鎌鼬事件 ファイル3 解決編(後編)
夜。
雨雲が低く垂れこめ、廃工場の鉄骨は風を受けて軋んでいた。
刑事たちは息を潜めて張り込んでいる。
「動いた……!」
蓑原が小声で指差す。
暗闇から、一人の影が工場に入り込む。フードを深くかぶり、金属ケースを抱えていた。
「行くぞ!」
麻美の合図で、一斉に刑事たちが動き出した。
「警視庁だ! 止まれ!」
懐中電灯の光が一斉に犯人を照らす。
だがその瞬間、犯人は驚異的な動きで鉄骨の足場を駆け上がり、刑事たちを振り切った。
「くそっ、速い!」
近藤が追いすがるも、犯人は工場の裏手へ消えていく。
宇宙は一歩遅れて現場に入り込み、鋭く呟いた。
「……逃げる場所は限られてる。崖だ」
工場の裏手に広がる断崖絶壁。
下では荒波が轟音を立て、白い飛沫を吹き上げていた。
崖の先に、犯人が立っていた。
肩で息をしながらも、目には異様な光が宿っている。
「ここまで来るとは……しつこい奴らだ」
「観念しろ!」
麻美が銃を構える。
「お前の逃げ場はもうない!」
しかし犯人は笑った。
「俺を捕まえられるものか……俺は“風”だ。風は誰にも縛れない」
刑事たちが一瞬ためらう。
その時、宇宙が前に出た。
「……風なんかじゃない」
宇宙は静かに言った。
「あなたは人間だ。悲しみと怒りを抱えた、人間だ」
犯人の目がかすかに揺らぐ。
「もうやめろ。無実の人を切りつけたところで、あなたの苦しみは消えない」
麻美も声を張った。
「ここで投降すれば、まだ償う道は残されている」
しかし犯人は首を振り、崖に一歩近づいた。
「違う……俺は風だ。妖なんだ。人間に戻ったら、俺はまた消えてしまう……」
瑠璃が思わず声を上げた。
「消えたりなんかしない! あなたは今もこうして私たちの前にいる!」
犯人はその言葉に顔を歪めた。
刑事たちの緊張が極限に達したとき、宇宙が一歩前に進み、静かに語り始めた。
「じゃあ、ここで全部明らかにしよう。
あんたが“妖”じゃなく、どこまでも人間だという証拠を」
宇宙は崖に響き渡る声で語り出す。
「三件の被害現場には、必ず擦過痕が残っていた。
あんたはワイヤーを張り、そこに刃を滑らせた。
突風が吹いた瞬間に合わせて、仕掛けを作動させた。
だから誰もあんたを見なかった。“風に切られた”と錯覚しただけだ」
刑事たちは息をのむ。
「仕掛けを作る場所と資材──それを確保できるのは、この廃工場を知り尽くした人間だけ。
二年前に閉鎖された製鉄所。あんたは元従業員だ」
犯人の肩が震える。
「しかも被害者は全員、会社帰りの一般人。
本気で殺すつもりはなかった。あんたが狙ったのは“恐怖”だ。
人々を震え上がらせ、自分の存在を示すために」
「やめろ……!」
犯人が叫ぶ。
「俺は……妖なんだ! 人間じゃない!」
宇宙は一歩踏み出し、真っ直ぐに相手を見据えた。
「人間じゃないなら──なぜ涙を流している?」
犯人の頬を伝うものが、月明かりに光った。
犯人は崩れ落ちるように膝をつき、嗚咽を漏らした。
「……二年前、この工場が閉鎖されて……俺は職を失った。
家族にも捨てられ、居場所がなくなった……。
まるで、俺自身が“風”のように消えたみたいだった」
麻美が低く呟く。
「……だから、“鎌鼬”を演じたのか」
「そうだ……人々に恐怖を与えれば、俺の存在を忘れない。
誰も俺を無視できない。俺は……消えない……」
犯人の声は涙で震えていた。
刑事たちは無言で近づき、手錠をかける。犯人は抵抗せず、ただ泣き続けた。
波の轟音が響く中、宇宙は夜空を見上げた。
「妖なんて存在しない。人を傷つけたのは、人間の心の闇だ」
瑠璃は隣に立ち、静かに頷いた。
「でも、その闇を暴き、救おうとするのも人間の心ね」
麻美が二人に歩み寄り、じっと宇宙を見つめる。
「……よくやったな。お前がいなければ、この事件は“妖”のまま終わっていただろう」
浜辺が微笑む。
「高校生にしては大した洞察力ね。刑事顔負けだわ」
近藤も笑いながら肩をすくめた。
「もう三係の非常勤メンバーにでもしたらどうです?」
宇宙は照れくさそうに笑った。
「俺はただ……真実を知りたかっただけです」
刑事たちの視線には、確かな信頼と敬意が宿っていた。
その夜。
宇宙と瑠璃は帰り道、月明かりに照らされた街を歩いていた。
「宇宙……」
瑠璃がふと立ち止まる。
「あなた、これからどうするの? 事件に関わるのは危険よ」
宇宙は少し笑い、空を見上げた。
「分かってる。でも……また“理屈に合わない事件”が起きたら、きっと俺は首を突っ込む。
だって、真実を放っておけないから」
その言葉に、瑠璃は黙って微笑んだ。
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