鎌鼬事件 ファイル3 解決編(前編)

 朝の光が差し込む教室。

 風見宇宙は窓際の席で、数式の書き込まれたノートを見つめていた。


「おーい宇宙! また勉強かよ」

 背後から声をかけてきたのはクラスメイトの佐伯慎太郎だ。サッカー部で明るい性格、誰とでもすぐに打ち解けるタイプ。


「たまたま。授業前の暇つぶしだ」

 宇宙はさらりと返す。


「いやー、お前の“たまたま”は信用ならんわ。全国模試で名前載る奴が言うセリフじゃねーだろ」

 慎太郎が笑うと、周りのクラスメイトも同調するように声を上げた。


「宇宙、またテスト一位だったんでしょ?」

「運動会でもリレーのアンカーやってたし……万能すぎ」


 宇宙は苦笑しつつ肩をすくめた。

「褒めても何も出ないぞ」


 そこへ教室の扉が開き、小嶋瑠璃が入ってきた。

 一瞬で空気が変わる。周囲の視線が自然と彼女に集まるのだ。


「おはよう、瑠璃」

「おはよ。……宇宙、またいじられてた?」

「まあな」

 二人が軽く笑い合う様子に、クラスの何人かは「やっぱりお似合いだよな」とひそひそ声を漏らした。


 放課後。校庭では部活動の声が響いていた。

 瑠璃は弓道部の練習を終え、弓を片付けながら宇宙と合流する。


「今日も的中率ほぼ百パーセントだったらしいな」

「……部員にそう見せてるだけよ。本当はまだまだ。精神統一が難しいの」

「でも集中力はすごい。俺には真似できない」

「それ、皮肉? 宇宙の方が集中力あるくせに」


 二人は笑い合いながら昇降口を出る。

 校門近くでは友人の慎太郎と、同じクラスの女子・中原美咲が待っていた。


「おー、来た来た! 一緒に帰ろうぜ」

「カフェ寄らない? テストの打ち上げってことで」

 美咲が提案すると、瑠璃は少し迷い、宇宙と視線を交わした。

「どうする?」

「……いいんじゃないか。少し息抜きも必要だ」


 四人は駅前のカフェに入り、窓際のテーブルに腰を下ろした。

 ジュースやコーヒーが運ばれてきて、自然と笑い声が広がる。


「なあなあ、聞いたか? 例の“鎌鼬事件”」

 慎太郎が声を潜めて切り出した。

「昨日、俺の親がすげー心配しててさ。“夜は外出するな”ってうるさくて」


「うちも同じ」

 美咲が不安そうに言った。

「学校でも話題になってる。誰も犯人を見てないって……本当に人間の仕業なのかな」


 瑠璃は一瞬、表情を曇らせた。

「……分からない。でもきっと警察が解決してくれる」


 宇宙はカップを置き、低く言った。

「いや、警察もまだ手を焼いてるはずだ。だから余計に“妖怪の仕業”なんて噂が広がってる」


 慎太郎が冗談めかして肩をすくめる。

「おいおい、宇宙までそんなこと言うなよ。オカルト好きか?」

「そうじゃない。ただ、理屈に合わないことほど人は怪異にすがるんだ。

 本当は、必ず人間の仕組みが隠れてるのにな」


 宇宙の声色に、三人は思わず黙り込んだ。

 瑠璃だけが彼の横顔を見つめ、何かを言いたげに唇を開きかけたが、言葉にはならなかった。


 夜の駅前。

 街灯に照らされながら四人は帰路につく。


「じゃあ、また明日」

 慎太郎と美咲は先に改札へ向かった。


 残された宇宙と瑠璃。

「……さっきの話、まだ追うつもりなのね」

 瑠璃が小声で言う。


「当然だ。放っておけない」

「宇宙は……怖くないの?」

「怖いさ。でも、怖いからこそ知りたいんだ。真実を」


 瑠璃は立ち止まり、しばらく宇宙を見つめた。

 その瞳には、不安と同時に強い信頼の色が宿っていた。

事件を捜査している時以外の2人とも優等生ではあるが普通の高校生。

そんな2人は目の前で起きている不可解な事件を前にするとじっとしていられない体質でもあった。

そしてついに事件の真相に足を踏み入れていく


放課後。

 宇宙と瑠璃は、ふたたび練馬区の現場へ足を運んでいた。夕方の路地は人通りも少なく、少し不気味な静けさを纏っている。


「ここ……前にも来たけど、何度来ても気味が悪いわね」

 瑠璃が辺りを見回し、肩をすくめた。


