第11話 優しい人

 エリックが目を覚ますと、ベッドに寝かされていた。外はすっかり暗くなっている。

 身体を起こすと、寝間着へと着替えさせられていた。身体もさらさらしている。どうやら眠っている間に、風呂へ入れてもらったらしい。

 レオポルトは、机に座って本を読んでいた。もう寝る支度を整え終えたのか、彼も寝間着だ。携帯用の魔術ランプが、その手元を照らしている。


「起きたか」


 エリックを見て、開いていた本を閉じた。はい、とエリックは頷く。立ち上がって、軽く腕を回した。身体の調子は、悪くない。


「夕食の時間は過ぎている。食事を持ってこさせようか」


 そう言って、レオポルトがハンドベルを鳴らす。やってきた使用人に「エリックへ食事を」と言いつけた。

 エリックはその横顔を見つめながら、改めてベッドへ座る。


「わざわざ、ありがとうございます」

「いや、気にすることではない。疲れているのに、腹が減っていてはつらいだろう」


 本当に、この人は優しい。エリックは首を傾げた。

 だからこそ、この人が目的のために手段を選ばないことが、不思議だった。


「どうして僕なんかに、ここまで優しくしてくださるんですか?」


 エリックの質問に、レオポルトはただ「共犯者だからな」と涼しい顔で微笑む。エリックは肩をすくめた。肘を膝へ置いて、少し身体を屈める。


「あなたには、本当に感謝しています」


 その言葉に、レオポルトはわずかに俯いた。目元は髪で隠されて見えないが、口元はゆるく弧を描いている。


「そうか」


 ちょうど扉が開き、使用人が食事を運んでくる。パンと、穀物のスープと、塩と香草で味付けした魚を焼いたものだ。

 レオポルトは立ち上がり、エリックへ手を差し伸べた。ちらりと使用人へと視線を向ける。


「机に置いておいてくれ」


 その指示に従って、使用人が膳を机に置く。礼をして立ち去るのを見送りつつ、レオポルトはエリックを椅子に座らせた。

 エリックはされるがままになりつつ、スプーンを握る。一口スープを飲むと、すっかり冷め切っていた。魚も冷たい。

 こちらでもエリックは、あまり歓迎されていないらしかった。


「おいしいです」


 それでも、用意してもらえるだけありがたい。スープを飲むエリックを、レオポルトはじっと見つめている。

 エリックはその視線をできるだけ気に留めず、食事を続けた。パンを千切って口へ運び、スープで流し込む。ナイフとフォークで魚を切り分け、一口ごと噛み締めるように食べた。


