第4話 神のいない社


月が照らす知らない神社の境内で、夜音は一人本殿へ向かい歩いていた。

何故こんな時間にここにいるのか、何故ツクヨミの気配もないのに一人で神社に来ているのか。

多くの疑問は抱きつつも歩みを止めようという結論には至らない。

無防備に、無遠慮に。

慣れすら感じるその道すがら。

ついに、夜音の足が止まる。

本殿の扉が開き、御神体がその姿を晒そうとして。

夜音の頭が、文字通り輪切りにされてずり落ちる。

赤く染まっていく視界の中で、夜音は聞きなれた音を聞く。

カチン。

刀を納めたとき特有の固い音と、それに続く布擦れの音。

それが、夜音が最初に見た光景と、最後に聞いた音だった。


.............


「っ...!!」

自らの死を自覚して起きる朝は、不快以外に言い表せない気持ちで。

息を吸って、長く吐く。

まだ落ち着かない。

身体に流れる血液が、指先まで冷たいものに置換されたかのように。

とにかく寒い。

寒くて、汗が止まらない。

荒く呼吸を繰り返したあとの数分の小休止の後、ベッドから起き上がる。

「ツクヨミ。」

彼女を呼ぶ。

ふっと現れる彼女の姿を見て、夜音は問う。

「私を殺しましたか?」

分かっていた。

彼女が何を言うのかも。

それが分かっていて、私は彼女に聞く。

聞かなければ、ならなかった。

「(否」

伝えられるべき一文字に、私は安堵の息を吐いて彼女に伝える。

「...良かったです。朝から同居人と殺し合いをしたくはありません。」

「(同」

「えぇ、同じ気持ちで嬉しいです。

...が、疑問も残ります。あの夢は、なんだったのか。」

夢とは、脳の記憶処理だけではない。

神秘的には大きな意味を為す事象の一つである...と、ヘスさんが言っていた。

見る限り、ツクヨミに心当たりはない。

ならば、あの夢はなんなのか。

身に覚えのないストレスか、どこぞの陰気でも背負ったか、それとも。

「正夢か。」

嫌な二文字が脳裏を過って言葉に出すが、言葉に出すと更にその予感が確定的に思えて仕方ない。

こういう出来事に出くわすと、どうしても。

思考がマイナスに寄ってしまうから嫌だ。

様々な逡巡、色々な思案、無数の不安。

現状できること、知っていること。

それらを一つ一つ紐解いて。

そうして、私は強くならなきゃ。

「でないと、いつか。

...私は、私じゃなくなってしまうから。」

その焦りを、神は見つめて。

彼女の背中に手を伸ばそうとして、その細やかな指を、静かに止めた。

_________________



「___つまり、私はパンを焼こうと思っただけなんですよ。別に、営業妨害がしたかったとかではなく。」

そう言いながら、夜音は目の前のトーストをまじまじと見つめる。

...正確には、ひっくり返って焦げしか残っていない二枚の黒い板を。

「これじゃ神宿じゃなくて錬金術師だな...」

「正確には練炭術師だね。」

「さすがはヘスさん上手い事言う。あぁいや、トーストは不味いんだけども。」

失礼なことしか言わない人たちに少なからず苛立ちを覚えながら、失敗したのは自分なので強くは出れない。

「なんかこういう光沢を見てると虫みたいだよな。カブトムシとかムカデとか。」

「……虫はカッコイイじゃないですか。」

カロンの言葉に夜音はそう反論する。

虫は昔から好きだ。

何せ自分たちよりも小さいのに筋肉量や膂力が凄まじいから。

「あれ、夜音ちゃん虫大丈夫系?」

「?カッコイイじゃないですか。強そうで。」

その言葉に何故か嬉しそうな七とヘスに違和感しかないが、二人も虫が好きなのだろうか。

「……それにしても困ったねぇ。元々今日は調理の手伝いをしてもらおうとしてたんだけど、これじゃ当分掛かりそうだ。」

