第5話 変態①
一週間と五日前。
バルガスとの一件があった日、一行は話し合いを行なった。
「バルガスには印がなかった。これは無視できないことだわ」
レンは深く頷いた。
「もしあの男が私と同じであれば、まず聞き出す方法から考えねばなりません。戦闘中何度か聞いてみましたが、あの男はその…少し落ち着きがなくて」
レンの様子を見ると、バルガスと戦った時の事を思い出したくないようだった。ゴーレム同士でも好き嫌いがあるのは興味深いが、エリーはレンに同情の眼差しを向けた。その視線に気付くと、レンは感謝するように弱々しく微笑む。
そして二人の視線はスドゥに向けられる。少年は困ったように眉を下げた。
「うーん、困ったな。僕もバルガス苦手だったから近付かないようにしてて、よく知らないんだ。バルガスの主人の情報とかなら覚えてる、けど…」
「教えて」
エリーの言葉を聞くと、案の定スドゥは嫌そうな顔をした。
「はぁ、最悪。アントニオの話は誰にだってしたくないけど、エリーにするってのが一番最悪だ」
スドゥはそう言うと、深い溜め息をついてから話し始めた。
「フルネームはアントニオ・パック。ナルノ人だけど細身で身長もそこまで高くない。ザ・魔術師って感じのひ弱そうな男だ。彼がフェリックスから買っていくのはいつも小さな女の子や怪しい薬品。筋金入りの“少女愛好者”で“加虐嗜好者”だ」
エリーの顔が死んだ。それはもう酷い顔をしており、その目はゴミを見るよりも酷い。対照的に、レンは聞きなれない言葉に困惑しているようで、エリーとスドゥの顔を交互に見つめている。
「つまり小さな女の子に酷い事をする奴って意味さ」
説明を受けてやっと理解したレンの眉間には皺が寄せられる。ゴーレムでもそれが駄目な事だという価値観はあるようだ。
「あの街で女の子が行方不明になるって噂は、きっとその二人が犯人ね」
「そうだと思うよ。僕らの間でもたまに噂してたけど、アントニオは奴隷を買うだけでは飽き足らず誘拐までしてるとか。あちこち飛び回ってるのは足がつかないようにする為なんじゃないか〜って話もあった。あのフェリックスも悪趣味な奴だって気持ち悪がってたよ」
「どの口が言ってんのよ」
スドゥはフェリックスの話となると言葉に棘が出るエリーが面白くて笑ってしまう。そんな二人との会話に入らず黙っていたレンは気になることがあるようだ。
「主人ならば、そのアントニオという男もゴーレムの情報を持っているかもしれませんね」
「そうね。どちらかに話を聞きたいところだけど…」
そこで沈黙が流れた。
スドゥの情報やレンの反応からすると、アントニオとバルガスは少々面倒な相手らしい。レンの殺し方を探すという目的がなければ絶対に関わりたくない相手だが、目的のためには無視できない。
ランプの光が揺れる。夜は深く、あたりは真っ暗になっている。
「ま、今日は一旦休もうよ。あの二人に話を聞くとしても準備はしておきたいし、あれだけ騒ぎを起こしたんだから今どこにいるかもわからないし、続きは明日考えるって事で」
スドゥの提案にエリーは頷く。彼女は疲れていた。
「では私は夜の番をしています。おやすみなさい、エリー」
「おやすみエリー!」
「えぇ、おやすみ」
エリーはスドゥから手渡された布をしっかりと被って目を瞑るが、頭の中ではずっとバルガスについて考えていた。
翌日になると、三人はスドゥの案内の元森を抜け、近くの町に向かっていった。徒歩だったので到着には三日かけた。
ビョルデン南東部に位置する田舎町『グースラングリー』に到着したのは一週間と二日前。雰囲気はいいが、田舎なので人口はそこまで多くはなかった。
スドゥが宿を取ったので、エリーとレンはやっとまともな部屋に泊まれる事になった。エリーは野営をしなくて良い事に感動し、レンは慣れないのか部屋をあちこち見ていた。
一行は情報収集をしながらこれからの方針を話し合っていた。アントニオとバルガスについての話になると、三人は頭を悩ませた。
そして一週間前。
「レン!オレとヤろうぜ!本気の殺し合いだ!」
レンはエリーとスドゥを抱えて走り出した。
「何故あいつがここに!?」
「あいつずっとついて来てるよ!」
見ると、バルガスが全力疾走しているレンと同じ速度で追いかけてくる。
「なぁ!聞いてんのかよ!」
