第11話 旅立ちの、前に

時空共通暦五十二年、地球、旧東京。




――明日から、石炭紀への旅が始まる。そんな実感は、まだなかった。


重層都市のてっぺん――第一層から、空を見上げる。


日はすでに、傾いてきている。




空があるところ、どこにいたって見えるものがある。


地平線に突き刺さるような、一本の線。見上げても、頂上は霞の向こう。


衝突防止灯が、きらきらと点滅している。


望遠鏡で拡大すると、無数のぷつぷつが、ゆっくり、ゆっくりと空へ昇っていく。




――軌道エレベーターだ。


あれをみるたび、マヨイアイオイクラゲみたいだと思う。




ケイは何度も、肩の荷物を確かめた。


――軽すぎる。


そう、荷物はもう、三週間も前に旅に出てしまった。


あのくらげ――いや、軌道エレベーターの貨物便に乗せられ、空へとゆっくり上がっていったはずだ。




なのに、私はまだ地上にいる。




手持ちは、ほんのこれっぽっち。


街歩きでもするんですか、という軽装だった。


明日までに、空港につけばいい。


だから――今日くらい、街歩きしてもいいだろう。




ビルの隙間からふと、海が見える。水平線の、彼方。


重層都市礁は、まるで、陸に打ち上げられた巨大な船のようだ。


あるいは――ギアナ高地のテーブル・マウンテンにも、近い。


標高、250m。


見渡せば、重層都市礁が東京湾を囲うように、切り立った“壁”を並べていた。


かつての都市は塀で囲われ、セメントを流し込まれ、上に都市が建てられた。


幾ば世代と積み重なった都市の骸は、百メートル以上も地面を押し上げる。


海中で育ったサンゴ礁が、いつしか積み重なり海面に顔を出す。


――それに、よく似ている。


ひとはいつ、バベルの塔に届いてしまうのだろうか。




見下ろせば、そのふもとに、きらきらと光る別の街が広がっている。


――新市街。


ガラス細工のような街並みが、きらきらと光っている。


少し触ったら、壊れてしまいそうな、合成樹脂製の街並み。


そこへ、いくつものスロープがおろされている。


――観光エスカレーターだ。




空の架け橋から見下ろせば、茜色の黄昏に、家々が煌めいている。


何もかもが、透明な街――。


双眼鏡で覗けば、家の中まではっきりと見てとれた。


キラキラと輝く街のあちこちで、土ぼこりを上がる。


夕日に照らされたクレーンが、黒い影を落としている。


建て替えは、十年に一度はするものらしい。


樹脂が黄ばんで、かすれてしまうから。


――なにもかも、逆だ。


コンクリ造りの重層都市礁に、自分の家というものはない。住処はすべて、何世代も前の、借り物。人工照明が一日を演出し、本物の空は、ステータス。


だから新市街の人々は、自由な空や自分の家に憧れ、大空に1~2階建ての透明な家を建て、しょっちゅう建て替えるのだろう。


――世界の歪みが、結晶化していた。


透明で、壊れやすくて、それでも空を求めて立ち並ぶ家々。


そんな街並みを、空を行くハシボソガラスの群れが、見下ろしていた。




新市街ができたのは――40年前。


時空植民がはじまったときだ。


それまで、重層都市の外での暮らしは、禁止されていた。


それまで何世紀も、生身の人類が暮らせる場所は、地球しかなかったから――


目の前に広がる街に住むのは、幾世紀も続いた抑圧からのがれ、自由を求めた人々


――そんなすべてが、重層都市礁に見下ろされていた。


目下に広がる、新しく、薄く、透明な街。


ケイは、肩を軽く振る。すっからかんのザックの中身が、からから、と揺れた。


あの口うるさいTWINSも、置いてきた。


だから、本当に、ひとり。


たまには、こういう“軽い”ひとり旅もいいかもしれない。


――これから来る、古く、重く、みっしりとしたふたり旅の前に。

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