P.7 Episode 7:正義の代償
April 15th, 2004
晴れ
Samawah, IRAQ
陸上自衛隊 イラク復興支援群 宿営地 CIC
戦闘が終わった後の静寂は、時として銃声よりも重く、人の心を蝕む。
風間が率いるアルファ分隊は、英雄的な行動によって橋と多くの人命を守った。だが、サマワの宿営地に帰還した彼らを待っていたのは、称賛ではなく、東京からの冷たい叱責だった。
「……君は、自分が何をしたか、理解しているのかね」
宿営地の司令部に設置されたスクリーンの中で、市ヶ谷の背広組の一人が、怒りとも侮蔑ともつかない声で言った。風間は、その画面を、表情を変えずに見つめ返している。
「私は、部下と、警護対象である国民、そして現地民間人の命を守りました。それが、我々の任務です」
「任務違いだ、風間三佐! 君の任務は、我が国の『平和貢献』という姿を、国際社会に『演じる』ことだった! 派手な銃撃戦を演じることではない! 今回の件で、野党が国会でどれだけ騒ぎ立てるか! マスコミが、自衛隊の海外派兵は違憲だと、どれだけ我々を叩くか! 君に、その責任が取れるのかね!」
画面の向こうの男の関心は、失われかけた命の数ではなく、国会で失われるであろう政府の議席の数にしか向いていなかった。
(……これか。これが、俺たちが命を懸けて守っている、国家の正体か)
風間の心に、冷たい何かが音もなく積もっていく。
「私は、私の判断に、一切の後悔はありません。報告は以上です」
風間は、一方的に通信を切った。
その日の午後、風間が「自宅謹慎」を命じられ、事実上の更迭、最悪の場合は軍法会議にかけられる、という噂が、分隊内に嵐のように吹き荒れた。
兵舎の空気は、爆発寸前の弾薬庫のように張り詰めていた。
「ふざけんじゃねえぞ!」
倉本が、ベッドの鉄パイプを蹴り上げ、吼えた。
「隊長が、俺たちを、あのガキを、助けてくれたんじゃねえか! なのに、なんだってんだ、あのお偉方は! 俺、東京に乗り込んで、あいつらの頭に銃口突きつけてでも、分からせてやりますよ!」
「やめろ、倉本」
中村が、暴発寸前の親友の肩を、強く掴んだ。
「暴力で訴えれば、俺たちは、テロリストと何も変わらない。俺たちの武器は、真実だけだ。全員で、事実をありのままに報告書に書く。風間隊長の判断が、いかに正しく、そして、尊いものだったかを、証明するんだ」
「そんなもんで、あいつらが動くかよ!」
「動かすんだ。それが、俺たちの、今度の戦いだ」
中村の瞳は、静かだったが、その奥には、決して消えない炎が燃えていた。
事態が、思わぬ方向へ動いたのは、その翌日だった。
風間の元に、サマワに駐留するアメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の部隊長が、面会を求めてきたのだ。
現れたのは、歴戦の強者だけが持つ、穏やかさと鋭さを兼ね備えた、マイルズ・ジャクソン大佐と名乗る男だった。
「カザマ三佐」ジャクソン大佐は、風間の目をじっと見つめると、分厚い手を差し出してきた。「昨日の君の指揮、そして、君の部隊の動き、全て記録映像で見させてもらった。……見事と言うほかない」
風間は、無言でその手を握り返した。
「東京の、お偉いさん方が、君の『ルール違反』にご立腹だそうだな」大佐は、面白そうに笑った。「だが、俺たち戦場の人間からすれば、君の判断は、百点満点の指揮官のそれだ。教科書には、『民間人の子供を救うために、命令を無視しろ』とは書いていない。だが、本物のリーダーは、それをやる。……君の国は、英雄を罰する趣味でもあるのか?」
その言葉は、風間の、凍てつきかけていた心に、小さな火を灯した。
この世界には、まだ、真実を理解する人間がいる。
数日後。
風間への聴取は、アメリカ軍からの非公式な「賞賛」という横槍もあってか、厳重注意という、形だけの処分で終わった。
風間は、アルファ分隊の全員を、再び、あの橋の袂に集めた。
彼は、何も言わなかった。ただ、一人一人の顔を、じっと見つめるだけだった。
そして、深く、頭を下げた。
「……すまなかった。俺の判断で、お前たちを危険に晒した」
それは、完璧な指揮官である彼が、初めて部下に見せた、弱さだったのかもしれない。
「何言ってんすか、隊長!」
倉本が、照れくさそうに頭を掻いた。
「俺たちは、あんたの部下だ。あんたが行くってんなら、地獄の底まで、ついて行きますよ」
「そうだ、隊長」
中村が、穏やかに、しかし力強く頷いた。
「俺たちは、あなたの盾です。どんな理不尽からも、あなたを守る」
他の隊員たちも、無言で頷いている。
風間は、彼らの顔を見渡した。
この日、風間とアルファ分隊の絆は、単なる上官と部下の関係を超え、より強固な、運命共同体のそれへと変わった。
彼らの忠誠は、もはや、東京にいる顔の見えない官僚たちや、国家という曖昧な概念ではなく、ただ一人。
己の全てを懸けて、仲間を守ろうとした指揮官、風間竜司その人に、捧げられることになったのだ。
この、小さな反逆の種が、後に、国家そのものを揺るがす巨大なテロへと芽吹くことを、彼らはまだ、知る由もなかった。
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