「不気味なのは、情報が足りないからだよ」

 宇宙は地面にしゃがみ込み、路地の舗装をじっと観察する。

「見ろ、アスファルトに細かい擦り傷がある。しかも一定の方向に走ってる」


 瑠璃が覗き込む。

「本当だ……でもこれ、ただのタイヤの跡じゃない?」

「そう思うだろ。でもここは車両の進入禁止エリアだ。つまり……何か重いものを押した跡だ」


 宇宙は立ち上がり、路地の出口を指差した。

「被害者は“突風のあと切られた”と言ってる。実際には──強風の音に紛れて、鋭い刃が一瞬だけ横から走ったんだ」


「刃……? でも人が持って走れば、誰かが目撃するはず」

「だからこそ、工夫された仕掛けがあるはずなんだ」


  宇宙の目は鋭く光り、頭の中で点と点が繋がり始めていた。


翌日。警視庁捜査一課の会議室。

 刑事たちが集まり、壁には現場の地図と被害者の情報が貼り出されている。


「現場証言を整理すると──」

 蓑原絵梨華が資料をめくる。

「三件とも“風が吹いた瞬間に切られた”という一致があります」


 近藤大輔が声を荒げた。

「つまりだ、やっぱり人間の目には見えない何かがいるんじゃないのか? “鎌鼬”ってやつだ」


「馬鹿を言うな!」

 麻美係長が机を叩いた。

「この会議は民俗学の講義じゃない。俺たちは現実を追うんだ」


 だが、高山裕司が静かに口を開く。

「しかし、係長。現場検証でもカメラにも映らない。足跡もない。物理的な説明ができないんです。警察内部でも“妖の仕業”という声が上がっているのは事実です」


 会議室に重苦しい空気が流れる。

 誰もが否定したいが、合理的な説明が見つからない。


 そのとき、ドアがノックされた。

 現れたのは──風見宇宙と小嶋瑠璃だった。


「お前たち、なぜここに……」

 麻美は目を見開いた。


「すみません。現場を調べたら、どうしても伝えたいことがあって」

 宇宙は一歩前に出る。

「“風”は確かに関係しています。でも、それは自然現象じゃなく、人間が作り出した状況です」


 刑事たちは一斉にざわめいた。


「俺が見つけたのは、現場のアスファルトに残った擦過痕です。車両の進入禁止エリアに不自然な痕跡……つまり、犯人は何かを滑走させていたんです」


「滑走?」

 浜辺波が身を乗り出す。


「例えば、ワイヤーで固定した鋭利な刃物を、突風の音に紛れて横切らせる。被害者は突然切られ、犯人の姿を見ていない──それが“妖”に襲われたように錯覚させたトリックです」


 刑事たちは一瞬息をのんだ。

「つまり、犯人は現場に姿を現さず、仕掛けだけで人を傷付けた……?」

「その通りです」


 宇宙は机上の地図を指差した。

「三件の現場を線で結ぶと、ある一点に集中します。その中心には……犯人が日常的に出入りできる施設がある」


 麻美が即座に身を乗り出す。

「どこだ」

「廃工場です。二年前に閉鎖された製鉄所。その跡地なら、資材もあり、仕掛けを作るのは容易い」


 会議室がざわついた。刑事たちの表情には驚きと同時に、突破口を見つけた安堵が浮かんでいた。


「じゃあ、犯人は廃工場に出入りできる人間……」

 高山が呟く。


「工場の元従業員か、その家族の可能性が高いですね」

 蓑原が資料を繰る。

「閉鎖後に取り壊し計画も頓挫したまま。周辺住民は立ち入らないが、内部の構造を知っている人間なら……」


 宇宙は静かに言った。

「犯人は、風を操る術なんて持っていない。ただ、人が恐怖に弱いことを知り、利用しただけだ」


 瑠璃が宇宙を見つめる。

「つまり……妖怪なんて存在しない。すべては、人間の仕掛け」

「そうだ。結局“妖”を作り出したのは、人間の心なんだ」


 麻美は大きくうなずき、立ち上がった。

「よし、廃工場を張れ! 犯人は必ず現れる!」


 刑事たちが一斉に動き出す。

 その瞬間、事件の霧が少しずつ晴れていくのを、宇宙と瑠璃は感じていた。

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