第5話 戦場に咲く烈花
カロンが倒れ、敵の存在を認識して最初に動いたのは、七であった。
すぐ様鎖を猿薙へと投擲し、その全身を拘束せんとする。
「温いな。」
一本の鎖、その金の軌跡が猿薙へと向かうが、その軌跡は曲げられる。
だがそれに七は反応しない。
本命は別にある。
最初の鎖はフェイク。
それよりも上の軌跡から突如としてもう一本の鎖が出現、そうして初撃を防いだ腕を、七は拘束する。
すぐ猿薙はその拘束を解こうと逆手で刀を振るうが、その刀は軽快な金属音を立てて刀の衝撃を反射する。
そのまま繋がっている猿薙を投げ飛ばし、地面に叩きつけられた隙を見逃さず持っていた鎖の持ち手を、懐にしまってあった釘で地面に打ち付け固定すると、七は即座に飛び上がりながら鎖を五本同時展開する。
先程の反省を活かしたのか、猿薙は片腕を封じられながらも今度は全ての鎖を回避する。
標的を失った鎖は地面に突き刺さり、砂埃が舞う。
猿薙はその鎖の一本を動かせるもう片方の腕で掴むと、先程の意趣返しと言わんばかりに自分の方向に引っ張る。
物理法則に則って、七の身体が刀を構えた猿薙へと引き寄せられる。
が、命を刈り取るその狂刃を前にして、七は一切の動揺なく鎖を離す選択をしない。
刹那、そのまま引き寄せられ、串刺しで終わる筈の七を白い何かが飛び込んで猿薙を越えて着地する。
「さんきゅー、ツクヨミちゃん。怪我ない?」
その言葉に礼の言葉は帰ってこないが、なんか頭を撫でられているので多分大丈夫。
ピンと張った鎖が二本、猿薙の腕を拘束してその端を七はまたも釘で打ち固定する。
猿薙の顔が、僅かだが歪んだ。
これで身動きは取れないだろうと七はゆっくり立ち上がり、気だるそうに肩を落とす。
「なんなのホント、いきなり切りかかって来るとか。」
「(同」
「だよねぇ。」
軽口を叩き合う二人を他所に、猿薙は自らを拘束している鎖を見つめると、忌々しそうに呟く。
「……下賎な人が神を縛るなど、不敬な。」
「そんな下賎な人に縛られてる猿の意見を聞いてもな〜。」
「猿では無い。猿薙だ。」
「あーはいはい。」
相手の答えを適当に受け流し、七はつまらなさそうに相手の首に鎖を巻き付けるとそのまま締め付けて圧迫する。
その最中、ちらりと夜音の方を見る。
……驚いた、あの速度の戦闘だったのにツクヨミちゃんに指示出しながら自分は即座にカロンさんの状態確認に向かうとは。
新人なのにクレバーな働きだよね本当。
おじさん感心しちゃうよ。
一方、そんな感心も露知らず、夜音はカロンの応急処置をしようと駆け寄ってその状態を確認する。
胸を貫かれたカロンの傷は深く、血管は派手に傷付いたらしい。
その証左と言わんばかりに地面には多くの血液が流れ出している。
「夜音か……」
一目で、その状態が分かる。
無理だ。
私には治癒する能力もなければ医療の知識も無い。
精一杯抑えて止血するくらいしか出来ることがない。
夜音は、無理だと分かっていても手で押さえつけてなんとな出血を止めようと試みる。
「……無駄だ、そんなんじゃ止まらねぇ。」
「でも、やらないより……!!」
「……手、離せ。」
その強い言葉と変化した雰囲気に夜音は咄嗟に手を離す。
血液がベッタリと付いた手を眺めて、夜音は濃厚に感じていた。
他者の死、その気配。
カロンの穏やかな顔が、余計に棺の中の母と重なる。
嫌だ。
もう、見たくない。
親しい人の、あの顔は。
もう……
「夜音。」
カロンの言葉で、一気に現実へと引き戻される。
その顔は、生者の輝きを失っていなかった。
「俺はこんなんじゃ死なねぇよ。
だから行け、お前のやるべき事は俺の治療じゃねぇ。」
そう言って、カロンは笑う。
