。……どけ」
冷たい声を出したのは、森岡亮介。
次の瞬間、彼の背筋が痙攣した。
目が光る。肌の下で筋肉が脈打つ。
腕が異様に膨張し、指先が鉤爪のように伸びる。
(やめろ……やめろ……もう人を傷つけたくない……!)
(目覚めよ。お前は血の継承者だ)
「ぐああああッ!!」
叫び声とともに、バットが粉々に砕けた。
チンピラたちは悲鳴を上げて逃げ出す。
その場には、膝をつく森岡の姿だけが残った。
その右手から、血と共に“黒い鱗片”が剥がれ落ちる。
彼の目は涙に濡れながら、夜空を見上げていた。
「……どうして、俺なんだ……」
翌朝。
警視庁・捜査本部。
事件の地図上には、赤いピンが3つ打たれていた。
「次は、森岡がどこへ行くかだな」徳川が言う。
「被害現場は円を描くように拡大している。中心には──」
「“旧東京自然史博物館”だ」宇宙が指差した。
麻美がうなずく。
「そこには、高槻が生前に保管していた“化石DNAサンプル”がある」
浜辺が笑う。
「さすがね、風見くん。もう完全にうちの一員じゃない」
宇宙は照れくさそうに笑い、瑠璃と目を合わせる。
「さあ、ここからが本番だ」
「うん、必ず止めよう。
“血の記憶”が、これ以上人を傷つける前に」
夜明けの光が差し込む捜査本部で、
新たな闘いの幕が上がろうとしていた。
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