第3話 悪魔
——ガイーシャ。
『フューチャープレディクション』において、戦闘面こそ最強とは言わないが、情報面という部分で見れば間違いなく最高の悪魔と言える。
何より奴の権能がどうしても俺に、俺の計画に必要だった。
奴を奴たらしめる最高の瞳——『千里眼』の力が。
奴の眼を前に、如何なる隠し事も通用しない。一律に情報でしかない。
過去と未来を視る力こそないが、その事象が今現在起きているのであれば全て奴の瞳に映ってしまう。
「——……」
『あぁ? テメェが呼んだんじゃねぇのか? なんか言えよ』
ドラゴンのぬいぐるみ——に憑依したガイーシャが、俺の瞳を覗き込むように近付いてきた。
対する俺は、ただその真紅のルビーの瞳を見返すのみ。声は出なかった。
……これが、悪魔か……ッ!!
威圧感が身体を打ちつけ、鳥肌と寒気が止まらない。
舌が乾く。そのくせ冷や汗が寝巻きを濡らしやがる。
あの瞳に射抜かれるだけで耳鳴りがして、呼吸もままならなくなる。
はっきり言って——次元が違った。
ただ、いつまでも怯えてはいられない。俺はシアラの姿を思い出して勇気を奮い立たせながら口を開いた。
「……呼び出したのに無言で悪かった。少し、圧倒されて言葉が出なかった。だが、もう問題ない」
『へぇ……瞳から怯えが消えたな。テメェ、自分の感情を制御できるのか?』
「元サラリーマンには必須スキルだよ」
俺が一体どれだけ無理難題を押し付けてくる上司を前に取り繕ってきたと思っているんだ。いつも笑顔の下でぶん殴ってやろうとか平気で考えていたよ。
『カハハハッ、面白ぇ。それと……この俺様をして聞いたことない単語を言ったな。何者だ?』
「識りたいか? ——俺と契約してくれるなら、教えてやってもいい」
そう言った瞬間、俺の全細胞がけたたましい警鐘を鳴らした。
同時に俺の身体に降り掛かる重圧が倍増する。思わず後ずさり、顔を歪めた。
「くっ……」
『テメェ……この俺様に取引を持ち掛けてんのか?』
ガイーシャが底冷えする声色で言う。どうやら俺が主導権を握ろうとしたことが気に入らないらしかった。
『いいか、矮小な生き物。いつ如何なる時も俺様が上で、テメェが下だ。分かったなら言葉に気を付けろ。さもないと殺すぞ』
明らかな脅しだ。——が、俺は知っている。
奴はその瞳からも分かる通り、情報に目がない。
故に——
「——お前は、絶対に俺を殺さない……っ。転生者であるこの俺はな……っ!」
『ほう……』
異世界の……更にはこの世界の未来をも知る俺は、奴にとって情報の金庫だ。転生者なんて希少な存在を奴がみすみす逃すなんて阿呆なことをするはずもない。
しかしここで間違ってはいけないのは——奴は殺せないのではなく殺さない、ということだ。
非常に情けない話にはなるが、今のドラゴンのぬいぐるみ状態のガイーシャでさえ俺を殺すのに数秒と掛からないだろう。だって今の俺、クソザコナメクジだし。
なんて思考を巡らせる俺を他所に、ガイーシャが幾分か高揚した声色で言った。
『どうやら随分と自信があるみてぇだな。なぁ、一つ教えてくれよ。その情報によっては……テメェとそれなりの契約を結んでやる』
よし、食い付いた。
「確かにそれも言いけど……対等の契約を結んでくれるなら、契約後に俺が持つ情報の中でも特大の情報を教えてやってもいい」
『…………』
俺は出来るだけ気丈に、いっそ傲慢と捉えられるほどの尊大な態度で提案する。
これも当然策の一つだ。俺が持つ特大の情報が、決して奴に殺されないと断言出来るモノだと奴自身に思わせる。
悪魔も神も好奇心が人一倍強い。
そして好奇心は時に理性をも上回る——ことを信じる他ない。奴を俺の計画に組み込むにはこれしか方法がないのだ。