「うるさい来るな!」
レンとバルガスは言い合いながら追いかけっこを始めたのだった。
「ど、どうするの?話聞きたいんだし止まったら?」
「そんな事してゴーレムの戦闘に巻き込まれたらたまったもんじゃないよ!」
「じゃあどうやって話聞くのよ!」
左に抱えたエリーと右のスドゥが言い合うので、レンもどうしようかと悩み出す。
その時、後ろの男が言った。
「話?」
バルガスの足が止まる。それを見たレンも十分に距離をとり、用心しながら足を止めた。
「話ってオレにかい?」
バルガスはエリーに尋ねている。話がまるで通じないような空気を纏わせていた男が突然話を聞く姿勢になったことに、三人は目を丸くして驚いた。
エリーは警戒しつつ、レンの腕から降りて言う。
「話を聞いてくれるの?」
「勿論」バルガスは眉を上げた。「もしかしたらオレの得になるかもしれんしなぁ。話を聞いたらレンが戦ってくれる…なんて褒美がついてたら良いんだが」
バルガスの視線がレンを捉える。レンは寒気を感じて目線をずらした。
「あなた私をフェリックスの所に届けたいんじゃないの?」
エリーが尋ねると、バルガスの視線は再び彼女に戻される。
「嬢ちゃんを連れてってフェリックスが戦ってくれるかなんて甘い期待もしてみたが、よく考えたら嬢ちゃんを連れ帰ったところであいつはオレと殺し合いなんざしてくれねぇ。なぁ?スドゥ」
突然名前を呼ばれたスドゥはバツが悪そうに眉を寄せた。
「そうだね。フェリックスはやりたくないことは絶対にしない」
「ほらな。だからオレにとって嬢ちゃんを連れてくのは最優先じゃあなくなった。今オレが求めているのはそこのゴーレムさ」
エリーはレンをちらりと見た。彼の顔にはバルガスへの軽蔑が滲み出ていた。相当嫌いなようだ。
「レン、相当強いだろ。それもなかなかお目にかかれないほどの実力者と見た。もしかしてだが、お前オレと同じじゃあないか?」
“オレと同じ”。その言葉に引っかかる。エリーは恐る恐る口を開いた。
「同じ…ってことは、レンとあなたが同じ種類のゴーレムってこと?」
「オレはそう思ってるんだが、実際どうなんだよ」
三人は目を合わせた。探していたことが目の前にあるような気がして、胸の鼓動が大きくなる。
その様子を見たバルガスは楽しそうに目を細めた。
「ははぁ。さては何にも知らないんだな?」
その瞬間、バルガスの表情に気味の悪い笑顔が浮かび上がった。まるで悪魔が嘲笑っているような禍々しい笑みだ。
バルガスはそのままレンの方へ直進し、目の前で立ち止まる。スドゥは後ずさったが、レンはその場から動かなかった。
「殺し合いをしてくれるなら教えてもいい。どうするよ?」
その一言にレンの表情が変わる。バルガスの目から視線を逸らせなくなり、レンは頭がくらくらするようだった。
それは魅力的な誘いだった。もしバルガスから情報をもらい、レンの死亡条件が明確になればそれだけで上場だと言うのに、どちらかが死ぬまで続く“殺し合い”の提案までついてくる。最期にこの男を満足させてから殺されるというのも悪くないのかもしれない。そう思った時だった。
レンの手に何かが触れた。恐らくエリーが彼の手を握っている。思わず視線を移すと、彼女は恐ろしい形相でレンを睨みつけていた。
彼女はレンよりも遥かに弱い。体も小さければ力もないのだから、レンがどうしようがエリーに負けるはずがない。しかし彼女には“怒らせてはいけない”と思わせる圧がある。彼女を怒らせると、後になって恐ろしい仕打ちが待っている気がしてならない。
それに加え、エリーはレンを森から出してくれた恩人だ。気が狂うほど長い年月をあの森で過ごし続けると、本当にどうにかなってしまいそうだった。そんな彼の元にやってきて、“一緒に死のう”と言ってくれた少女をどうして裏切ることができようか。
「私は命をエリーに捧げている。今更貴様にやることなどできん」
その言葉を聞いて安心したのか、エリーの体から力が抜けた。バルガスは驚いて目を見開いていたが、すぐにいつものにやけ顔に戻っていた。
「フられるのは慣れちまったもんでね。お前が頷いてくれるまで付きまとうぜ、オレは」
そう言い残し、バルガスはどこかに姿を消していった。
「かえ……った……」
バルガスが去っていった方を呆然と見つめ、スドゥは腰を抜かしてしまった。
