第10話 蔑み

 その後の調査は、粛々と進められた。

 ゲスナーは念入りに地質や地形を調査した。木こりのどちらかを呼びつけては質問をし、呪文を唱えて魔力を走らせる。

 エリックも、黙々と調査を続けた。分からないことがあれば、オットーかハンネスを呼んで尋ねる。

 調査が終わる頃には、日はだいぶ傾いていた。木漏れ日も暖色を帯びて、あたり一帯が幻想的な雰囲気に包まれる。

 オットーが当たりを見渡して、声を張った。


「日が暮れる。そろそろ山を下りないと危険だ」


 その言葉に、ゲスナーは「そうか」と一息ついた。エリックは重たい身体を引き上げるように、大きくのびをする。ハンネスが、その顔をひょいと覗き込んだ。


「センセ。歩けそ?」

「はい。大丈夫です」


 杖を掲げて呪文を唱える。身体強化魔術を使うエリックを、「今更か」とゲスナーが嘲笑った。エリックはそれをにらみつける。

 ハンネスは二人の争いに触れず、「行こうよ」と帰りを促した。オットーは、ずっと黙り込んでいる。

 一行は山を下りて、麓へと戻った。騎士団本部へと戻ると、ヘンケルが出迎えた。

 エリックの身体強化魔術の効果は、まだ保たれている。ゲスナーは魔術の効果が切れ始めたのか、やや呼吸が荒く、脚を引きずるようにして歩いていた。


「ご苦労だった。ゲスナー、後ほど報告書をまとめてレオポルト殿下へ提出しろ」


 そしてエリックへ目をやり、口を引き結んだ。


「クレーバー。お前は、殿下がお呼びだ。後で案内するから、そこで待っていろ」


 ヘンケルはオットーとハンネスへ歩み寄ると、懐から麻袋を取り出した。ずっしりと重たそうなそれを、オットーが迷いなく受け取る。

 今日の報酬、という言葉が聞こえた。ゲスナーは「お前も貰ってきたらどうだ?」とエリックを蔑んだ目で見て笑った。


「貰わないよ。僕はここの日雇いじゃないからね」


 しれっと言うと、ゲスナーは顔をしかめた。吐き捨てるようにエリックを罵る。


「研究成果を盗んだ恥さらしだというのに、よくここまで図々しくなれるものだな。田舎者の血のなせるわざか?」


 言い返すのも馬鹿馬鹿しくなって、エリックは半目でゲスナーをにらむ。それでも一応言い返しておこうと、杖で地面を突いた。


「逆だね。僕の研究成果を、上が盗んだんだ。きみたちこそ、自分の能力を思い上がりすぎなんじゃない? それとも、田舎者はこんなのできるわけないって、本気で思ってる?」


 ゲスナーはたっぷりと軽蔑を含んだ目つきで、エリックを見下ろした。


「ああ、そうだ。正直に言えば、前々からおかしいと思っていたんだよ。どうして田舎出身のろくな教育も受けていないきみが、教養のある私たちより、成果を挙げられているのかと」


 エリックの顔が、盛大に引きつる。うわ、と声に出して、エリックは首をすくめた。


「だから僕は、研究成果を盗んだんだろうってこと? それ、本気で言ってる?」

「なんだ。負け惜しみか?」


 嘲るような笑みに、首を横に振った。


「違うよ。きみがあまりにも見当違いなことを言うから、呆れているんだよ」


 ふう、とため息をついて、頭をかく。

 この国では、血統主義が根強い。王侯貴族は――特に、王家に近い者たちは――地方出身者や平民を見下しがちだ。エリックは地方出身かつ、領主とはいえ家格も低い。だからこうした差別的な眼差しには、慣れていた。

 慣れているからといって、傷つかないわけでもないのだが。


「なに。教養があって血統的にも優れているきみが成果を挙げられなくて、そうじゃない僕が成果を挙げているのがおかしいって話? 正気?」

「そうだ。正気でないのは、お前だろう」


 大真面目に頷く彼を、エリックはまじまじと見つめた。

 いっそ、哀れだとすら思う。


「たしかに生まれ付いた環境で、どれだけ教育の機会に恵まれるかは、変わってくるよ。でも、恵まれない生まれの人や、教育を受けられなかった人たちが『劣っている』っていうのは、違うだろ」


