第6話 温もりと、残された謎

 僕の部屋は、静かな興奮に包まれていた。


 ユキは、僕の大きめのパーカーに着替え、毛布にくるまってベッドの端に座っている。彼女の横には、湯気を立てるマグカップの紅茶。彼女はまだ少し震えていたが、顔には少しばかり血色が戻っていた。


「……すみません。お騒がせして」


 彼女は俯き加減に、か細い声で言った。


「こんなに……未来の世界だなんて、思ってもみなくて……」


「気にしないで。こっちも、公衆電話に女の子から救助要請が来るなんて、夢にも思わなかったからさ」


 僕は笑顔を作ろうとしたが、少し硬かったかもしれない。


 彼女――ユキは、確かにここにいた。過去からやってきた少女が、僕の部屋で毛布にくるまっている。この非現実的な光景は、まだしっかりと実感として馴染んでいない。


「ゆっくりでいいから、話してくれるか? あの日……君が電話をかけてきた日、何が起きたんだ?」


 ユキはマグカップを両手で包み、その温もりにしばし癒やされるようにしていた。そして、ゆっくりと話し始めた。


「……私は……塾の帰り道だったの。すごい雷雨で……公衆電話でお母さんに迎えを頼もうとした」


「……電話をかけて、お母さんが出るのを待っているとき……すごく光った……ごう音がして……」 彼女の声が震える。


「……それで……目が覚めたら、周りは霧みたいで……誰もいなくて……街の様子がなんだかおかしくて……」


 彼女はパニックになり、一番近くにあった公衆電話に駆け寄った。とにかく誰かに助けを求めたかった。ダイヤルを回す――いや、押す。でも、いつものようにお母さんの番号には繋がらない。代わりに、なぜか僕のいる“未来”の公衆電話にだけ、なぜか繋がったのだという。


「……何度も、誰かに出てもらおうとした……でも、祐介さん以外には、一度も繋がらなくて……」


「……時間の感覚も、どんどんおかしくなっていって……」


「……あなたと話せる時間だけが、唯一……正気でいられる時だった……」


 彼女の涙が、マグカップの中に落ちた。 僕は言葉を失った。彼女はどれだけの間、霧の中のような時間を、たった一人で彷徨っていたのだろう。


「……もう大丈夫だ」


 僕はできるだけ優しい声で言った。


「ここは……君の時代から、数十年後の世界だ。だけど、君はもう一人じゃない」


 彼女は涙をぬぐい、うなずいた。


 その時、僕はふと疑問を思い出した。


「そういえば……このペンダントのこと、覚えてるか?」


 銀のペンダントを差し出すと、ユキの目がぱっと輝いた。


「……私の……!どうして……?」


「君が電話をかけてきた最初の日に、こっちの電話ボックスに落ちてたんだ。なぜか、時代を越えてね」


 ユキはそっとペンダントを受け取ると、慈しむように見つめた。


「……これは、おばあちゃんの形見なの……とても大事にしてた……」


「……落としたことにも、気づかなかった……あの日、パニックになってて……」


 彼女はペンダントを握りしめ、そしてふと困惑したような顔をした。


「……でも、なんで……?もしこれが祐介さんのところに渡ったのなら……」


「……もしかして、私があの霧の中に閉じ込められていたのは……これを失くしたから……?」


 彼女の言葉に、ハッとする。 もしかしたら、このペンダントが“錨”のような役割を果たし、彼女を本来の時間に戻れなくしていたのか?そして、それが僕の手に渡ったことで、時間の歪みを通じて彼女を引き寄せ、救い出すことができたのだろうか?


 真相は謎のままかもしれない。でも、彼女がここにいることは事実だ。


「とにかく、よかったな。大事なものが戻って」 僕は笑った。


「まずは、ゆっくり休むことだ。それから……これからのことを、一緒に考えよう」


「……はい」


 ユキは初めて、かすかな笑顔を見せた。それは、電話越しでは決して見ることのできなかった、儚くも美しい笑顔だった。


 彼女は無事だった。だけど、これから大きな問題が待ち受けている。 彼女の身分は?生活は? 過去から人が消えたことによる、時間のパラドックスは?


 頭の中は疑問でいっぱいになる。でも、彼女の安堵の表情を見ると、それら全ては二次的な問題に思えた。


 僕は窓の外を見る。雨はすでに上がり、夕焼けが雲の切れ間から差し込み始めていた。


 昨日までは、ただの日常だった。 今日からは、彼女のいる、少し不思議な日常が始まる。


 公衆電話はもう鳴らないかもしれない。 でも、あの電話が繋いでくれた奇跡は、これからもずっと、僕たちの心の中で鳴り続けるだろう。


(……彼女を現代に留めるための方法、そして彼女の存在をどう説明するか。新たな困難はこれからだ。しかし、それは二人で乗り越えていけると信じている――。)






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