第19話 作者のひとりごと①CNFナノペーパーのこと
セルロースナノペーパー(CNFナノペーパー)は、次世代の構造材として期待されつつも、なかなか実現まで至らない…物質である。
心なくも、
「もうすぐできる」とずっと言われつつ一向に実用化しない
、という意見も見たことがある。
量子コンピュータや(長らく無理そうといわれてきた)汎用人工知能のように、作るにあたっての技術的ハードルが高すぎて作れない、という面もあるが、ほかの有望な物質を見ていくとその実用化の難しさが違った面で見えてくるし、活かし方も考えられるだろう。
技術的問題点として、CNFナノペーパーにはセルロースを高純度に分離する必要がある。しかし最大の問題として、人類は高等植物のセルロースを無傷なままリグニンやヘミセルロースから分離する技術を持ち合わせておらず、分離の過程で必ず損傷を発生させてしまうことが挙げられる。事実、教科書を見てみても「天然セルロースの重合度は起源によって異なり、1000~10000である。しかし、リグニンやヘミセルロースに取り囲まれて存在しているセルロースにダメージを与えることなくセルロースのみを取り出す手法はいまだ確立されておらず、天然の状態の重合度をあらわしているかは疑問である」(「木質の形成」第三版 p.198 海青社)とある。このように、そもそもセルロースの確保に問題がある。
もう一つは、ほかの高強度材料とのバッティングである。
現状高強度透明樹脂としてはポリカーボネートが名実ともに最強と言っていい。合成方法としても、空気中の二酸化炭素を使うものや、植物中の糖分を原料とするもの(作中で上げたイソソルビド系ポリカーボネートはまさにそれだ)が開発されており、石油依存を減らしつつも合成可能である。したがって、石油枯渇後にはさらにポリカーボネートが重視されるようになるだろう。
ポリカーボネートは最大の問題点として紫外線や薬品に弱く、黄ばみを生じてクラックが入るというものがある。しかしこれに関しては解決法はシンプルで、要は紫外線を遮る物質を練りこんでコーティングすればよい。用いられる物質は滑稽にも、肌に塗る日焼け止めとある程度の共通性がある。したがって、ポリカーボネートで作られた町がもしも存在するならば、コーティング職人が黄ばみに目を光らせる社会となるであろう。
さて、ポリカーボネートは耐衝撃性や透明度、成型のしやすさ、耐水性の面でCNFナノペーパーを上回っており、CNFナノペーパーがもし大規模に製造できるとした場合も強敵となることは疑いようもない。したがって、CNFナノペーパーの用途があるとしたら、その高強度を生かした心材として用いる、のがよいかと思われる。要するにCNFナノ紙筒だ。さらに、上記したようにCNFナノペーパーにはセルロースの分離が最大の難敵として立ちはだかり、廃木材の利用というよりも、むしろ積極的にセルロースを設計製造することのほうが方策として堅実かもしれない。
ナタデココで有名なバクテリアセルロースを使うのは一つの方策だが、バクテリアセルロースは親水性が高く強度的にも優れてはおらず、さらにセルロース合成酵素複合体は高等植物のものと大きく異なっていて簡単に遺伝子を組み込むわけにもいかない。そこで、現生植物と比較的構造が近い緑藻を用いるものであればある程度の合成可能性は担保できるだろう。幸い緑藻の場合ヘミセルロースやリグニンが陸上植物ほどには発達しておらず、ゲノムサイズも小さいことが多い。
セルロースは、細胞壁の内側に糸のように配置されていく。さながら細胞壁はセルロースの「繭玉」が、がんじがらめになっているようなものである。(問題は一本の糸ではないことだが…)。この辺りを何とかバイオテクノロジー的に解決し、ミリメートル単位のセルロースナノファイバーを確保できるようになれば――それこそ、人類においてもセルロースが構造材として支配的になる日が来るかもしれない。
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