「すみません...」

その言葉には更に頭が上がらない。

喫茶店勤務ということから予想はとっくについていただろうに。

相変わらずの間抜け具合に恥ずかしさで顔が熱い。

「まぁ料理のできるできないは仕方ねぇ。向き不向きもあるしな。

それに関して言えば、夜音はまだできる方だ。

初めて料理作ったときの俺よりかは何倍もマシだな。」

無表情ながらも内容は優しいカロンの言葉が胸に染み込み、その気遣いに感謝と尊敬が溢れる。

何より、自分の知る中で最も腕の立つ料理人であるカロンからのその言葉は、夜音にとってどんな言葉よりも心を奮い立たせるものだった。

「料理のことは一先ずこのくらいにして。

...夜音、七、仕事の話だ。」

にへらとしていたヘスがまじめな顔でこちらを見るので、その圧に気圧されて姿勢が自然と伸びる。

「今回の仕事は廃神社への奉納だ。

前回よりも難易度はかなり高いと思って良い。

三人で仲良く仕事するように、良いね。」

廃神社...

今朝の嫌な感覚がフラッシュバックして、咄嗟に腕を掴んで震えを抑える。

言葉に出さなきゃ、大丈夫。

大丈夫な、筈だ。

心を落ち着かせて思考を再開すると、先ほどのヘスの言葉に違和感があることに気付く。

「あれ、三人って事は...」

「あぁ、今回は俺も同伴だ。」

カロンがそれに答え、夜音は安心する。

理由は何故なのか分からないが、カロンからはそんな雰囲気が常に漏れ出ている。

親のような年の離れたきょうだいのような、そんな安心感。

自分の兄よりも安心する、なんて言ったら兄は怒るだろうか。

「カロンさんが居るなら、俺としては安心だなぁ。これで仕事量も減って堂々とサボれる...」

「ガキが。夜音ならまだしも、お前に手助けする理由はねぇよ。」

「なんと惨い上司なんだ。まるでやる気が出ない。」

「は~い、仲良くね~。」

噛み合っているのかいないのか分からない会話の応酬。

それがこの店の日常で、尊いシーン。

そんな中に早く入りたいと、夜音は気を引き締める。

「それじゃ行ってらっしゃい。その成功を祈ってるよ。」

そんなこんなで三人で店をでて、目的地へと向かう道すがら。

カロンから今回の仕事についての詳細が語られる。

「神社というのは文字通り神の社。

つまり家だ。それで神の居る場は必然的に神秘が強くなる。

そうして神が社からいなくなると、力を持った家だけが遺される。

そこから新しい神が生まれるんだ。

要は逆転だな。神が居るから強い土地になるんじゃなく、強い土地だから神が居るということにされる。

だから新しい神が生まれる。

そういうサイクルが続けば良いんだが...」

「廃神社になると、そうはいかない。」

途中で七が割って入って、変わりに説明を続ける。

「信仰の減少、管理の放棄、まぁ色々な理由があるけど、寂れた神社はいずれ廃神社となる。

んで、廃神社となって神が居なくなったとき。土地は新しい神を創ろうとする。

だがここで、問題が発生する。

元々、土地が創ろうとする神はその土地で信仰されているからこそ神という形を取る。

しかし、廃神社は信仰の無くなった神社。

信仰という型がなくなって本来の形が分からない土地は、土地の力を無定形に垂れ流しにする。

そうして生まれた神は今までの信仰されていた神とはまるで違うものに生まれ変わりるんだ。」

膨大な情報だがなんとか咀嚼して、要約しようと試みる。

「要は、バックアップが無い破損したデータを破損したままなんとか復元しました、みたいな事ですか。」

「...なるほど、そういう解釈もあるか。あぁ、概ねその認識で合っている。」

なんとか正解してホッとするのも束の間。

ここで新たな疑問が浮かぶ。

「神が居なくなるって、どういうことなんです?

