第1話 剣と人の出会いは、いたって平凡なものである
ルドルとの出会いは、もう十年以上も前のことだ。
我輩が刺さっている洞穴のすぐ近くは、何度も村が出来ては栄え、滅びていく。そんな光景を何度も繰り返していたようである。
戦でどれだけ土地が荒廃しても、何十年か経ったら回復し、また自然と人が集まってくる。どうやら肥沃な土地らしく、農業をするには打ってつけの様だ。何度も世代が変わって我輩を見物にやってくる村人が、そんな話をしていたことがある。
現在ルドルのいる村は、ヤドルギという名前の農村らしい。
百年以上前に出来たと、ルドルが語って聞かせてくれた。我輩の声も聞こえないのに、語りかけたきたのだ。変人である。
あれはルドルが四歳くらいの頃だっただろうか。
彼は、いじめっこに追いかけられ、この洞穴まで逃げてきたのだ。
『にげんなよー!』
『まてまてー!』
騒がしいのである。
それが、我輩の感想であった。
肝試しにとこの洞穴にやって来る子供達は多かったが、それ以外で来るのは珍しい。
瞑想をしていたのにと、少し不機嫌に見てみると、小さな茶髪の子供が複数の子供達に追われて逃げ込んでくるところだった。
何度も転んだのか、膝はすりむき、目にはいっぱいの涙が溜まっている。ぎゅっと唇を引き結んでいるのは、それ以上泣かない様にとの矜持だろうか。子供ながら、なかなか強いではないかと、感心したものだ。
『なんでにげるんだよー』
『おれたちといっしょに、あそぼうぜ!』
やんちゃっぽい笑いを浮かべながら、三人くらいの子供が逃げてきた子供を追い詰める。どう好意的に見ても、友好的ではない。いかにも「いじわるしてやるぜ」と顔にでかでかと書かれているような笑い方だ。
一方、我輩の前で座り込んでしまった茶髪の子供は、ぐっと更に唇を噛み締めている。そんなに噛んだら切れるぞ、と我輩は心配になったが、声は届かない。どうしたものかと考え込んでしまう。
『……あそば、ない』
『はあ?』
『んだよ、せっかくなかまにいれてやるって言ってんのに!』
『ちちなしご、のくせして生意気なんだよ!』
ちちなしご。
――とは何であろうか?
乳が出ない子供? だが、目の前の子供は鑑定っぽい魔法を使ったところ、男の子である。乳など出るはずもない。あの子供達は、この子供の性別を知らないのだろうか?
そんな風に我輩が疑問を連ねていると、続きがあった。
『かあちゃん、いってたぜ! おまえんちは、とうちゃんがいないから、いっつもびんぼうだって!』
『はたけも、ひとりでろくにめんどうみれないって!』
『だから、むらのおとこたちにこびるしかないって!』
『……そんなこと、してないっ』
『うそつけー!』
『ちちなしごー!』
『やーい、おまえもおとこにこびうるんだろー!』
なるほど。ちちなしご、とは『父無し子』のことであるか。
見たところ四歳かそこら。こんなに小さい頃から父親がいないとは、さぞ苦労していることだろう。我輩は剣であるから全く関係ないが、ここに時たま訪れてきた独り言の多い旅人達が境遇を語ってくれたことがある。やはり片親だと、色々と世間に色眼鏡で見られることも多かった、と。
しかし、父がいないというのならば、よけいに助けが必要な年頃。
それなのに、こんな風にいじめをするとは。聞けば、子供達の両親まで彼らを悪く言っている様である。人間の風上にも置けないのである。
茶髪の子供は、じっと
堪えながら、我輩を見ている。
我輩が剣だということは、この幼い子供にも理解出来るのだろう。
そして、剣は何を意味するのか。
持てば、――仮に我輩が抜ければ、いじめてくる子供達に報復が出来る。剣を振るえるかは別にして、我が身を守り、撃退する術を持てるのである。
だが。
――この子は、抜かないであろうな。
人間とは、追い詰められれば何をするか分からない生き物である。
だが、直感みたいなものがあった。この目の前にいる子供は、とても優しい心を持つ子だと。
何故なら、ずっと我輩の柄を凝視しているのに、それでも一度も手を伸ばそうとはしなかった。
それは、きっと。彼の中で、「やってはいけないこと」の区別をきちんとつけているからである。
刃物で誰かを傷付けてはいけない。
それを教えられるのは、――村の中で誰一人味方がいないのであれば、彼の母親しかいないであろう。
強く優しい親子なのであろう。母が悪く言われたら、子供は言い返していた。
小さな声ではあったが、確かに彼は母が悪く言われて怒ったのである。
それでも、決して自らは手を上げない。相手を傷付ける行為を取らない。
その見上げた根性、あっぱれである。
故に、少し手を貸して進ぜよう。
我輩は、尚もしつこく言いつのる子供達の足元を目掛けて、ひょいっとつむじ風を放り込んだ。
すると。
『いってええええ!』
すってーん! と軽快なまでに見事に転んだ。少し胸が
一方、茶髪の子供は、突然の出来事にぱち、ぱち、っと大きく目を瞬かせていた。あまりの驚きに涙も引っ込んだらしい。
『て、めえ!』
『なにすんだよ!』
『……ぼ、ぼく、何も』
『うそつけ!』
『せっかくおれたちが、おまえをなかまに……!』
すってーん!
