第10話 雪村家の居間で

 雪村家の居間は、古びた家具とたくさんの写真で埋め尽くされていた。


 どこか懐かしい、時間がゆったり流れたような空気が漂う。老婦人――雪村志津香さんは、震える手でお茶をいれてくれた。


「まずは……お話を聞かせてください」


 志津香さんの声は驚きと混乱で少し震えていた。


「あなたが……本当にゆきさんだというのなら……なぜ、こんなに若いままで?」


 ユキは深く息を吸い込み、ゆっくりと話し始めた。公衆電話からの救助要請、霧に包まれた時間、そして祐介との出会い――できるだけ正直に、しかし信じられない部分は控えめに。


「……信じがたいお話です」


 志津香さんは茶杯を置き、ため息をついた。


「ですが……このペンダントは間違いありません。曾祖母ゆきの品です」


 彼女は立ち上がり、飾り棚から古いアルバムを取り出した。ページをめくると、そこには若き日の雪村ゆきの写真が――ユキと瓜二つの少女が写っていた。


「まさか……曾祖母ゆきさんが……こんな形で戻ってくるなんて……」


 志津香さんの目に涙が光る。


「おばあさまは……私のことを、どう思っていましたか?」ユキがか細い声で尋ねた。


「曾祖母は、あなたのことをずっと悔やんでいましたよ」


 志津香さんは優しく微笑んだ。


「『あの雷雨の日、迎えに行ってあげればよかった』と、いつもおっしゃっていました。

そして、毎年あなたの誕生日には、電話の前で待つ習慣があったそうです。もしかしたら……ずっとあなたの帰りを待っていたのかもしれません」


 その言葉に、ユキの涙が止まらなくなった。時間は流れ、人々は老い、しかし愛は決して消えなかった。


「これから……どうされるおつもりですか?」


 志津香さんが真剣な面持ちで尋ねた。


 祐介が答えた。


「まずはユキの身分を確保したいんです。佐藤さんも協力してくださるそうですが……」


「わかりました」


 志津香さんは強くうなずいた。


「私でよければ、力になります。雪村家の縁者として、身元保証人になりましょう。曾祖母ゆきの願いでもあったはずですから」


 その瞬間、ユキの肩の荷がおりたように見えた。彼女には、帰る場所ができたのだ。


 帰り際、志津香さんは古い手帳をユキに手渡した。


「これは曾祖母の日記です。あなたに読んでほしいと思っていました」


 そして祐介に向き直り、深々と頭を下げた。


「祐介さん、ゆきさんを助けてくださって、本当にありがとうございます」


 夕暮れの道を歩きながら、ユキはぽつりと言った。


「おばあちゃん……私のことを、ずっと覚えていてくれたんですね」


 その横顔は、悲しみと安堵が入り混じっていた。


「ああ」祐介は優しく応えた。


「これで君も、ちゃんとした身分が得られる。学校にも行けるようになるさ」


「学校……?」ユキの目が輝いた。


「本当ですか? 私、勉強したいことがたくさんあるんです!」


 その笑顔を見て、祐介は胸が熱くなった。すべての苦労が報われる瞬間だった。


 その夜、祐介は家族会議を開いた。ユキの事情を説明すると、両親は驚いたが、すぐに理解を示してくれた。


「大変な過去を持った子なんだね」母は優しく言った。


「ここでゆっくり休みなさい。あなたの家はここよ」


 父も大きくうなずいた。「役所への手続きは、俺が協力するよ。安心しなさい」


 ユキは涙ながらに感謝の言葉を伝えた。彼女はようやく、本当の意味での安住の地を見つけたのだった。


 就寝前、ユキはこっそりと祐介の部屋を訪ねた。


「祐介さん……今日は、本当にありがとうございました」


 彼女は曾祖母の日記を胸に抱えていた。


「この日記……おばあちゃんの気持ちがたくさん詰まっているみたいです。一緒に……読みませんか?」


 ろうそくの灯りの下、二人は古い日記のページをめくった。そこには、行方不明になった娘を想う母親の愛が、切ないまでに綴られていた。


「おばあちゃん……会いたかった」ユキの涙が日記の上に落ちた。


 祐介はそっと彼女の肩を抱いた。時を超えたいくつもの絆が、今、静かに結ばれようとしていた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る