初めて見たかもしれない、カロンの心の底からの笑顔。
本当に無邪気で、子供みたいな顔だ。
その言葉に頷いて頭を下げると、返事もしないまま、私は走り出していた。
夜音が七と合流したのを見て、カロンはポケットからスマホを取り出す。
震えながら出した携帯、慣れた手つきで電話をかける。
スピーカーにして数コール。
無事繋がって、その人物の声が響く。
「”カロン?任務達成の報告は別に要らな……”」
「ヘルメナス。」
カロンがその真名を呼んだ瞬間、向こう側に居るヘスの雰囲気が、明らかに変わった。
「”……へぇ。珍しいね、君が怪我?”」
「油断してた。最近身体動かしてないから焼きが回ったな。相手の武器も上物だ。」
「”そうかいそうかい。”」
重体にも関わらず、二人の会話は日常を切り取ったかのように穏やかだ。
ふと、電話口から奇妙なものが這い出てカロンの耳に、髪に、首に伸びる。
それは糸だ。透明な糸が、まるで意志を持っている生き物かのようにスマホから何本も生えている。
それらが各々長さを伸ばしていき、傷口を見つけると、その中をまさぐって状態を確認する。
「ッッ……!!」
「”死ぬ程痛いだろうに、声も出さない。
そんなに私に弱みを見せるのが嫌、かい?”」
一際太い糸が断裂された肉を撫でると、カロンは顔を歪めて息継ぎが荒ぶる。
「ヘス、お前……楽しんで…ないか……?」
「”そんな訳がない……と言えば嘘になるね。
だって君の弱ってる姿なんて、久しぶりに見たからさ。
……ふぅ、なんだか変な気分になってしまうよ。”」
そのまま傷の様子を直で確認して、ヘスはため息混じりに告げる。
「”……はぁ。肺貫通してるじゃないか。苦手なんだよ呼吸器の修復はさぁ”」
「……悪いな。」
「”なら油断しないでよ、ホント”」
「……すまん。」
雑談しながら、傷口を塞ぐ作業をヘスが怠る事は無い。
慈しみを持って、丁寧に、丁寧に。
ヘスの糸が、カロンを満たす。
____
「七さん。」
「お、夜音ちゃん戻ってきた。」
「(嬉」
夜音との再開に喜んで寄り添うツクヨミだが、とうの夜音の顔色は酷いものだ。その顔は悲痛と後悔で今にも泣きそうだ。私のせいで……と言う言葉が目に見える。
「その……カロンさんが……」
ほらやっぱり言った。
どうせ自分が入るのが遅れたから足引っ張ったとか思ってるんだろう。
気にしないで良いのに。
「大丈夫大丈夫、あの人あの位じゃ死なないし。今多分ヘスさんが治療中でしょ?」
「そ、そうなんです?」
「うん。だから気にしないで良いよ。
……今はそれよりもこっち。」
七の目線の先に居る個体を見る。
今すぐにでも折れそうな程に細くなった首は辛うじて七の鎖で固定されているだけで、それが生物であったのなら生きているとは到底思えなかった。
改めて、人の背丈に猿の腕、能面の無機質さがやはり人では無いと告げている。
全体を観察し終えて、一際目に付いたのはその右手に握っている刀。
紅い刀身は、うっとり見蕩れてしまう程に美しく映る。
「良い刀ですね。」
「……我が刀を良いとするか。
その不敬極まりない発言。娘、やはりお前はまともでは__」
七が咄嗟に封言の術で黙らせその嫌味に夜音は少しばかり考えた素振りをして、しゃがみこんでもう一度紅い刀を見る。
「……すみません、言いすぎました。
私だって、貰い物を貶されたら腹が立ちます。
その気持ちを汲み取れず申し訳ないです。」
…………あ?
上目遣いで夜音は猿薙を見上げるが、その顔はどう見ても相手を見下したものだった。
刀が我の物でないだと?
そんな馬鹿な話があるか。
我はこの刀をあの人間から手に入れて研鑽し磨いてきたのだ。
それを、貰い物だと?