掴みかかってくる様に迫ってきたため、もう一度つむじ風で転ばせた。
すると、子供達はみるみると青ざめ、痛みと恐怖で喉を引きつらせる。
『ひ、ひい……!』
『まけんだ! まけんののろいだ!』
『こいつ、まけんののろいにかかったぞ!』
『にげろー!』
わあああああああ、と一目散に逃げ出す三人の子供達。あれだけ偉そうに茶髪の子供をいじめていたくせに、弱虫である。
ふん、っと我輩が鼻息を鳴らして――実際には音にはなっていないだろうが――いると、じっと強い視線を感じた。
見上げれば、茶髪の子供が不思議そうに我輩を見ていた。こてん、と首を傾げて何度も瞬きをしている。
大きな青い目をした子供だ。今までにも様々な色の目をした人間に会ってきたが、これほどまでに透き通る様な青い目をした者は初めてであった。
『……たすけて、くれたの?』
うむ、そうである。
我輩は返事をしたが、全く相手には聞こえなかった様だ。いつものことである。
仕方がない。どうせ一方的に喋りかけるだけかけてきたら、またどこかへ行くであろう。
そうして、もう二度と会うことはない。
今までずっとそうだった。我輩の下へ立ち寄る者はそれなりにいたが、何度も会いに来る者はいなかった。
それは、そうであろう。我輩は、剣である。しかも不本意なことに、魔剣と言われ、あまり良い方向での意味には取られなくなってしまっているのである。
彼は、特に我輩に恐怖は感じていないようだった。
だが、もう会うことはないだろう。
そう、思っていた。
『ありがとう――みすとる』
みすとる。
それは、誰のことであろうか。
『ぼくはね、ルドルっていうの』
にっこり笑って、ルドルと名乗った子供が右手を伸ばしてくる。
まさか、我輩を引き抜こうとしているのだろうか。万が一そうなったら危ないだろう、と焦った。珍しく焦った。どれほどの凶悪な熊に襲われようとも、全力で我輩を引き抜こうとした荒くれ者に出会おうとも、ここまで焦ったことはない。
ただ、この子供には怪我をさせたくない。
そう思ったのだが。
ルドルは、軽く柄に触れてきただけだった。
『あのね、じこしょうかいのときは、こうしてあくしゅするんだって。おかあさんがおしえてくれたの』
あくしゅ。確か――握手。手を握ること。
それは、手がある人間だけがする行為ではないのか。
我輩は戸惑った。
だが、そんな戸惑いが、声の届かぬ彼に通じるはずもない。
『はじめまして。きみは、みすとる……てぃん? っていうんだって』
『――』
『いいにくいから、みすとるってよぶね。……よろしく、みすとる!』
嬉しそうに――本当に嬉しそうに、ルドルが我輩の柄を握って挨拶をしてきた。
彼の手によって、我輩が抜ける気配はない。
だが、それを少し残念に思うことになるとは、この時の我輩は夢にも思わなかった。
それが、十年以上の付き合いとなるルドルとの、初めての平凡なる出会いだった。
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