第2話 母とは偉大なものである


『あのね、みすとる。きょうはね、おかあさんが「みすとるさんによろしくね」って言ってたよ!』


 いじめっこから助けたあの日から。

 ルドルは、毎日我輩の下に来るようになってしまったのである。

 まさかの懐き具合に、我輩も混乱したのである。


 彼は毎朝、にこにこしながらお弁当を持ってやってきた。


 早朝は母親と一緒に、畑の仕事をしているそうである。子供だから出来ることは少ないそうであるが、種を撒いたり水をやったりと、簡単な仕事ならば適量を守れば出来るのだとか。

 自分の出来る範囲で母親を手伝う。ますます良い子で、我輩は感心した。



 こんな可愛い子供をいじめる子供はもちろん、大人どもは許せないのである。



 我輩の中では、ごっと怒りの炎が燃え盛っていたのだが、ルドルにはとんと伝わらなかった。何となく淋しい。

 しかし、魔剣と噂される正体不明の得体の知れない剣に、子供を近づけさせるとは。よほどルドルが母親に良い印象を訴えてくれたのだろうか。我輩にはよく分からない。

 だが。


『みすとるは、ほんとうにすごいね! かぜ、だせるんだね!』

『あーくくんは、まほうがつかえるんだって。それとおなじかなあ』

『でも、剣がまほうをつかうのは、はじめてらしいよ! みすとる、ほかのくにからたっくさんけんきゅうしゃがやってきちゃうかもね!』


 ごめんである。


 実際、この千年以上で幾度も研究者と呼ばれる者達が、観察や実験をしに来たことはあった。

 そして、総じて自分勝手で横暴で、洞穴ごと国に持ち帰ろうとした馬鹿もいたのである。

 何か現象を起こすのではと、ひたすらじっと待っていた研究者達には、一カ月間何もせずにいればすごすごと引き下がっていった。

 厄介なのは、剣ごと持ち帰ろうとした輩である。



 そんな奴らには、ちょっと「小さな呪い」みたいなものを毎日浴びせることにした。



 具体的には、小さな薄闇を彼らの目だけ覆ったのである。そうすると、全く見えないわけではないが、視界が極端に暗くなって見えにくくなる。

 毎日毎日、洞穴ごと我輩に何かしようとするたびに起こるので、「祟りだ……!」と怯えて逃げ帰っていったのである。

 もっと強い人間ならば、その呪いや祟りと称した魔法さえも物ともせずにいたが、そういう輩には実力行使で何度もつむじ風で転ばせて撤退させた。何度も何度も立ち上がるたびにすぐさま転ばせるという行為を、一日中続けていれば、音を上げるのである。


 小さな仕返しの様なことを繰り返して研究者とやらは撤退させていたが、またそんな面倒なことが起こるのはご免被めんこうむる。

 故に、ルドルとこうして何でもない一日を過ごす方が、よほど気楽であった。


『みすとるは、なにかたべるのかな?』

『剣だからたべないのかなあ』

『でも、いつかいっしょにたべられたらいいね』


 我輩は、剣である。


 故に、食事は必要ない。

 魔法も、己の中から無限に湧き出る様に魔力が内包されているので、際限は無い。ただ、大技を使えないことだけが残念である。つむじ風など、魔剣と呼ばれているこの現状では、しょぼい以外の何物でもない。


『あ、さいきんはね! あーくくんたち、いじめてこなくなったの! みすとるのおかげだね。ありがとう!』

『それからね、おかあさんもすこしずつ、おとなたちとおはなしできるようになってるって』

『たしかねえ……、……あそこはまけんがちからをかす、あくまのいえだ。だから、さからったりわるさをしたら、じぶんたちがわざわいをくらう、っていってた』



 おぬし、何だか祟り神扱いされておらぬか?