ふざけるな。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな。
猿薙が無言で頭を振る。
鎖で拘束されている首がちぎれそうな程に暴れるが、言葉は出ない。
漏れ出る殺意に、夜音はにこやかな顔で告げる。
「違いましたか?なら、それは盗品ですかね。貴方には似つかわしく無い、その高潔な刀は。」
極めて冷静な言い方、しかしてその目は侮蔑に満ちていた。カロンを刺した敵であると認識しているだけでなく、一介の武人として夜音は刀を見てそう零す。
噛み合っていない歯車を見ているかのように、夜音の目にはチグハグに見えて仕方ない。
見蕩れて、見蕩れて、仕方ない。
だからであろう。
その後ろから迫る猿薙と同じ姿を取った二つの影に、夜音は気付けなかった。
「夜音ちゃん!!」
七の咄嗟の反応虚しく、夜音の後頭部にその刃が迫る。
夜音は反射で体を翻したが、完全なる回避には程遠く、背中に刃の切っ先が。首に至ってはその刃が貫通して血が滴る。
初撃を受けてから遅れて七とツクヨミの2人による援護が放たれるが、既に影はその刀を引き抜いて回避を行っていた。
「ァ……ハァ……」
喉から空気が抜ける感覚を味わって、夜音の視界が明滅する。
温度が一秒一秒ランダムに切り替わっているのかと思うくらい、熱いのか冷たいのかすら分からない。
脳が情報処理の為に忙しなく動いているのを感じる。
自分から血が流れ出ていく感覚は、穴が空いた水風船に近いとすら思う。
……なんて、悠長過ぎるか。
その様を、猿薙は封言を破りつつ心底愉快そうに震えて笑う。
「カカカッ!!神を侮辱するからそうなるのだ、我が刀を侮辱したことを詫びるのであれば……」
「黙れ」
夜音を煽る猿薙の言葉はそこで途切れ、能面を付けた頭が数メートル先の木にめり込む。
その原因は明白、七の鎖がその首を鎖で吹き飛ばしたからである。
「……」
七はその経験値の高さ、性格から普段素の感情を表に出す事は少ない。
戦闘時や仕事中では、感情にブレが生じた者から死んでいくから。
だが、元来の彼は感受性が豊かな激情家である。
でなければ、ツクヨミを救う為に照桜に手など出さない。
彼は今、怒っている。他でもない自分の弱さに。
夜音に傷を付けてしまった自分が、他の何よりも憎いのである。
その圧に、二体の影も一歩下がる。
そんな応酬など気にしている余裕のない夜音は、地面をただ凝視していた。
……普段ならば。
「……っ!!」
震える足を必死に抑えて立ち上がる。
呼吸は誤魔化す、血は気にしない、頭は動いてる。
だから、大丈夫。
「片方は……お願いしますね。」
下がってと言いかけた七を見上げる夜音の瞳は、本当に生き生きとしていて。
あぁ、この子は俺が何を言っても戦うんだと、そう理解した。
深呼吸して、さっきの誤ちを過去にする。
今の七にできる事は、一つだけだ。
「さっさと片付けて援護行くから、無理しないでね、夜音ちゃん。」
七の言葉に感謝の念と血を噛み締めて、夜音はツクヨミと共に影へと飛びかかる。
だが怪我の影響か、その空中姿勢は少しブレて隙がある。
その隙を、片方の影は見逃さず……
「やらせないよぉ。」
影の腕を、何かが拘束する。
その紐状のものは一瞬鎖に見えるが、それは大いに異なる認識だった。
拘束するは、黒く蠢く巨大な百足。
それが七の腕から影の手まで伸び、拘束具としての役割を果たしていた。
その百足を掴みながら、影の全身をまたも投げ飛ばす。
先程も行った強引な分断、それに抗う術を影は未だ持っていない様だ。
「俺の式神”黒百足”。
俺は可愛いと思うんだけど、どうにも女子ウケ悪くてね。
コイツも嫉妬深いから、滅多に仕事には出さんのよ。
でも今おじさん虫の居所が悪くてさぁ。
無理言って出てきて貰っちゃった。
……後輩斬った落とし前はつけろよ、クソザル。」
怒りに染まった瞳は殺意に塗れて。
黒鞭が、無遠慮に影を襲う。
____
七の分断により夜音は一先ず目の前の相手に集中、動きを見つつ現状の把握と考察を行う。
「……と、言いたいんですが。」
上から振り下ろされる太刀を刃を使って受け止め、その拮抗した状態をツクヨミが崩す。
そのままの勢いでツクヨミの隙を補うように夜音の斬撃が影を襲い、更にその夜音の隙を補うようにツクヨミの刺突が穿つ。
負傷によって動きに若干のラグがありつつも、二人のコンビネーションはこの土壇場で極まっていた。