「ごちそうさまでした」


 口元を手の甲で拭うエリックに、レオポルトはちいさく笑った。


「行儀が悪いな」


 ハンカチを差し出して、エリックの口元を拭う。

 その手つきの優しさに、エリックはわずかに目を細めた。


「……あなたって、本当に優しいですよね」

「そうか? そうでもないぞ」


 説得力がなくて、エリックは思わず笑ってしまった。


「打算で僕に優しくするなら、もっとやりようがあるんじゃないですか?」


 エリックの言葉に、レオポルトは笑みを浮かべたまま、口元から手を離した。エリックは唇を引き結んで、レオポルトを見上げる。


「僕はずっと、あなたについていきますからね。ひとりになんかさせませんから」

「そうか。ありがとう」


 にこり、とレオポルトが微笑む。心のこもっていない返事に、エリックはむっと唇を尖らせた。

 だけどこれが、今の二人の距離だとも思う。エリックは大きく伸びをして、首を回した。

 レオポルトは、机へ手をつく。エリックを見て、じっと目を伏せた。その目つきの妖しさに、エリックはどぎまぎとして視線を逸らす。


「それからですね。今、あなたは何をしていらっしゃるんですか? あなたは僕の仕事を把握しているんだから、あなたの方を教えてください」


 そして自分の声がなんだか甘えているようで、気まずかった。レオポルトは「そうだな」と呟いて、立ち上がった。

 机へ背中を向けて、天板へ体重を預ける。半ば机へ座るような、行儀の悪い格好だ。レオポルトはゆったりと足を組んで、エリックを見下ろした。

 エリックは、その顔を見上げる。女神像のように美しい、感情の読めない笑みだった。


「……私は、本当に何もしていない。怠け者だからな。今は、お前だけが頼りだ」


 その言葉に、エリックはわずかに顔をしかめた。


「そんなわけないでしょう。今更なんですか。ほら、本当のことを言ってください」


 急かすと、レオポルトは低い声で笑った。そしてエリックから視線をそらして、床を見つめる。


「本当だよ、エリック」


 両方の踵を床へしっかりつけて、レオポルトが机から離れて立つ。エリックは反論しようと口を開いて、やめた。


「……分かりました。でも、何か僕にできることがあったら、言ってくださいね」


 無駄だと分かりつつ、エリックは念を押す。レオポルトは「そうだな」と笑って、エリックの肩を叩いた。


「頼りにしているのは、本当だぞ」


 本当かな、とエリックは思った。そしてそれを口に出すほど、図々しくはなれなかった。

 はい、と従順に頷く。レオポルトは、エリックの顔をじっと見つめた。

 その視線から、エリックは顔をそらす。


「あんまり見ないでください」


 立ち上がり、ベッドへと向かう。ふわ、と口からあくびが出た。倒れ込むようにしてベッドへ入る。

 レオポルトが、くすくすと笑う気配がした。


「腹がくちくなって、眠くなったのか?」

「はい……身体強化系の魔術は、切れると、しんどくて……」


 目を瞑る。ベッドがきしんで、ふわりと柑橘の香りがした。レオポルトだ。そっと目を開けると、彼はうっとりと目を細めてエリックを見ていた。

 口元がかすかに開いて、何かを言う。その吐息が甘く香るようで、エリックは慌てて目を閉じて、布団を引き上げた。


「寝ます」

「こら、口の中に洗浄魔術をかけろ。さもなくば歯くらい磨け」


 レオポルトがくすくす笑いながら、またベルを鳴らす。顔を出した使用人に、歯ブラシとたらいを持ってくるよう言いつけた。

 エリックは目元だけ出して、「めんどうです……」とごねてみた。


「なら、洗浄魔術を使いなさい」

「めんどう……」


 レオポルトは「磨きなさい」と言って、布団を引き下げる。そのまま取り上げて、ベッドの足元へと放った。


「手のかかる愛人だな。ん?」


 こしょこしょとあごの下をくすぐられる。その触れ合いに、背筋にぞわぞわと刺激が走った。


「ひゃっ」


 悲鳴のようなあられもない声をあげた瞬間、ぴたりとレオポルトの指が止まる。おずおずと見上げると、彼は無表情にエリックを見つめていた。


「えへ、えへへ」


 エリックは愛想笑いを浮かべながら、身体を奥へと逃がす。そしてゆっくりと身体を起こした。


「すみません。変な声……でちゃって……」


 改めて口にすると、気まずい。恥じらいから、視線をシーツへ向ける。


「い、いやでは、なかったです」


 言い訳のように、早口で言う。レオポルトは目元を手で押さえた。


(もっと気まずい!)


 エリックはシーツの上を這って、ベッドからそそくさと降りた。

 ちょうどその時、たらいと歯ブラシが運ばれてくる。エリックはそれを受け取り、歯を磨き始めた。

 その間も、レオポルトはエリックを見つめていた。気まずい。エリックがそろりとレオポルトを見返すと、今度は口元を押さえている。


(なんなんだろう……)


 戸惑いながらも歯を磨き終えて、道具一式を返却する。何はともあれ、寝る支度は整った。

 改めてベッドへあがって、放られた布団をかぶり直す。レオポルトも、その隣に並んだ。


(さっき変な声出したから、気まずいな)


 きつく目を瞑って、何も考えないように努める。さすがに今日いちにちの疲れがやってきて、だんだんと眠気がやってきた。

 深い眠りへ落ちていくとき、やわらかくてあたたかいものが、額へ優しく触れた気がした。

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