 意味を分かっていないらしく、そんなことを楽しそうに語るルドルに、我輩は呆れてしまった。

 だが、我輩のおかげで彼らが舐められなくなったのならば幸いである。少しは我輩にも出来ることがあったのだと、何となく体の中がむず痒い温かさで満たされていった。


『ふふ、……ふしぎだね』

『こうしてずっとおはなししていると、なんだかみすとるが、ちゃんときいててくれるきがするんだ』


 どきり、と我輩の心臓らしきものが高鳴る。

 確かに聞いてはいる。我輩の声が聞こえないだけで、我輩も喋っている。

 彼には、依然として我輩の声は聞こえていない。

 だが、通じるものがあるのだろうか。ルドルは屈託のない笑みで、えへへっと照れくさそうに話し続けてくれた。


『へんだよね? 剣はしゃべらないってみんないうのに』

『でもね。……おかあさんは、「きっとみすとるさんは、ほんとうにあなたのおはなしをきいててくれているの。だから、きいててくれているっておもうのよ」だって』

『ほんとうにそうだといいな』

『……いつか、おしゃべりできるといいな』


 毎朝。毎朝。

 本当に毎朝。欠かさず、彼は来てくれた。

 けれど、一度だけ、来なかったことがあったのである。

 あれは、雨が強く降り注ぐ頃であろうか。雨が降っても雪が降っても、決して欠かさず訪問していたルドルが来なかったのである。

 あまりの土砂降りで、朝から光は届かなかった。よく晴れた日は、気持ちの良い光が洞穴の出口から差し込むのだが、その日はどんな明かりも入り込んではこず、空気と同じくじめじめっとした気分になったものである。


 ルドルは、来なかった。


 一時間、二時間、三時間。

 不思議なことに、我輩は時計というものがなくてもどれだけの時間が流れたかきちんと体感出来るのである。変な機能が付いているものだと、我輩自身知った時には呆れたものだ。