『…………いいだろう、対等な契約を結んでやる。ただ、契約するとなれば対価は払ってもらうぞ』
数分にも及ぶ沈黙の末、少々憮然としながらもガイーシャが首肯する。賭けに勝った瞬間だった。
俺は吊り上がりそうになる口角を必死に抑え、出来るだけ冷静に言葉を紡ぐ。
「あぁ、もちろんだ。それに対価とは別に俺の持っている情報をタダでやる」
『……カハハハッ、末恐ろしいガキだ。さっきまでブルブル震える矮小な生き物だったくせに、腹立つくらい俺様たち悪魔の弱点を的確に突いてきやがる。これもテメェが持つ情報の一部ってことか?』
「まぁな。他にもあるけど……今は早く契約に移ろう。あまり時間が空くとお前の気が変わらないとも限らないからな」
こいつら契約していなかったら平気で裏切るからな。
言ったら、笑顔で雑談に興じながら仲間を殺せる部類の奴ら。……俺はそんな超危険生物と契約するのか。今になって心配になってきた……。
なんて一抹の不安を覚える俺だったが、一旦考えないようにして浮遊するドラゴンのぬいぐるみに話し掛けた。
「それで……どうやって契約するんだ?」
『何、簡単だ。テメェは俺様に求める契約の内容と対価を言えばいい。後は俺様の方でやってやる』
答えたガイーシャは待ち切れないといった様子だった。
ルビーの瞳が爛々と輝きを放って俺を見つめている。
……契約って、そんなに簡単なのか。もしかして嘘を付いてないよな?
「……本当だろうな?」
『俺様たち悪魔は他のことなら嘘は付くが、契約に関しては絶対に嘘は吐かねぇ』
「……分かった」
イマイチ信用出来ないが……まぁこの際信じるしかない。
「じゃあ俺がお前に求めるのは、三つ。一つ——シアラという少女とその家族の弟妹を見張り、依頼又は彼女や弟妹に危機が迫っている時は俺に知らせる。二つ——俺の頼み事は引き受ける。三つ——期限は五年間、その間は絶対に裏切らない。以上だ」
『……それだけか?』
ガイーシャが意外そうに呟く。
『俺様の力はこの世の全てを把握できるんだぞ? 使い用によっちゃあテメェが裏から世界を支配することだって——』
「別に世界に興味はない。いや、ないわけではないけど……この世界のことは、別のまた人間の役目だしな。俺の目的は、シアラの幸せだけなんだよ。……それじゃあ対価を言うぞ」
相変わらずカラカラな喉を鳴らし、俺はギュッと汗のかいた拳を握り締める。
これから言う言葉は、俺の未来が決まると言ってもいい。
ガイーシャは強大な悪魔だから、それくらいしないと対等な契約は結べない。
でも——やっぱり怖い。
怖くて、今からでも契約を止めてしまおうかと考えてしまう。覚悟なんて紙切れのように思えてしまう。それほどまでに恐ろしい。
俺は決して強い人間じゃない。
物語の主人公のように飄々とすることは出来ない。
だとしても。そうだとしても——俺は、恐怖と共に笑顔を浮かべよう。
「俺が提示する対価は——記憶と命だ」
言った。言ってしまった。
後悔しても遅い。もう後戻りは出来ないのだ。
何もしていないというのに、汗が止まらない。
生きた心地がしない。頭の中はぐるぐると取り留めのない思考と感情が渦巻いてグチャグチャだ。
……だが、少し懐かしい感覚だ。何度味わっても慣れることはないだろうが。
とても平静とはいかない俺の様子を見ていたガイーシャは、心底楽しそうにカラカラと嗤った。
『……カハハハッ、随分変わった奴と契約しちまったなぁ』
「…………死ぬより怖いな」
『死は一瞬だからな。それよか死を悟る方がよっぽど怖ぇ』
なんて軽口も挟みつつ。
「——これから頼むぞ」
『——カハハハッ、精々楽しませてくれ』
俺たちは契約を結んだ。
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