第12話 透明な街と、セルロース。
新市街。
上から見下ろすのには見慣れていても、ここに来るのは初めてだ。
ガラスづくりのような街。角度によって、風情が変わる。
スーツに身を包んで行き交う人々、奇抜なファッションに身を包むもの。
みな、見慣れた重層都市の人々よりシュッとして見えた。
いつもは、通り過ぎるだけ。
何もかも新しく、軽薄な街――そんな印象を抱いていた。
けれど、実際にいざ歩いてみると、これもまた良い。
ケイはきょろきょろと見回した。
――透明なもののデザイン性というのは、どうも、それがもたらす屈折によりもたらされるように思えてならない。もし屈折率がまったくのゼロの物体があったら、そこには微塵の美しさもないだろう。というより――光はそのまま直進し、背景を完全に忠実に透過させるだけ。 つまり「存在しないのと変わらない」のだ。
透明な窓に、そっと触れると、ほんのりとぬくもりがあった。
こんこん、と叩いてみる。鈍い音がした。
ガラスでは、ない。もっと軽くて、しなやかな素材だ。
建材をよく見ると、光によく当たる部分は、しばしば黄ばんでいる――
いっぽうで、まったく黄ばんでいない部材もある。
――だから、しょっちゅう建て替えるのか。と、ケイは合点する。
さて、新市街のクリスタルな街をつくる、この建材。はたして、何だろうか?
ケイは、柱にぐい、と顔を近づける。
磨き上げられた界面。
小さな顔の輪郭が、幾重にも映る。
ブリリアントカットのように煌めいた。
どうりで――この街の柱は、実態よりもはるかに細く見えるわけだ。
幾重にも見える正体は――透明な柱の中に、それより透明度が少し低い心材が入っていることによる。
なるほど。
CNFナノペーパーを円筒状に曲げて作られた心材をイソソルビド系ポリカーボネートで埋設し、表面は分厚い耐UVコートしているわけか。
耐衝撃性と透明性をポリカーボネートで確保し、靭性を年輪のように幾重にも重ねられたCNFナノペーパーで補っているのだろう。
ふと見上げると、透明に磨き上げられた壁の上に――男がいる。
彼は腰に命綱をつけながら、一枚一枚、窓や柱を磨いていた。
「そこの坊ちゃん、何してるんですか?」
話しかけられたのは、こっちのほうだった。
ケイは思う。たしかに、ものすごく怪しい。
「この街にくるのは初めてなもんで、この建材どうなってるかなって」
――自分で言っていても、怪しさしかない。
子供にしか見えないいでたちでなかったら、即通報だっただろう。
こんな時ばかりは、容姿に呪われたことに感謝する――よほど怪しいことをしていても、少なくとも大きなトラブルには巻き込まれにくいから。
「この辺の街並みは、もう10年目だからねえ、建て替えましょうって方々で言ってるんだけどね」
「まだ、こんなにきれいなのに」
「まだきれいに見えるうちに建て替えないと、建て替え予約も三年待ちだからねえ。家を持つときには、とにかくこまめにコーティングを確認して、早め早めに動かないと――あっという間に、あばら家ですよ」
ポリカーボネートは紫外線で黄ばみやすい。混合剤とコーティングで対応するにしてもそれでも僅かな黄ばみや汚れは、この街ではあまりにも目立つ。
――だから、あちこちで建て替えが行われているわけだ。こんな高機能材料をたった10年や20年で廃棄してしまうのはもったいないと思うが。
「慣れてないお客さんは言うんですよ、「まだきれいって」。でもね―、夕日に照らされると、ほんっと目立つんですよ。」
ごくわずかな黄ばみや色あせが、夕日に照らされてぼうっと、いよいよ黄色味を増して見えた。
――たしかにみすぼらしい、のかもしれない。
しかし、少しくすんで黄ばんだ色合いのほうが、寧ろ落ち着くようにも、ケイには思えてならなかった。あまり新しいというのも、ギラギラして落ち着かない。
飴色に鈍く光るのだって――そう、悪いことではないように、思う。
***
はるか昔、なんでも石油で作っていた時代があったらしい。
古今東西、さまざまな透明素材が使われてきた。
ガラス、アクリル、ポリカーボネート、などなど。
その中で、とくに長く生き残ったのはー―
植物から作られる2つの堅牢な物質、
イソソルビド系ポリカーボネートと――なんと、紙だ。
紙は白いじゃないか。そう思う人がいるだろう。
しかし――白いというのは、なにか?
白いというのは、光が散乱している、ということである。
透明なガラスを、細かく割っていくことを考えてほしい。
はじめは透明だったガラスも、砕けばだんだんと――白っぽく見えるようになる。
これは、空気とガラスの界面で光が屈折、反射を繰り返して散乱するためである。
紙が白いのも、同じ理由だ。
紙は無数の細く透明な繊維が絡み合ってできている。
だから、繊維と空気の界面で光が散乱する――というわけだ。
――では、繊維をどんどん細かく、密にしていったらどうか?