大胆な動きで態と隙を作り、その隙を片方がカウンターとして次に繋げる戦法。
この戦法で今のような攻防が既に十数回は行われており、常に優勢の姿勢でいる夜音は、逆にやりにくさを感じていた。
決め手が無い……いや、作らせて貰えない。
確かに、こちらの攻撃は確実に当たっている。
しかしのらりくらりとした相手の剣筋は、的確にこちらの必要な一撃をいなし、明確な主導権を握らせて貰えない。
恐らく敵は理解しているのだ。
このまま戦闘が続けば失血死するのはこちらである事、防戦さえしていれば確実にこちらの連携に綻びが出ることを。
忌々しく思うと同時に、それほどまでに相手に認められていることに喜びを感じて口の端が歪む。
あぁ、不思議だ。
あの口煩い猿と瓜二つの見た目でありながら、
夜音はその戦いの姿勢を手放しに尊敬し始めていた。
……戦うその姿が、その動きが、彼の者の刀に沿っているからであろう。
流れるような応酬の中で、ふと影の動きが一瞬揺らめいて止まる。
「……ッ!!」
その予想不可の突然の停止を夜音は読み切れず、行動が一瞬固まる。
すかさず、影の太刀が停止分を補うような神速で放たれる。
影の針の穴を通すようなカウンター、これにて三発目。
今回も顔面ギリギリの奇襲であり、こちらの隙を上手く突いた一撃であった。
眼前に通った赤刀の通った軌跡が、いと美しく。
まるでこちらの剣戟を真似ているような意趣返しに、頬が緩んだ。
が、夜音は不審な点に気付く。
余りにも、余りにもこちらの動きが読まれ過ぎている。
分かっている、のか?
「まさか、相手と同じ動きができる……?」
一瞬、斬撃の刹那ではあったが、奇襲を狙うその動きは私とツクヨミの動きを模倣したように見えた。
「あぁ、確信しました。
模倣(コピー)……いえ、ここでは敢えて猿真似と言いましょうか。それが貴方の能力ですね。」
「(正」
夜音の推論はツクヨミのお眼鏡に適ったようで、その顔の文字を正とする。
だが、どうすれば良い。
その推理が正しかったとして、今目の前に居る相手は私とツクヨミの二人を足した動きをする事ができる存在だ。
そんな奴に勝ち目なんて……
その様子を見て、ツクヨミは肩を落として顔の文字を変化させる。
「(呆」
いつもは片手で持つ刀を両手で持ちつつ、ゆっくりと歩き出す。
「ツクヨミ、待っ……っ!!」
夜音はそれを制止しようとしたが、蓄積した怪我と疲労が膝に打撃を与えていたのか、言葉の途中で足が崩れる。
頭では分かっていた。そろそろ限界が来るのだと。しかし身体は思っていたより脆弱だったらしい。
立ち上がる気力も、体力も、既に尽きていた。
無理だ。
ツクヨミ一人じゃ絶対。
だって二人分の強さの相手に、一人なんて。
ツクヨミが途中で振り返って、夜音の顔を凝視する。
そのまま、微笑んだ。
その顔こそ布で見えないが、夜音にはそう感じた。
「(任」
そう文字を変えてツクヨミは再度歩き出す。
影の目の前まで近付いた時、その一歩によって、世界の動きが止まった。
舞う新緑の葉も、遠く騒がしい蝉の群唱も、その全てが停止して。
見る事しか出来ない中、夜音はハッキリと目撃する。
彼女は、そよ風でひらめいた顔の布の下にある口を、こう動かした。
「__散椿__」
止まったかのように引き伸ばされた時間の中で唯一正常に動けたその存在は、両腕で渾身の一太刀を見舞う。
相手の動きを模倣するその力も、結局のところ認識出来なければ作動することも無い。
つまり……
「(死」
その言葉の通りに、影の首はずり落ち地面に咲く事を強制される。
刀を持ったまま絶命した影が示すのは、死を認識するよりも早くその命を刈った事。
その光景に、夜音は絶句する。
仕方がない。同じレベルだと思っていた一心同体とも言える友が、遥かに高い技量で……
「違う」
否である。
困惑はした。驚愕もした。弱い自分に対する劣等も感じた。
絶句という結果だけ見れば、確かに同じ。
だがしかし、そこに至るまでの過程が余りにも違う。
そう。
「あの技を、私は知っている。」
淡い記憶の奥の奥。
目の前の光景と、その技を披露した人物が重なる。
「父、さん……」
その一つの事実が、猿薙の頭よりも遥かに重く、夜音の意識にのしかかった。
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