廃神社になったならわかるんですけど、信仰されているのに居なくなるのは不自然では?」

「いい質問だ夜音。

そうだな、お前にも分かりやすく言うなら...データは一定の期間で自動削除されるものだ、といったら分かるか?」

「...神に寿命があるんですか?」

「寿命、とは違うな。どちらかと言えば保証期限切れとか消費期限とかか...?」

「???」

「……まぁ難しいことは良い。何れ朽ちる存在として定義されている、そう認識してれば良い。」

朽ちる。

夜音はツクヨミを思って、その口を噤む。

「ツクヨミも...破損したデータ、なんでしょうか。」

なら、いずれ...

「夜音ちゃん、それは違う。

確かに今までも神の話だったけど。

今まで説明してきた神と、神話の神は大いに違う。」

「それは、どういう...」

夜音の疑問に答える為に口を開こうとした七が、足を止めて目の前を見る。

「着いたぞ。ここだ。」

カロンが指すのは、雑木林の中に連なる鳥居。

本殿は見えず、鳥居の奥は昼なのに暗く見えない。

その雰囲気は初めて神秘と戦ったあのときより、遥かにプレッシャーを感じるものであった。

____________


以外にも、本殿までに神秘の襲撃は無かった。

どうやら神秘にとって他者のテリトリーへ侵入することは自殺行為らしい。

それに比べ人は供物を届ける存在として黙認されているとか。

カロンさん曰く...

「黙認っつーか、神は人間を根本的に舐めてるからな。

その癖が何千年経っても無くなんねぇ。

……そんなだから負けるのにな。」

だそうだ。

何本の鳥居を潜ったか。

街の喧騒が消え、木々のざわめきしか聞こえなくなった頃合。

周りを観察しながら歩いていたが、隣のカロンの足が止まったのを見て前方を見る。

木々の晴れた目の前には、小さな社。

所々が崩れてはいたが、その大部分は残っていて。

こじんまりとしている社は、可愛らしさすら感じる。

だがそれは視覚だけの話。

夜音は、直感的に理解していた。

その場所が、リンフォンの地獄と類似した死の気配を漂っている、と。

自然と、緊張から脂汗が浮かぶ。

「夜音ちゃん平気〜?」

「……平気、です。」

「無理はすんなよ。」

そう言って、カロンはずんずんと社に近付いていく。

それに続く七の顔も、まるで何も感じていないかのように涼しげだ。

二人の姿が段々と遠ざかる姿を、私は……

「……っ!!」

誰に宣言するでもなく、1歩目を踏み出して神域へと踏み入り、乗り越える。

「だぁ……!!はぁ……はぁ……!!」

その1歩は誰かの為に踏み出した訳では無いが、その姿をカロンはしっかりと見ていた。

……恐怖を乗り越えること、それ以上の苦痛は無い。

どんな戦士も強者も、自分の恐怖を乗り越えてこそその殻を破る。

特に夜音は神秘に魅入られ過ぎた者。

死については、常人よりも遥かに敏感で現実味を持って接している。

その一歩は、確かに小さなものかもしれない。

でも、それが偉大でないなんて、誰にも推し量れない。

「はっ。」

先生の受け売りが過ぎたか。

たく、夜音を見るとどうしても、あの頃を思い出してしょうがねぇ。

カロンは少し苦笑して、本殿の扉を開け……

「油断、即ち死である。」

正面からの声に、カロンの反応が遅れた。

鳥が飛び立つ。

何かに気付いたかのように。

胸に突き刺された刀を見つめて、カロンは口から血を吐く。

その瞳に動揺は無いが、強い諦観が滲んでいた。

そのまま、カロンは背中から倒れて地面に赤の池を作る。

それを確認したのか、カロンを突き刺した者は本殿の扉を開け放つ。

現れるは、無人の神社を巣にする病魔。

猿の腕に能面を被った、凡そ人の背丈をした神秘。

廃神社に巣食うモノ。

「我が名は”猿薙”。神域を汚す人間よ、疾くその命を置いていけ。」


赤く染まっていく視界の中で、夜音は聞きなれた音を聞く。

カチン。

刀を納めたとき特有の固い音と、それに続く布擦れの音。

それが、夜音が最初に聞いた音と最後に見た光景だった。

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