 吐き捨てるように反論する。攻撃的な発言に、ゲスナーはむっと顔をしかめ、苦々しく口元を歪めた。しかしそれ以上は反論もせず、鼻を鳴らして立ち去った。エリックを打ち負かすのを、今日のところは諦めたのだろう。

 エリックはその背中を、じっとにらんでいた。しばらく経って、「クレーバー」と名前を呼ばれる。ヘンケルだ。


「案内する。ついてこい」


 ヘンケルはエリックの返事を待たずに、さっさと歩き出す。エリックは、慌てて彼の後ろについていった。

 大柄な彼の歩幅は広い。さらに速足で歩かれると、小柄なエリックではついていくのも大変だ。


「ちょっと、待って、ください」


 身体強化魔術の効果は切れ始めていた。息が切れる。ヘンケルはぴたりと立ち止まって、エリックに視線を向けた。


「ここだ」


 どうやら、レオポルトの待つ部屋へ着いたらしい。へとへとになったエリックが呼吸を整えている間に、ヘンケルが扉をノックする。


「殿下。クレーバーを連れてきました」


 部屋の中から「入れ」と許可が出る。ヘンケルは扉を開けて、エリックを振り返った。エリックはなんとか呼吸を整えて、部屋へと入る。


「失礼します」


 その部屋は、書斎のようだった。部屋の奥にはどっしりとした書斎机が置かれており、壁には本棚が置かれている。机の向こうには、二人掛けのソファが置かれていた。

 レオポルトは、机で書き物をしていたらしい。ペンを置いて、エリックへにこやかな笑みを向けた。

 扉は閉じられ、二人きりになる。身体強化魔術は、どんどん効果を失ってきていた。エリックはふっと息を吐いた。重たい身体を引きずって、レオポルトのもとへ歩く。


「つらそうだな」


 レオポルトはひょいと眉をひそめて、立ち上がった。エリックの手を取って、ソファへと座らせる。


「視察はどうだった?」


 その言葉に、エリックは懐から地図を取り出す。今日いちにちで散々開いては閉じて、書き込んで、すっかりくたびれていた。


「通信水晶を設置すべきポイントは、確認することができました。設計書自体は出来上がっているので、次は具体的な施工方法の問題です」

「そうか。私の愛人殿は、やるべきことをやっているようで、何よりだ」


 からかうような口調で言って、レオポルトはエリックの前髪を払った。汗をかいているせいで、額に貼り付いている。その手つきの優しさに、エリックはうっとりと目を細めた。すぐに我に返って、あたふたと続ける。


「で、でも、それは相手も同じことです。あっちだって、ちゃんと仕事をやっています。だからこそ、これからどうやってあの人たちを出し抜けばいいのか……分からなくて……」


 そして発言の幼稚さに情けなくなって、うつむいた。無力さにうちひしがれる。

 レオポルトは「そうか」と頷いて、隣に座った。


「それについては心配するな。私が上手くやっておく」

「うーん……」


 うなるエリックに、レオポルトが少し身体を寄せた。からかうような声色で言う。


「不安でもあるのか? 私がついているというのに」

「というより、僕が何もできなくて、不甲斐ないんです」


 うつむくと、レオポルトは黙ってエリックを見つめた。エリックがちらりと見上げると、彼は取ってつけたような笑みを浮かべる。


「お前は十分やってくれている。任せた仕事をやってくれさえすれば、後は私がどうにでもするさ」

「そうですか?」


 いまいち納得がいかない。エリックは「そうですか」と繰り返して、うつむいた。

 そうだぞ、とレオポルトが頷く。


「私は、お前の魔術を見込んでいる。お前が実力を尽くすために、私を利用してやる、くらいの気持ちでいてくれ」


 エリックの心臓が跳ねる。膝を擦り合わせて、拳を握りしめた。

 レオポルトにそこまで言われると、くすぐったい気持ちになる。


「あなたがそう言うなら、そうなんでしょうけど……でも……」


 ぐらぐら頭が揺れる。まぶたがとろんと重たくなってきた。いよいよ身体強化魔術の代償が、本格的に来たようだ。

 レオポルトは、エリックの肩を抱く。そして自分の胸元へと引き寄せた。


「眠いのか? 寝るといい」


 エリックは「きたないですよ」と返事をしようとしたが、舌がもつれる。

 そしてそのまま視界が暗くなり、意識を失った。

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