P.8 Episode 8:兄弟の番人

August 21st, 2004

砂嵐

Samawah, IRAQ

陸上自衛隊 イラク復興支援群 宿営地



 サマワの夏は、地獄の釜の蓋が開いたかのようだった。気温は摂氏五十度を超え、時折吹き荒れる砂嵐(シャマール)が、全てのものを等しく、乾いた絶望の色に染め上げていく。


 風間への軍法会議騒ぎから数ヶ月。アルファ分隊の絆は、疑心暗鬼に満ちたこの宿営地の中で、逆に異様なまでの純度を増していた。彼らの忠誠は、もはや国家ではなく、風間竜司という一人の男にのみ捧げられていた。


 だが、戦場の神は、その絆を試すかのように、彼らに新たな試練を与え続ける。


 武装勢力の攻撃は、日に日に巧妙かつ残忍になっていた。彼らは、日本の「人道支援」という名の虚構を嘲笑うかのように、学校や病院といった、民間施設への攻撃を繰り返していた。


 「――こちらブラボー! 敵の迫撃砲だ! 座標を送る! 支援を!」


 「クソッ、子供たちがまだ中に!」


 その日、中村は、武装勢力に襲撃された小学校の校舎から、必死で子供たちを運び出していた。彼の背後で、倉本が、鬼のような形相でMP5を乱射し、敵の増援を食い止めている。煙と土埃の中、中村の腕の中で泣き叫ぶ少女の顔が、かつて橋の袂で救った少年、アリの顔と重なる。


 (守る。今度こそ、この手で)


 中村の「盾」は、もはや優しさの象徴ではなかった。それは、あらゆる不条理から、か弱き者たちを守るための、鋼の意志そのものとなっていた。



September 5th, 2004

晴れ

Samawah, IRAQ

郊外幹線道路



 その日、彼らの任務は、補給部隊を護衛し、宿営地へ戻ることだった。だが、それは、敵が周到に仕掛けた、複合的な罠(コンプレックス・アタック)の始まりだった。


 先頭を走っていた高機動車が、道路に仕掛けられた強力なIEDによって、轟音と共に宙を舞った。


 「敵襲!」


 風間の絶叫が響く。


 次の瞬間、道路脇の廃墟群から、RPGと、十字砲火が、彼らの車列に牙を剥いた。


 「中村! 負傷者の確認! 倉本、俺と来い! 敵の火点を叩き潰す!」


 風間と倉本は、弾雨の中を駆け抜け、反撃を開始する。その動きは、もはや人間業ではなかった。風間の的確な指揮と、倉本の獰猛なまでの突進力が、敵の攻撃を真正面から受け止め、押し返していく。


 だが、敵の数は、あまりにも多すぎた。


 中村が、肩を撃たれた陸自隊員を車両の陰に引きずり込んだ、その時だった。


 「――健太、上だ!」


 倉本の、切迫した声。


 中村が見上げると、廃墟の三階の窓から、一人の敵兵が、こちらにRPGを構えていた。


 万事休す。


 中村が、咄嗟に負傷した隊員に覆いかぶさった、その瞬間。


 倉本の身体が、巨大な壁のように、中村の前に立ちはだかった。


 そして、倉本の背中を、数発の銃弾が貫通した。


 「ぐ……ぁっ!」


 鮮血を吹き出し、その場に崩れ落ちる倉本。彼が庇ったことで、RPGの狙いは僅かに逸れ、彼らの数十メートル脇で炸裂した。


 「倉本ッ!」


 中村の、悲鳴のような叫び。


 中村は、震える手で、倉本の身体を抱きかかえる。倉本の戦闘服は、みるみるうちに、真っ赤な血で染まっていく。


 「……へへ……見たかよ、健太……。俺の……背中は……お前より……頑丈だっただろ……?」


 倉本は、血の泡を吹きながら、悪態をつくように笑った。


 その後の記憶は、断片的だった。


 風間が、鬼神のような戦いぶりで、残りの敵を掃討したこと。


 中村が、泣きながら倉本の傷口を圧迫し続けたこと。


 そして、砂塵の向こうから舞い降りてきた、米軍の医療避難(MEDEVAC)ヘリの、黒い機影。


 ヘリから降りてきた米兵の中に、中村は見覚えのある顔を見つけた。


 数年前、バシー海峡で、共に戦ったNAVY SEALsのチームリーダー、マイク・“ハンマー”・ジョンソンだった。


 「……カザマか」


 ハンマーは、担架で運ばれていく倉本の姿を一瞥すると、風間の肩を強く叩いた。


 「まさか、こんな地獄で再会するとはな。……お前の部下は、勇敢だった。俺たちが、必ず、助ける」


 その言葉は、国籍を超えた、戦士同士の、無言の約束だった。


 数日後。


 バグダッドの米軍病院で、倉本は、奇跡的に一命を取り留めた。


 風間と中村が、見舞いに訪れると、彼は、全身包帯だらけの姿で、悪態をついた。


 「……ちくしょう。死ぬかと思ったぜ。……健太、俺の背中に、傷は残るか?」


 「……ああ。一生、消えない傷だ」


 中村は、静かに答えた。


 「そいつは、いい。お前を庇った、英雄の勲章ってわけだ」


 倉本は、そう言うと、満足そうに笑った。


 その笑顔を見て、中村は、初めて、心の底から理解した。


 倉本の「牙」は、ただ敵を傷つけるためだけにあるのではない。それは、彼が、不器用なやり方で、仲間という名の「盾」を守るための、必死の叫びだったのだと。


 そして、彼らもまた、知ることになる。


 この地獄で生まれた、米軍特殊部隊との、血で結ばれた絆が、後に、彼らの運命を、さらに過酷な悲劇へと導くことになるということを。


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