 しかし、何時間経ってもルドルは来なかった。

 どうしたのか。まだ、ルドルと出会ってから一年くらいしか経っていない。寿命を迎えるには早すぎる。

 我輩は、待った。

 そう。我輩は、待つしかなかった。――ここを動けぬ我輩には、それしか出来なかったのである。

 何故、我輩は動けぬのであろうか。いっそ、こんな風に思考というものさえ無ければ、そんな疑問さえ持たなかったであろうに。

 何故。

 何故――。



『……あの』



 気付くと、洞穴の出口に一人の女性が立っていた。

 ほっそりとした体つきの、どこか優し気な女性である。

 どことなく、目つきがルドルに似ている。それだけで、「ああ、母親か」と合点がいった。

 何故、彼女がここに来たのであろうか。彼女がここに来るのは初めてのことである。普段は畑仕事や家事で忙しいから、ルドルも遅い朝ご飯を食べたら帰って行くのに。


 今は、夜になるよりも前のはず。


 彼女が来た。ルドルではなく。

 普段はやって来ない彼女が来たというだけでも違和感だらけだ。

 つまり。



 ルドルに、何かあったのではないか。



 瞬間、どっと押し潰される様な恐怖に襲われた。

 恐怖。これが、恐怖。

 ここに来る旅人から話はよく聞いていたが、体が勝手に震えそうになるほどのものだとは思わなかった。

 訳もなく怖くなる。震えたくもないのに震えてしまう。我輩の場合は、体は動かないので、心だけがみっともなくがくがくぶるぶる震えていた。

 ルドルに、何があった。


 ルドルに――。



『いつも、ルドルがお世話になっています』



 だが、女性が発した声はとても穏やかなものだった。

 とても、ルドルに危機が迫っている様な感じではない。

 そのことに、我輩はどう考えて良いか戸惑った。困惑を与えてくる人間など、ルドルに続き彼女で二人目である。

 女性は、丁寧にフリッサと名乗ってきた。


『ルドルは今、少し熱を出してしまいました』

『ここに来たがっていたのですが、風邪を引いた体で来させるわけにはいきませんでしたから』

『あ、大丈夫ですよ。お医者様にも診てもらっています。薬が効いて、今は眠っていますの』

『……私がここに来ると言ったら、ようやく納得してくれましたのよ? ふふっ。ルドルは本当に、ミストルさんが大好きなんですね』


 ころころと上品に笑う彼女の声は、まるで鈴の音の様だった。なるほど、確かにこれは男達に媚びると揶揄やゆされるだろう。特に嫉妬が混じった女性ならば、彼女にられるのではと感じたのかもしれない。



 恐らく、彼女は村に住む様な平民の出ではない。



 立ち居振る舞い、喋り方、お辞儀の仕方から放たれる雰囲気まで。

 全て、貴族というものが身に付ける所作や空気によく似通っていた。

 どんな事情があるかは知らない。

 だが、本来ならばもっと別の生き方をするべき場所があったはずであろう。


 ――苦労、するであるな。


 どんな理由があれど、彼女は息子を愛している。そして、夫が死んだ後も彼女はここを故郷としている。ルドルが前に、『うちのりょうしんはね、すっごくらぶらぶだったんだって! あーくくんがいってた!』と話してくれたことがある。

 追放か、駆け落ちか、はたまた別の理由か。

 だが、我輩にはそんなことはどうでも良い。ただ、彼女はここで強く生きることを選んだ。慣れない畑仕事で手が荒れ、肌が焼けようと、愛する息子と一緒に生きている。



 そして、彼女がここで生きることを選んでくれたおかげで、我輩はルドルに出会えた。



 そのことに感謝したい。おかげで、千年以上経ってから初めて退屈しない人生――否、剣生を送れているのだから。


『……不思議ですね』


 つらつらと考え事をしていると、フリッサが柔らかく微笑んだ。



『ルドルの言う通り。本当に、貴方は私の話を静かに聞いてくれている気がします』



 まあ、聞いているからな。

 声が伝わらないのだから、信じてはくれないだろうが。

 それでも、彼女は信じてくれたのかもしれない。



 ルドルが、初めて両親の名前を呼んでくれた時のこと。

 それを夫と喜んだこと。

 将来はフリッサに似て美青年になると夫がはしゃいでいたこと。

 初めてはいはいした時には、夫婦で手を取り合って喜んだこと。

 ルドルの未来を見られないことを悲しみ、そして詫びながら夫が病で亡くなったこと。

 ルドルが一生懸命畑仕事を手伝ってくれるようになったこと。

 友達がいなくて心配したこと。

 けれど、ある日突然嬉しそうに我輩のことを話してくれた時のこと。



 時に微笑みながら、時に目を伏せながら、それでも大半は嬉しそうに笑いながら、フリッサは語らってくれた。

 この洞穴は雨のせいで寒い。

 だから、我輩は密かにこの洞穴をすこーしだけ暖かくなる様にじんわりと熱を広げていっていた。

 そのことに気付いていたか気付いていないかは、我輩には分からない。

 けれど、フリッサは時折何かを見渡してから、何も言わずに笑いかけてくれた。


『何だか、……ここにいると、落ち着きます。……ミストルさんが見守ってくれているからでしょうか』


 ゆっくり、ゆっくりと。

 彼女は静かに瞬きをし、――どこか涙ぐむ様に笑顔を滲ませた。



『いつも、ルドルのことを見守って下さってありがとうございます』

『どうか、これからも。ルドルのこと、よろしくお願いします』



 今日はお礼とそのことを伝えに来ました。

 フリッサは丁寧にお辞儀をした後、雨の中、傘を差しながら帰っていった。

 最後まで、ルドルへの思いやりに溢れる女性だった。



 ルドルは、本当に愛されて育っている。



 それを知れて、何となく心の中がほっこりと満たされる様に我輩には感じ取れた。


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