光の散乱が抑えられ、ガラスのように透明、かつ軽量な紙ができるのである。
***
ケイが足元をみおろすと、そんな人工的な街の柱の隙間から、ごく小さなハマツメクサがいくらか生えているのが見当たった。
--こんな人工的な街中にも、植物はしたたかに進出している。
あるいは、「パクった材料で何のさばってんだ」とでも言いたいのかもしれない。
セルロースは生物においてはかなり人気がある物質だ。
陸上植物だけでなく、緑藻や一部のバクテリア、さらにはホヤにまで使われている。
――まあ、もっともありふれた単糖類であるグルコースをα-1,4結合させて堅固な鎖構造にしたものだから、大人気な分子なのもうなずける。
陸上植物においては、すくなくとも4億年前からこちら、細胞壁を作り、細胞を支える物質の大部分は、大きく分けて3つからなる。
セルロース、そして腐朽耐性や耐水性を与えるリグニン、セルロースの橋渡しをになったりリグニン沈着の起点となる、ヘミセルロースだ。
植物はこの、「3種の神器」で体を支え、過去4億年にもわたって地上を支配してきた。
セルロースには、その鎖構造の立体配置が異なる2つのタイプ、IαとIβがある。
藻類がつくるセルロースは、おもにIαだ。
しかし――陸上植物では、リグニンやヘミセルロースによって強化されたセルロースIβが、陸上で重力に抗うために用いられるようになった。
自然界に見られるセルロースは、じつに多種多様だ。
その性質を決めているのは、おもに細胞の原形質膜上に局在する終末複合体である。その配列や規模、作るセルロースのタイプはさまざまで、”出てくるセルロースの、リボン状のもの、とても細い柱状のもの、中にはその何倍も太いもの――と、とにかくいろいろだ。
これは、生物の進化の過程でセルロースが試行錯誤の末に洗練されていったことを無言で物語っている。
――このごろは、人間も加わったようだ。
緑藻の終末複合体を分子設計することにより、より高強度で純粋なセルロースIβが合成できるようになった。耐熱性にはそこまで強くないのが残念だが、部分的にはカーボンナノチューブに匹敵しうるらしく、製造の容易性もあってよく普及している。
――なにせ、培地と光と水あれば、とくに高度な化学工場がなくとも、洋上ファームで大量培養できてしまうのだ。
食用のデンプンを作る生産ラインと、ほとんど共有できてしまう。
なお、ここまで話をすると、セルロースなんて、どこにでもあるじゃないか?作物残渣を使ったらどうだ、などという質問が出てくるかもしれない。
――しかし、陸上植物の作物残渣を原料とするには、セルロースをつなぎとめ、膠のように補強するリグニンおよびヘミセルロースの除去に極めて大きなコストがかかるし、その過程でミクロフィブリルがぶつぶつと切れてしまう。
もっとも、利用しやすいようにリグニン含有量や化学組成を変えた作物は古くから数多く作られてきたけれど――耐病性に劣る品種が多かった、とする見解もある。
たしかに、リグニンは植物を水や病原体から守る楯であり鎧だ。
それを削減すれば――そうもなるだろう。
建材一本を観察しているうちに、伸びない背の影ばかりが急成長していた。
――私だけを取り残して、時間はどんどん、先走っていく。
ケイはこのガラス張りならぬ紙張りの街において、どの店に入るか悩んでいた。
色々悩んだけれど、どうもこの街は何でもかんでもピカピカしていて、全然落ち着けない。夕日でギラギラした町は、なんというか、どうも古本屋のドブネズミがいてはいけない場所のように、思えてならなかった。
結局――
重層都市で通いなれた、サンバースト・コーヒー。
大衆派の、どこにでもある店。
有機ELの作る柔らかな光、黒系で統一された店内。
ふっと肩の力が抜ける。
そして、結局旅に出てもまた、日常を求めてしまう自分に気づく。
――しまった、ここは新市街らしく、もっとキャピキャピした、“女の子らしい”店に入るべきだったかもしれない。
でも――そんな店でフリフリのスイーツを食べる姿は、どうも想像すると――それだけで疲れがたまって、明日からの石炭紀行きに支障が出そうだ。
仕事を終えたサラリーマンたちが、大声で喋っている。
「うちもローンが終わってないのに建て替えろって話が来てさ、正直追い返したのさ」
「だから言ったろ?家を建てるなら、1階建てでできるだけ小さいのに限るって。」
「俺もローン終わらないうちに建て替え3回だよ、どんどん庭の面積が広くなってさ」
――やっぱり、そうなるか。
床板や天井まで鈍く透明なこの街が、背が低く1~2階建てばかりなのも納得である、と旅行メモに走り書きした。
そして、矢印を書いて、追記。
「ただ、たぶんこの終わらない建設ラッシュが、新市街の景気を作っているのだろう。おそらく「黄ばみによる高頻度の建て替えによって、この都市の高い経済活動が支えられている」。下線部要出典、後で調べろ!」
ま、調べるまでは本当かどうかわからない、仮説だけど。
――カフェというのは、本当にいろいろな観察ができて、面白い。
それに――少なくともここなら――ダラダラと時間をつぶしていても、許されるだろう。
「ピートコーヒーを1杯、シュガーなしで。テイストは全部お任せで」
持ち上げたコーヒーカップの裏を見れば、裏に小さく「G-リグニン樹脂使用耐熱カップ」とあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます