第18話 作者あとがき「超未来の皮を被った中世ファンタジー」

「タイムマシン」を使った過去渡航ものは沢山あります。


生きた古生物を描くうえで、もはやこれは「避けがたい」といっても過言ではありません。




しかし、そもそもタイムマシン的なものを考えたとき、どのようなものが考えられるか?


それは、きわめて大きな課題です。


そもそも、そんな科学技術はシッポすらつかめていないのです。


ようするに、タイムマシンものを説明するには、おそらく未知の物理法則が発見され、それが実用化されるまでの途方もない年月が必要なのです。


ここで、タイムマシン作品が、どのような形で成り立つかを考えてみましょう。




古生物学は、生物学は、いや科学は日々進歩しています。




つまり、タイムマシンが完成するほど未来、古生物学は今とは全く似ても似つかないものになっているでしょう。たとえば


「生きたT-rex?ニワトリからそっくりそのまま再現したやつ、動物園じゃ定番だよな」


みたいな話になったりするわけです(拙作「メイキング・オブ・ダイナソー」も是非)。




このように、現在の「あたりまえ」は、タイムマシンが開発されたような未来社会と相性が悪いのです。


いや、むしろ、絶対に釣り合わないのです。


そもそも「あたりまえ」とは何でしょう。


私は、作品の寿命というのはないと思っています。


しかし、それを受け取る読者の感性は極めて短命だと信じています。


たとえば、いまの若者が、江戸時代の習俗について知ることはまああまりないでしょうし、大正、明治、いや昭和や平成初期の世界ですらも、いまの若者にとっては異世界なのです!


「スマートフォンのない待ち合わせ」とか。


いやもっといえば、「推理」とか。


だって指紋が―DNAがーといった時代になってしまうと、途端に前提が揺らいできます。


ほかにも有名作ですと、S〇S団のホームページにしたって、ホームページ文化はもうほとんど死んだも同然です。となると、そろそろ前提条件がわからなくなっていく人が増えていくでしょう。




このように、2025年の私たちが認知できる未来、過去は「せいぜい±20年」である、と私は思っています。まあときには、作者の頭、中世修道士かよ――とか、そういう作品もあるにはありますが。


そういう作品は、真の意味でエターナルなのかもしれませんね。しかし、常に難解です。


なぜなら、私たちの「あたりまえ」であり、作者が説明をせずともすんなり入ってくる描写というのは、40年しか寿命がないのです。


つまるところ。


「半世紀を超えて生き続ける作品に描かれる世界は、読者の自由な想像で自動補正されても揺らがないほどの密度でなければならない」


というのが、私の仮説でした。




しかし。


世の中には千年を超える名著というものがあります。


千年前の本が依然として力を持ち続け、人々の認識がひたすらに変わらなかった時代があります。


それは人類の”進歩”に断続平衡説のようなものがあるとすれば平衡期にあたるもので、各地に夥しい数の「停滞期」があります。もっとも有名なのは、中世ヨーロッパです。知識のベースは古代ギリシアや古代ローマでありつづけ、どちらかといえば退化するように見えることすらありました。


この期間の間、世界の前提は変わらず、人々は同じ枠組みで、同じ話を受け取ることができたのです。


しかし、こうした時代にあっても、徐々に学問の進歩は陰ながら進んでいき、のちのルネッサンスなどに繋がっていきました。完全な停滞とは言えない、とも思います。


このように考えると、一つの可能性に思い当たります。




「社会が安定期に入り、進歩が止まったように見える中でも、人知れず超文明が発展していた場合、タイムマシンのような超技術と現在の常識が共存する場合があるかもしれない」


という可能性です。




では、そのような時代がどうして訪れるか?


について、考えてみましょう。




一つの可能性を提示するならば、


「かつて語られたことがすべてを正しく表すと信じられるとき、人は疑うことをやめ、それにただ付き従い、徐々に失伝していく」可能性です。


これは世界地図の歴史だとか、医学の歴史だとか、天文の歴史だとか。


とにかくいろいろなところに目につきます。




そして。「かつて語られたことがすべてを正しく表すと信じられる社会」は、もう目の前に来ています。


何を聞いても一瞬で、かつて語られたことをつぎはぎしてうまいように答えてくれる機械。


そんなものをあたりまえに使えている2025年に私はびっくりです。


なにせこの機械は、「自らが全知全能かのようにふるまう」つまるところ無知の知を知らず、なんにでも答えを作ってしまうのです!ソクラテスの爪の垢を煎じて飲ませたいですね。


そして、まもなく、Webサイトにそうした自動生成された情報が溢れ始めました。




それを見て私は、「情報の自家中毒による世界の中世化が起こるであろう」という解釈に至りました。


より正確には、そう予測することは、必ずしも突飛ではないと確信したのです。




――そう、「科学技術が2025年前後で永久に止まって古い情報が循環する社会」は、実現しうる!


そう思ったとき、私はものすごく興奮しました。




だってこの世界観なら、


「何百年、何千年かけてタイムマシンを作っても、2025年現在の知識で過去の世界を描いていい」


からです!


