天井に花火

望月おと

天井に花火

 ひとりの夜というものは、かなり厄介なものです。私は天井を見つめていました。天井も私を見返してくるようで、うんざりしました。眠ろうとしても眠れず、起き上がるほどの気力もなく、ただ天井とにらみ合うばかり。勝敗はとうについていて、もちろん私の負けです。体をちょっと動かしたら、足元でカサリと音がしました。拾い上げると、それは輪ゴムでぐるぐる巻きにされて窮屈そうな、未使用の手持ち花火でした。


 花火を眺めていたら、あの夜のことを思い出しました。私は恋人とお揃いのシャツなんかを着て、夏祭りに行ったのです。提案したのは私。こんな私にも、乙女心はあるのです。しかし、いざ並んで歩き、人混みに揉まれていると、むず痒くて、どうにも落ち着かない。けれど、ビールを一口飲んだら、それもまあ、どうでもよくなりました。子どものころは金魚すくいやら綿あめに、あんなにも目を輝かせていたのに、いまでは屋台をつまみ市場のように物色している。大人になるとはそういうことかと、少し哀しく、しかしそれなりに愉快でもありました。


 唐揚げの行列で、私はさっそく病気にやられました。メニエール病というやつで、あれは本当に意地が悪い。めまいで世界がぐるぐる回る。耳が聞こえにくくなる。薬は毎日たくさん飲んでいます。中でも液体の薬は最悪です。苦いくせに、グレープ味の妙な甘味を無理やりねじ込んであって、飲んだ方が病気になりそうです。世の中の嫌がらせはたいてい「親切そうな顔」をして現れるものです。私は立っていられず、やっと空いた席に腰を下ろしたら、机の上には得体のしれぬ液体がこぼれていました。ああ、不愉快きわまりない。それを避けるように唐揚げを置き、一口ほおばると、熱々で舌を焼きそうになりました。けれど、それは「秘伝」と銘打つだけあって美味で、ビールとの相性は天国でした。


 その後、彼は牛串の行列に並びに行きました。「大丈夫?」ではなく「座って待ってて」と言ったのです。心配を共有するのではなく、心配を引き受けてしまう人。頼りがいのある、ずいぶん現実的な人でした。私はその現実に、少しだけ安心し、少しだけ罪悪感を覚えました。だからこそ、どうしようもなく惹かれてしまうのでした。


 そのあとは小籠包を買いました。めまいが少し和らぎ、行列もほとんどなかったので、私も重い腰をあげました。あれは、普段は何でもないのに、目の前だと大好物に思えます。熱々の悲劇を覚悟していましたが、意外と冷めていました。けれど、肉汁とタレがおいしくて許すことにします。猫舌の彼もすぐ食べられたので、結果オーライでしょう。


 私たちは同時に甘いものが欲しくなって、チュロスを分け合って、同時に胸焼けし、芝生でだらしなく足を伸ばして座りました。またお酒を買って、餃子をつまんで、くだらないようで幸福な夜でした。


 そして最後の出し物、手持ち花火。光に照らされた彼の横顔を見ることが、私にとっては今回最大の楽しみだったのです。ところが無情にもスタッフに「受け付けは終了しました」と言われてしまいました。かなり前から百円ショップで買っていた三百円の花火も、カバンの底でしょんぼりしていました。子どものころなら泣いていたかもしれませんが、大人になった私たちは「じゃあ次回だね」と笑ってその場を後にしました。


 帰り道、最寄りの駅は長蛇の列。さすがに並んでいられない、と私たちは一つ先の駅まで歩きました。私はなんだかふわふわと不安定な足取りでした。めまいなのか、酒なのか、あるいは人生そのものなのか。隣の彼はまっすぐ歩いています。世界は不公平です。しかし、不公平の隣でも、寄り添って歩けるのなら、それもまた、悪くないのかもしれません。


 そして今、夜の天井の下。出番を逃した花火が床に放り出されて膝を抱えています。私と同じです。けれど、次回を待てるだけ、あの花火のほうが私より幸福かもしれない。いや、違います、あれはただの三百円。そんなものに嫉妬してどうするのでしょう。それでも、三百円の花火が「次回の口実」になってくれるなら、私も案外しぶとく、明日も小さな光を探して、生きているのでしょう。


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