第5話 第一階層

日曜。

旧東京重層都市礁 第十二階層。

古書堂のある階層には、ケイたち以外、ほとんどだれも住んでいない。

太陽の光も届かず、電源の供給にも問題のある下層――おもに、第十階層以下に住む人がいれば――それはまず間違いなく、職か、戸籍がない人で、まともな食い扶持のないものだ。

しかし、例外がある。

古書堂にだけは、合法な電線が引かれて毎日煌々と灯りがともるのだ。そ

して、古書堂の店員と、その家族が住んでいる。

しかし、安住の地ではない古書堂は、火災発生時には書物を守るために消火ガスが充満する構造となっている。

もし有事の際に消火ガスがもれれば、空中の酸素が急激に奪われて一瞬のうちに窒息する、ということである。

そして、火気制限もまた、厳しい。

だから、彼らはいつしかその居住区を、「No Man‘s Land」とよぶようになった。書架を守る強化外壁の外周には、そうした居住区のほかにも、幾らかの管理設備が並んでいた。


ケイはそこを歩きながら、ふと、コンクリートの色が四角く変わった場所に気づく。

おそらく、壁が塞がれたあとだろう。


この階層にも、かつてはほかの居住区もあったという――が、ケイの物心がつく頃には、みな閉鎖されてしまっていた。

強化外壁の奥に、四角い窓が見えてきた。


従業員用エレベーターである。

エレベーターで、第5層まで上昇する。

窓を覗けば階層ごとに、明るく照明の灯った階層と、真っ暗な階層が交互に視界をよぎっていく。


そう――階層都市では、人工的な昼光色、夕焼けを模した橙色、あるいは夜空の青黒へと、有機ELの色と暗さが時を刻み、一日の周期は階層ごとに交互に逆転している。


本来人間の概日リズムを調律していたはずの本物の空は、遥か上層、第一層と第二層までしか届かない。


第五層。雑踏の中、ケイは鉄道に乗り換える。

車窓からは、増改築を続けた家屋、道端に放置された自転車、ベランダや軒先に放置された発泡箱からにょきにょきとトマトが伸びていたり、道端で露店が開かれていたり――いろいろな混沌が垣間見える。


ふと車内広告を見ると、「食料品高騰にストップを!」という看板とか、「一家をあげて、過去へ」「頭以外、ツルっとしよう!脱毛なら鶴美容皮膚科」などが目についた。


 エレベーターに乗り換え、さらに上へ。

ついに、第二層。

ダクトを通って太陽光を直接分配する分光照明が、今までとは違う本物の太陽光を届けている。

床はツルツルに磨き上げられた、大理石。

小さな唇のような模様は、石炭紀からペルム紀に栄えたフズリナ類の化石だ。

ケイは自らの服を見下ろした――灰色の、いつものジャケット。

薄汚いドブネズミが迷い込んだような気がしてならなかった。

えもいわれぬ背徳感から、足早に第一層につながるエレベーターへと、駆け込んだ。


第一層。

扉が開くとともに、眼を刺すような光線に、思わず目を細める。

フィールドを駆けまわっていた大学時代を思い出して、懐かしかった。

じりじりと肌に照り付ける、熱、光、紫外線。


太陽光は、私たち重層都市礁の人間にとって、富の象徴だ。

第一層にあるのは、ざっくりいうと三つだ。

邸宅、企業本社、そして公園。

ケイが訪れたことがあるのは、むろん公園のみである。

日曜の公園は、どこを向いても何人か人がいる。

しかし、じりじりと照り付ける太陽といい、容赦ない暑さといい、ここで歩くのには少々命の危険を感じる。

ああ、森なり林なり、ちょっとは都市から離れた、あまり人のいない場所にまた行きたいものだ

――と、ケイは思う。

たまらず公園の日陰に入れば少々、日差しは和らぐ。

が、体温とほとんど変わらない熱風が、徐々に体の力を奪っていくし、ふと横を見れば、たいてい誰かしらの人間が、5m圏内にいる。


そんな、過酷な環境にもかかわらず。

人は、やはり空と太陽に吸い寄せられてしまうのかもしれない。

道行く人に真っ赤に日焼けした人が多いのは、おそらくその特別な光と気分を味わいたかったのだろう――ここでは太陽光とは、贅沢の象徴なのだから。


そして――この人口密度は、環境収容力をとうに超えている。

こんなに、人とその建造物が地球を覆いつくしているのに、21世紀の地球には、今の三倍も人がいたらしいことは、なんとも驚くべきことである。


ああ、そんな時代には生まれたくなかった。


――と、ケイは思うのだった。

足元の芝生を見ると、黄緑色で葉幅の広く、幅広の葉鞘が目立つイヌシバの隙間から、濃緑色で光沢があり、細くとがったハマスゲの葉がツンツンと突き出していた。

そして、石畳には白い石英や長石を基調に、キラキラと黒雲母が光る。

大陸地殻を構成する代表的な石、花崗岩である。


メタセコイアの影から、黒く燻された木の外壁と真っ白な壁、そして滑稽なまでに高い屋根がすっと顔を出す。

数世紀前の世界からそのまま顔を出したようなその建物は、ケイの目をくぎ付けにした。

しばらく立ち止まって、ただ見上げるだけだった。

Rustic。

真っ白な壁をそっと手で触ると、見た目以上に硬かった。

漆喰か。消石灰をベースに骨材や繊維などを混ぜ込んで作られたもので、適切に保管すれば、千年以上ももつという。そこに垣間見える黒々とした柱は、いったいいつ伐られたものだろう??年輪暦の知識はないが、もしかするとこれからでも年月を特定する方法があったりしないだろうか――ケイはすっかり、不安のことなど忘れて高揚していた。



 しかし、そんな高揚も、すぐに消し飛んだ。

入口に、小さな札がかかっている。

「貸し切り」

 ――そんなこと、聞いていない。

おそるおそる戸を開けると、店主が静かに一礼して招き入れる。

残されたのは、中から漂うコーヒーの香りと、静寂だった。



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