もう天啓といってもいいでしょう。




そうやって世界を描いていきました。


全知全能を自称する老いたAIが、若干ボケかけた頭ですべてを支配し、それに従うことが美徳とされる。教育も、政策も、すべて政府主体でなくAIの判断によって決まる。AIはブラックボックス的で、いったい何を規範としているのかよくわからない――そんな感じに、です。


しかも、創作していくと、どんどんアイデアを刺激してくるものがあるのです。




たとえば、とあるAI。


勝手に私のワードファイルをいじって、文学的な表現を徹底的に平凡な、オフィスメールみたいな文章に書き替えようと言い出しました!!


もう、「これだ!!」となりましたね。




自動校正AIによる言語の矯正によって言語進化が停滞し、何百年も先の人間も、いまの記述を読める。


そうやって調べてみると、ラテン語文法も凍結されてました。あぁ。


こうやって、設定がどんどんつながり、肉付けされていきます。


たとえば。


情報が枯渇したAIはどうなる?情報を買うしかなくなる。そうするとどうなる?情報単価が上がる。


情報単価が上がるとどうなる?一次資料にアクセスできなくなり、さらにAI依存が上がる、とか。




「現代の中世」


そういう観点から見ていくと、どんどん、思わぬところからヒントが出てきます。


たとえばそうした社会で、「知ることを好むもの、感情を出すもの」はどうなるのか?


「教育の方針」は、どうなっていくのか?


いいヒントは、たとえばベネディクトゥスの戒律に見て取れるでしょう…。




そうしたAI神権政治をまず考え、今度はタイムマシンそのものについて考えます。




タイムマシンの方法論としてはたとえば過去につながるワームホール的なものがよく用いられます。しかし、ワームホール、しかも人が通れるほどの大きさとなると、おそらくものすごく巨大なエネルギーが必要でしょう。超新星からエネルギーを――いやどうやって超新星行くんだ、みたいな。


光速は拘束であって、それを越えようとすれば自然とタイムマシン問題に直結し、タイムマシンのためのエネルギー源はいったいどこから?という話になってきます…。


そこで、少なくともパラレルワールド的なものが言われている実在の説、という観点から、量子力学の多世界解釈を用いました。この多世界解釈というのもまた、分岐した世界を突破することは不可能であるがゆえに証明不可能といったたぐいなのですが…まあ、なにか革新的なものが発見されたんでしょう、というものです。分岐した世界の時間的ずれが世界のフォールディングにより生じるというのも、まあSFではよくあるでたらめですが――カセットテープがぐちゃぐちゃっとなって途中で重なってるようなものを想像しながら。分岐により生じた他世界がだいたい同じ世界であるということは、量子レベルの違いは殆ど差を生み出しようがないのでは?ということからの発想です。




さて、こうしたタイムマシン設備が「ポケットサイズ」なわけがありません。


ものすごいエネルギーを食う巨大な建造物であるはずなんです。人間はいままで自然を数知れぬほど(部分的に)超えてきましたから、千年後の未来が太陽を上回るような超核融合炉を量産していてもさほど驚きません。しかし問題になるのはその建造にかかる年数です。人間の技術がいかに進んでも、採掘やパーツ製造は早くならないです。そうなると、地球外縁から資源小惑星を輸出する勢力が長期にわたり特需に沸き繁栄した、という設定は必然的に出てきます。そうならないとおかしい。




ところで、作中解釈が必ずしも公式見解ではないことには注意が必要です。


登場人物は作者の代弁者ではなく、登場人物の語りは、その視点からのバイアスを含んだ、世界への推測でしかないからです。そして、作者は意図的に登場人物を誤解させるケースがよくあります。


メモリアルホールの解説版、あれにまともなことが書いてあると、思うでしょうか。


文体というのは人の心をあらわします。


乱れた心があれば、乱れた文が出てきます。


と、言う人がいるかもしれません。


作中で述べられているように、長期にわたる建造計画があれば、それを支える維持計画があったと考えるべきです。しかしこのことは、単なる恨みを持った人間による、筋が通ってしまった曲解かもしれない、と、あの文体は告げているのです。しかしあれもまた、もしかすると「一般化しなかった、正当な進化を遂げた千年後の言語」なのかもしれませんから、どちらが正しいのか、というのは解釈次第です。


歴史は、あとから作られるもの、という意見があります。


これはいろいろな意味がありますが、当時はまったくそんな意図はなかったが、あとから見るとつじつまよくつながるため、その方向に社会が動いていった、という解釈をできるかもしれません。そのうえで、「千年を超えるための計画群」を見てみましょう。「千年間まったく変わらない言語。千年先にも続く縮小小型化された社会。都市社会においての人口減少対策、イノベーション対策、資源需要の増加対策」、などなど。これらは社会の停滞の原因であり促進因子です。ニワトリが先か卵か先か、という話になります。しかしこれらは、そういう目的があったのかなかったのかは別にしろ、自己反応的に、勝手に生じて着うるものです。


私たちは日々、このような停滞の目に目を光らせるべきだ、というような、政治主張をするつもりはありません。しかし単純に、それらは「もし、〇〇だったら」というおもしろい創作のタネであって、見つけるたびに「おやおや、こんなところに」と口元がふやけるのです。




――ここまでが、「超時空ゲートのある世界」作者あとがきです。




では、石炭紀に行きましょう。こんなクソ世界なんか捨てて。

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