第13話 権限

 エリックはヘンケルに指示された通り、沈黙を貫いた。

 ゲスナーは怪訝な顔をしたものの、エリックをいないものとして扱った。

 レオポルトにも沈黙を選んだことを報告すると、彼は「よくやっているな」とエリックを褒めた。

 だからこれでいいのだと、エリックは思うことにした。

 計画は途端に、とんとん拍子で進み始めた。


 着々と工事の日が近づいてくる。通信水晶が騎士団庁舎へと運び込まれ、魔術師たちが一機ごとに確認していく。

 今回は、大型のものを地中へ埋め込むことになった。直径が大人の男の肘から先ほどの大きさの、重たい水晶玉だ。そこに魔力を通すと、エリックの開発した通信魔術が作動するようになっている。

 そのエリックの目の前で、通信水晶が誤った設定をされていく。埋め込む位置時代は問題ないものの、それでは通信が不自由になることは、手に取るように分かった。


(どこを起点にどこの拠点へ通信を送るか、選択肢が複数あるから、中継器の設定だけじゃダメなのに。親機できちんと代替ルートを設定しておかないと、どこかがダメになったら、そのまま通信が途絶してしまう)


 歯噛みするエリックをよそに、親機の設定はないがしろにされている。地中の水晶を、遠隔で確認する程度の、単純な機能しか持たされていなかった。

 本音を言えば、今すぐエリックの手で通信水晶をいじりたい。そのためには親機を操作する必要がある。親機を操作するためには、特殊な権限が必要だ。

 しかし、ゲスナーはそれを許さなかった。エリックにその権限は与えられなかった。

 そして沈黙を守り続けるエリックは、ゲスナーに抗議をしなかった。


(これでいいのかな。このまま実装されると、万が一の事故があったとき、取り返しのつかないことになるかも)


 悶々としながらも、本日分の打ち合わせが終わる。

 具体的な施工方法や登山道を決める今日は、オットーとハンネスも同席していた。彼らは山の地形や登山道について、助言している。

 今回の会議で、概ねの計画は成り立った。これから、細部がどんどん具体化されていく。

 会議が終わり、黙って席を立つエリックを、ハンネスが呼び止めた。


「エリックせんせ。ちょっといい?」


 はい、と顔を上げる。ハンネスはずんずんと歩み寄って、エリックに笑みを向けた。エリックの細い腕を、大きな掌が鷲掴みにする。


「ちょっと話があるんだ、この人借りるねー」


 ハンネスは会議室の誰にでもなく声をかけて、エリックを連れ出した。エリックは目を白黒させたまま彼に連れられて、部屋を出る。

 手を引かれるまま、エリックは外へ出て、騎士団の裏庭へとやってきた。人気はない。ハンネスはそこでやっと、エリックから手を離す。


「ごめんねぇ、いきなり」


 のんびりとした口調のハンネスに、エリックは「はあ」と相槌を打つ。

 ハンネスはエリックを見下ろして、目を細めた。ヘーゼルの瞳が、エリックを見下ろす。


「センセにだけ、教えておきたいことがあるんだ」

「は、はい。なんですか?」


 エリックが首を傾げると、ハンネスは「地図、持ってる?」と尋ねた。エリックが言われるままに懐の地図を開くと、その一点をハンネスが指さした。


「ここね、通信水晶? を埋め込む予定地だよね」


 ハンネスが指さしたのは、森林の中の一点。通信の中継機にする水晶のうち、一機を埋め込む予定地だった。エリックは戸惑いながら頷く。ハンネスはにこりと笑って、続けた。


「予定地に挙げたはいいんだけど、ここ、穴掘りクズリの巣があって、よく奴らが出るんだ。穴掘って逃げるから、駆除も難しくてさ」

「はい。危ないですね……?」


 いまいちピンとこない。穴掘りクズリといえば、縄張り意識が強く、獰猛な性格の魔獣だ。とはいえ撃退は難しくなく、工事の邪魔になるほどではない。

 首を傾げるエリックに、ハンネスはさらに続けた。


「連中、とにかくこの辺りに穴を掘る。鉱石ワームも餌にするんだ」

「はい」

「だから、深く、深く穴を掘る。センセの言ってた岩の層まで掘って、ひっくり返す」


 エリックの脳裏に、魔獣の掘り返した跡だろう土の盛り上がりがよぎった。

 ハンネスは、さらに続ける。


「通信水晶さ、埋めるやつを見せてもらったけど、あれくらいだったら簡単にひっくり返されるよ。あと連中の狩りの邪魔になるし、縄張りの中に入ってたら、壊されるかもな」

「あ……」


 地面を掘る魔獣による獣害。これまで議題に上ってこなかった問題に、エリックは言葉を失う。


「これまで会議で出てきた固定法と保護法じゃ、ダメってことですよね」

「うーん。まあ、十中八九、ダメになるだろうと思う」


 その返事に、エリックの足がすくんだ。


(ハンネスさんが、これを、僕だけに教えた意味って)