エリーはレンがバルガスに釣られて行ってしまうのではないかと不安だったが、レンがはっきりと断ってくれたのが嬉しかった。だから何か言おうとレンの方を見るが、彼女は目を見張ることになる。
レンの顔が悔しそうにくしゃりと歪んでいる。それはもう、ものすごいことになっている。
今にも泣きそうに眉を下げてレンは言った。
「すみませんエリー…ただでさえ情報収集が滞っているというのに、情報を取り逃がしてしまって…」
その様子にはスドゥも驚いていた。なんと言えばいいのか…言葉を選ばずに言うならば、本当に情けない。
「ふふ、あなたって変な人ね」エリーは笑う。「追手から守ってくれる時は本当にかっこいいのに、こういう時はかっこ悪いんだから」
レンの表情は情けないままだが、エリーが彼の背を撫でると少しだけ安心したようだった。
「確かにバルガスからの情報は惜しいけど、あなたが私を裏切る方が問題だわ。それに、まだアントニオがいるじゃない」
スドゥも頷く。
「そ、そうだよ!バルガスの話の通じなさは今に始まったことじゃないし」
側から見れば、年端もいかない少年少女が大人の男を慰めるというなんとも救えない図になっていた。
そして、今日に至るまでの一週間。
「よぉ!心変わりはしたか?」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
この一週間でお馴染みとなったのは、毎日飽きもせず三人の居所を探し当て、一行の(とりわけレンの)後についてまわるバルガスと、そんなバルガスに苛立って発狂するレンという光景だった。
バルガスの執着心に呆れはするものの、向こう側からやって来てくれるのはありがたかった。エリーとスドゥはなんとか情報を教えてもらえるよう交渉した。しかしバルガスは頑なにレンとの殺し合いを条件に出してきた。そこでスドゥがアントニオと話をさせてほしいと頼んでみたのだが、バルガスはやはり思い通りにならなかった。
「あいつ、僕らが絶対レンを譲らないってわかってるのに来てるよ。楽しんでるんだ」
スドゥに耳打ちされ、エリーは振り返る。二人の後には今にも怒りが爆発しそうな雰囲気を漂わせているレンと、そんな彼に休みなく話しかけ続けるバルガスがいた。
レンが嫌がるたびにバルガスの顔が歓喜に歪む。気持ちが悪い。その光景はエリーを良い気持ちにしてはくれなかった。
エリーの不機嫌を感じ取り、スドゥは少しだけ話題を変えた。
「それにしても意外なのが、あいつが全然手を出してこないってことだね。この前は問答無用でレンに襲いかかってたのに」
実際、バルガスとは一週間の中で戦闘になった試しがなかった。
スドゥが不思議がっているとエリーが口を挟む。
「バルガスがしたいのは“殺し合い”でしょ。レンに戦う気がないと駄目なのよ。実際今もレンを煽って手を出させようとしてる」
スドゥは感心した。
「レンに戦う気がないからこの一週間無害だったんだね。なるほど、確かにそうだ。じゃあレンには悪いけど、我慢しててもらわなきゃ」
スドゥが悪戯っぽく笑うとエリーまで笑みが溢れてくる。彼の存在はエリーの心を和ませるのだった。
その調子で話をしながら路地裏に入った時だった。突然後ろにいた二人の声が止み、レンが本気で苛立ったような声を出した。
「…手を……離せ…!」
振り返る。そこには二人がいた。つい先程まで並んで歩いていた二人だったが、今はレンの背後にバルガスがいる。レンはバルガスを睨みつけているが、動けないのか振り返ることが出来ずにいる。一方、バルガスはレンを見て笑っている。
「オレは離さんぞ。そっちが離さないなら折れるだろうなぁ」
その瞬間、バルガスの腕が振り上げられた。それと同時にレンの体が泥になって溶け、地面に広がった。
バルガスの腕には古い短剣のようなものが握られていた。呆気に取られて見ていると、バルガスの腕が変形し、短剣は彼の体に取り込まれていった。
「レン!」
レンの元へ向かおうと走り出すが、エリーは肩を掴まれて前に進めなかった。後を振り返ろうとするが、彼女の口にはハンカチが強く当てられ、強い眠気に襲われる。
まもなくしてエリーは意識を失ってしまった。
「や、やぁアントニオ。久しぶりだね。何のつもりかな」
スドゥはエリーを眠らせた男を見た。
