第4話 古地図が示す、もう一つの街
僕はすぐに市の図書館へ駆け込んだ。閉館時間まであとわずかだ。
「すみません!昔の駅周辺の地図や、商店街の記録を見たいんです!」
司書の女性に少し驚かれながらも、僕は資料室へ案内された。埃っぽい古い資料や、分厚い町史のファイルが並ぶ。焦る気持ちを必死で落ち着けて、『やまき酒店』『赤い鉄橋』『時計台』を手がかりにページをめくる。
「……あった……!」
古びた町内商店街マップの一角に、確かに『山木酒店』という表記があった。現在は大型スーパーが建っている場所だ。そして、その近くに『旧駅時計台』の印。赤い鉄橋は、現在は歩道橋になっている川に架かっていた、旧国鉄の貨物線の橋だ。
全てのピースが合致する。ユキは、数十年前の、この街にいた。
だが、なぜ? どうやって?
次の瞬間、僕の血の気が引くのを感じた。 町史の年表の一角、ユキがいたと思われる時代の項に、小さな記事を見つけた。
【○○年△月×日 駅前周辺にて集中雷雨発生。落下雷による事故により、一時通行止めとなる】
そして、その項の数日後にもう一つ。
【旧駅時計台前にて、行方不明者一名の手荷物発見の報。詳細は不明】
行方不明……? 僕の手が震える。銀のペンダントが、ポケットの中で冷たく重く感じる。
ユキの怯えた声。
『……助けて……』
『……怖い……』
『雷が鳴るたびに……』
もしかしたら――。
彼女は、あの日の雷雨の日に、何かあったんじゃないか。 そして、彼女の“今”は、あの日のままなのではないか。
公衆電話は、なぜ彼女と繋がったのか。 彼女が唯一頼れるものが、たまたま彼女の時代にもあり、こちらの時代にも残されていた“公衆電話”だったからなのか。 そして、雷雲という異常な大気の状態が、時代を超える通信を可能にしたのか。
真相はわからない。だが、僕にはやるべきことがある。 明日、彼女に会いに行く。止まっている時計の針が示す、2時ちょうどに。
次の日、僕は学校をサボった。必要なものを鞄に詰め、時計台の跡地へと向かう。 現在は小さな公園になっているその場所に、基礎部分だけがひっそりと残る。数十年前の面影はほとんどない。遠くには、確かに赤く錆びた旧鉄橋が見える。
空は怪しいほど曇っている。天気予報は夕方から雷雨を予想していた。 僕は公園のベンチに座り、銀のペンダントを取り出してじっと見つめた。
「……ユキ」
約束の時間、2時が近づく。 空気が張り詰め、じっとりと湿った風が吹き抜ける。
時計の針が、2時を指した。
その瞬間――。
ゴロゴロゴロ……!
遠くで雷鳴が轟いた。 同時に、周囲の景色がゆらりと歪むような感覚に襲われる。
公園の遊具が滲み、かすみ、そして――。 まるで現像液の中から浮かび上がるように、ぼやけていた遠くの景色が、急に鮮明になり、そして違う形になっていく。
ゆらめく。現実と非現実の境目が、溶けていく。
目の前に、古びたレンガ造りの時計台が現れた。 針は確かに、2時を指したまま、止まっている。
そして時計台の陰に、一人、怯えるように立つ少女の姿が見えた。
スカートの制服は、数十年前のものだ。 長い黒髪が、湿った風に揺れている。
彼女はこっちに気づき、ゆっくりと顔を上げた。
透き通るような白い肌。大きな、怯えた子鹿のような瞳。 彼女は、僕が握りしめた銀のペンダントを見つめ、そして、そっと自分の胸元に手をやる――そこには、明らかに同じ形のペンダントを留めるホックだけが、ぽっかりと空いていた。
「……あなたが……祐介さん?」
彼女の声は、電話越しに聞いていたそれそのままで、だけどずっと、ずっと儚くて、現実のものとは思えなかった。
僕はゆっくりと近づき、ペンダントを差し出した。
「……うん。約束しただろう?」
彼女の目に、大粒の涙が浮かんだ。
ゴロゴロゴロ……!
もう一つの雷鳴が、僕たちのいる“時間”を揺さぶる。 景色がまたゆらめき始める。彼女の輪郭が、滲み始めた。
「ちょっと……待って……!」
僕は叫び、彼女の手を握ろうとする。しかし、その手はかすかな抵抗を感じるだけで、まるで霧を通り抜けるようにすり抜けてしまいそうだった。
「ユキ! こっちに来てくれ! 今のうちに!」
雷鳴が、時間の歪みを引き起こしている。だけど、それは同時に、彼女をこの時代に引き留められる、唯一のチャンスでもあるのかもしれない――。
彼女は涙を浮かべながら、ゆっくりと一歩、こちらへ足を踏み出そうとしていた。
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