 エリックはおずおずとハンネスを見上げた。彼はにこりと人好きのする笑みを浮かべて、頷く。


「王子様からのご依頼だけど、俺はセンセのこと、個人的に気に入ってるから。サービス」


 どっと心臓が、強く脈打った。エリックは掌を握りしめる。


「とりあえず、その……僕、報告してきます。穴掘りクズリですね」


 駆け出そうとしたエリックの腕を、「ちょっと待って」とハンネスが捕まえる。ハンネスは呆れたように、首を横に振っていた。


「ほんとに馬鹿正直だなぁ。そういうんじゃないよ」


 エリックは「でも」と唇を噛む。どうしたらいいのか分からない。


「これを報告しなかったら、通信水晶がダメになるじゃないですか」

「いやいや。それをエリックせんせがなんとかするんだって」


 ハンネスは朗らかな笑みを浮かべて、改めてエリックを離した。

 エリックが、なんとかする。その言葉を、ゆっくりと噛み締めた。


「……あ」


 思い浮かんだことがある。エリックの頭の中で、火花が散るようにひらめきが走る。その表情を見て、ハンネスはひらりと手を振った。


「んじゃね。俺、応援してるよ。王子様と、エリックせんせのこと」


 ぎくりと身体が固まる。ハンネスは黙り込んだエリックを置いて、裏庭を出て行った。


(ハンネスさんって、どこまで僕たちのことを知ってるんだろ……)


 気を取り直すように、エリックは首を横に振る。そして、建物の中へと入った。

 小型の通信水晶の模型を置いてある会議室へ入って、起動させる。設定を確認しつつ、軽く通信実験を繰り返した。

 やがて、エリックの指が止まる。水晶から手を離して、深く息を吐きだした。

 ちょうど扉がノックされる。エリックが中から開けると、レオポルトだった。ヘンケルも付き従っている。


「調子はどうだ?」

「……まあ、ぼちぼちです」


 エリックは、レオポルトを中へと招き入れた。ヘンケルも入ってくる。

 レオポルトはエリックの顔を覗き込んだ。金色の瞳と、青い瞳が、お互いへかちりと焦点を合わせた。


「何か欲しいものや、足りないものはあるか?」


 その言葉に、エリックは上唇を軽く舐めた。

 にこり、と微笑んでみせる。


「お願いならあります」


 レオポルトは目を丸くして、そして微笑んだ。白い歯がちらりとのぞく、美しく、獰猛な笑みだった。


「そうか。何を望む?」


 エリックは、あくまで淡々と告げた。


「僕に、通信水晶の親機に触る、権限をください」


 分かった、とレオポルトは明快な声で言った。エリックは瞬きをして、その表情を見上げる。


「……なんだか、嬉しそうじゃないですか?」

「そりゃあもちろん」


 レオポルトの目元が、甘くたわんだ。そのかすかな変化に、彼の色気がいやというほど増した気がする。


「愛しのお前が、私に近いところまで、堕ちてきてくれたからな」


 御冗談を、と喉元まで出かかった。だけどそう言うには、あまりにも真っすぐな声だった。

 エリックはうつむいて、はい、と恭順の意を示した。


 翌日、エリックは、通信水晶の親機を操作するための権限を得ていた。それもゲスナーよりも、上位の権限だった。

 ゲスナーは顔を真っ赤にして「卑怯な手を使ったんだろう」と怒鳴った。


「貴様ッ、何故私よりも権限が上になっている! 裏で手を回したのだな、恥を知れ!」


 実際エリックは、卑怯な手段を取っている。何も言い返せることはない。

 親機を直接触ることができる魔術師は、限られている。その権限を得ることは、宮廷魔術師の中でも、名誉とされていた。

 ゲスナーの心中を考えると、罪悪感が頭をもたげる。それを「こんな奴に優しくするな」という攻撃性で押し殺した。


「まあ、そう怒るな。実際に機器に触れて、設定をするのはお前だろう。これはあくまで、お前の仕事だぞ」


 レオポルトがゲスナーを宥める。ゲスナーはレオポルトに目を伏せて、恭順の意を示した。

 しかし俯いた表情は、屈辱に歪んでいる。

 エリックは唇を噛んで、それからにこりと微笑んだ。ゲスナーに目線を向けて、首を傾げる。


「そうだよ。よろしくね」


 ゲスナーは、蔑みと怒りの混じった表情で、「ああ」と吐き捨てた。エリックは掌を握りしめて、それから胸元を叩く。

 こうなったら、徹底的にやらなくては。エリックは、レオポルトへ微笑みかけた。

 レオポルトは、どこか気遣わしげにエリックを見つめた。しかし瞬きの後にその表情は消え失せ、美しい笑みを浮かべた。

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