真っ赤な髪の毛は長く伸ばされており、後ろでゆったりと一つにまとめられている。前髪は長く垂れ下がり、片眼鏡の奥にある緑の双眸は知的な雰囲気がある。顔立ちや体型が細く小さいので、一度見ただけでは女性と見間違う人もいるだろう。特徴的な外套は袖が長く膨らんでいて手元が見えない。あの手にハンカチを隠し持っていたのだ。
アントニオがスドゥを見た時、視線がスドゥの背後にずれた。嫌な予感がして走り出そうとするもスドゥは背後のゴーレムに腕を掴まれ、身動きが取れなくなってしまう。
「離せよ!僕らの仲だろ?」
スドゥの言葉に、アントニオがわざとらしく大きな声をあげて笑う。
「フェリックスの裏切り者とはいえ、僕らがエリーを捕まえた事をバラされない可能性は0じゃないからな。お前を逃す事はできない」
バルガスの左腕が変形し、スドゥの腕をまとめて縛る。残った右腕はスドゥの服の中に侵入した。
「ちょ、バルガス!やめっ…」
バルガスの腕が動きを止める。服の中から出た手にはフラスコが握られていた。
「やめろ!僕のだ!」
「初めて身近で見るが、中に入ってるやつ本当に動いてんだな。これがヴィルマンの“アレ”か?うわぁー」
バルガスは長身だ。少年の形で生まれたスドゥには、バルガスが手に持つフラスコに手が届かない。
その様子を見て、アントニオは面倒そうに溜め息をついた。
「バルガス。そのフラスコは僕が持つ。エリーを運べ」
「えぇ?でもよ」
バルガスは足元を指差した。彼の周囲にはレンの形を成していた泥が散乱しており、その泥はバルガスの周りを彷徨っているかのように蠢いている。よく見ると、粒の一つ一つがバルガスの方へと寄せられているが、バルガスの体が邪魔をしているのか弾かれてしまい、また彷徨うという動きを繰り返している。レンの核に引き寄せられているのだ。
「レンが怒ってくれてんだ。こいつの核からヤベェ殺意が伝わってくんだよ。アンがエリーを運びな。オレは今すぐにレンとヤる」
そう言うバルガスは興奮しきっているのか、声が楽しげに弾んでいる。
「ちょっと待て」アントニオは焦った。「わかったからこれだけは聞け。お前みたいなゴーレムが暴れたら町がまた大変なことになるからな。ここから離れた人のいない場所でやれ。いいな?」
「りょーかい」
バルガスはフラスコをアントニオに手渡し、レンの服を拾って踵を返した。
「ふざけるな。おっと、落ち着けよレン。暴れんなって。エリーを返せ?まぁまぁ」
意味のわからぬ事の呟きながら、バルガスはどこかへ駆けて行った。
「さて。お前はエリーを担いで僕についてこい。離れたらお前は死ぬし、エリーを起こそうとしても僕がこれを握りつぶしてやるからね」
スドゥは鼻を鳴らして笑う。
「潔癖気味のアントニオにできるかな?それの中身は…」
「うるさい!やっぱり地面に投げる!そうすれば手を汚さずに済むだろ。さっさと担いでついてこい!」
スドゥはアントニオをこれ以上刺激しないように急いでエリーを背負う。意識のない人体は重かった。
「エリーに手を出せば、フェリックスが黙ってないぞ」
スドゥの言葉に、アントニオは何も返さなかった。
田舎町から少し走ると、草原が広がる光景や森の姿が見えてくる。バルガスが走ればすぐに森の奥深くに着いてしまう。
「出してやるから大人しくしろよ」
そう言って、体の中から古い短剣を出す。途端、周囲の土が嵐のように暴れ回った。
短剣と衣服を同時に投げると、土が盛り上がってそれらを覆い隠した。土はみるみる人の形となり、黒髪の青年になる。
「やっと二人きりになれたな。この時が待ち遠しかったぜ」
恍惚とした表情で語りかけるバルガスとは違い、レンは彼を睨みつけていた。これまでのどの瞬間よりも苛立っているレンの目には鋭い眼光が宿っている。
「今すぐにエリーの元へ急ぎたいところだが、貴様は私の邪魔をするんだろう」
「勿論。オレたちの仲は誰にも邪魔させない。嬢ちゃんでもアンでも駄目だ」
「そうか」
レンは一度俯くと再び顔を上げ、覚悟を決めたようにバルガスの目を見る。
「ゴーレムを殺すのは初めてだ」
「初めてを貰えるなんて光栄だねぇ」
静かな森に大きな音が響き渡る。
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