第4話 印のないゴーレム

 活気のある街『ケンガシュレッド』。石畳の上を駆け回る子供達に、教会に通う老婆、商いに忙しい若い男たちが目に付く。都会というほどでもないが、雰囲気の良い街だった。しかし、情報収集にはうんざりだ。

 エリーは何の進展もない現状に苛立って不機嫌そうに腕を組んだ。そんな彼女の隣にはスドゥがいる。ここ数日過ごしてすっかりエリーの性格に慣れてしまったのか、それとも元から気性の荒い人間の扱いに慣れているのか、エリーが不機嫌になるとスドゥは優しい声音で宥め始めるのだった。

 一方レンは別行動をしていた。この街の東部には人気がないエリアが存在する。そこにいるのは少し荒々しい人々で、フェルモマ人の少女が行くには危険だった。勿論レンがいれば大丈夫だろうが、せっかちなエリーが手分けをしようと言い出したのだった。三人の中で一番大きく力が強く、容姿も大人びているレンがそのエリアで情報を集めるべき。エリーはそう言ったが、レンは激しく抵抗した。

 レンはエリーをスドゥと二人にしておくのが嫌だった。まだ完全に信用しているわけではないが、エリーはスドゥをすっかり気に入っていた。彼はレンとは対照的でさっぱりした昼のような性格をしている。たまに嫌味な事も言うが、仲良くなれば感じの良い少年だった。物分かりも良く紳士的で、それがエリーのお気に召したようだった。

 レンはそれが気に食わなかったようで、ことあるごとにスドゥに突っかかった。レンがそうするので、スドゥも煽るような態度になり、二人が揃うとすぐに喧嘩になる事もしばしば。それを止めるのはいつもエリーだった。

 内心エリーはレンとスドゥを引き離したいという気持ちもあったし、道を歩くたびにレンにぴったりとついて回られるのも疲れていたのだった。

 レンは一人での情報収集を言い渡された初めの方は口答えしかしなかったが、エリーが強い口調でこう言い放った。

「忘れていないでしょうね。これはあなたの用事で、私は付き合わされてる身なのよ。あなたの望みを叶えてあげようと思って、少しでも早く情報が集まるように言ってるの」

 エリーに強く言われると、彼女に対して気の小さい彼は逆らえなかった。渋々といった様子で二人のもとを離れて行ったが、彼は姿が見えなくなるまでスドゥを睨んでいた。

 そんな彼を思い出したスドゥは、休憩のために道端に腰掛けているエリーの方を向いた。

「レンは大丈夫かな」

 そう言うと、エリーは呆れたように溜め息をついた。

「丁度心配になってたところよ。あの人すぐかっとなるから、どこかで騒ぎを起こして目立ってないか心配だわ。また噂になりませんように」

 スドゥから見ると本当に不思議な組み合わせだった。レンはエリーに怒られると居心地の悪そうな顔をするし、エリーもレンのようなタイプが好きには見えなかった。スドゥには気になることしかない。

 二人は日陰になっている道端で休憩しながらレンに思いを馳せた。二人の頭には、通行人にいちゃもんをつけられ、それに苛立って相手の首根っこを掴み上げているレンが浮かんだ。レンと数日過ごしていればわかるが、彼にはそういう所がある。二人は苦笑した。

「ちょっとレンと合流しない?」

「そうだね。念の為ね」

 そう言って二人が立ち上がった時、何かが聞こえた。耳を澄ますと、それは子供の叫び声のようだった。そう遠くはない距離にいる。スドゥはすぐに走っていくエリーを止めようとしたが、彼女は真っ直ぐ声の方に向かっていった。仕方がないので彼も声のした方へ急いだ。

 道を曲がったり真っ直ぐ行ったりしていくと、不意にエリーの足が止まった。

「静かにしな、嬢ちゃん」

 すぐそこにから男の声がする。エリーは目の前の曲がり角を慎重に覗き込む。スドゥもそれに続いた。

 そこは暗い道で、陽の光が遮られて影になっている。その道の真ん中には大きな男が立っていて、少女の襟首を掴み上げていた。

 身長はレンよりも高く見える。短い金髪で側面は刈り上げられていて、真っ黒な目をしていた。左の目に斜めに入った傷跡は頭にまで伸びている。顔立ちはロハンネ人のようだった。

 黒いベストに緑のループタイを身につけ、その上からは柔らかい素材の白いマントを羽織っている。珍しい格好だった。

 その男を見た途端スドゥは息を呑んだ。エリーの肩を叩き、声を顰めて訴える。

「あいつ、バルガスだ。フェリックスの贔屓客のゴーレムだよ!」

 “フェリックスの贔屓客”。その言葉が耳に入った瞬間、エリーの体に力が入った。贔屓客ならば、フェリックスにエリーの居場所を伝える可能性はゼロじゃない。

「逃げよう。ゴーレムだし、僕らに勝てっこないし、何よりあいつヤバいんだって!」

 スドゥの声に必死さが見てとれた。エリーは少女と自分の安全の間で揺れ動く。

 そうこうしている内に、バルガスは言った。

「次叫んだら殺すぞ」

 少女は怯え上がり、間違っても叫ばないように自分の口を手で覆い隠した。

 その様子を見たバルガスは満足そうに目を細め、踵を返してどこかに行こうとする。

 途端、エリーは駆け出してバルガスに体当たりした。

(あぁ、終わりだ!)

 スドゥは頭を抱えるが、彼はバルガスに勝てる自信がない。そもそも絶対に深く関わりたくない贔屓客だった。スドゥは後退り、どこかに行ってしまった。

 体当たりは避けられることはなかったが、エリーは絶望した。普通の大人であれば体が揺れるくらいはして良いはずなのに、バルガスの体はぴくりとも動かない。

 しかし、幸いなことにバルガスの手から少女が落ちた。彼女は悲鳴をあげて遠くに逃げていく。それを見たエリーも走り出そうと脚に力を入れたが、いつの間にか地面の感触がしないことに気付いてしまった。

 襟を掴まれて持ち上げられている。首が締まっている。エリーは必死になってバルガスの腕を離そうとするが、彼の腕は岩のように動かなかった。

「フェルモマ人?いやぁ、違うな。ナルノ人の血も入ってる」

 バルガスはエリーをじろりと見ると、彼女が苦しそうにしていることに気付いて目を丸くした。

「おっとそうだった。人間は首を絞めると死ぬんだったな。すまんすまん」

 そう言って彼は襟を掴むのをやめ、胸倉を掴み直して再び見つめてくる。

「綺麗な嬢ちゃんだねぇ。なんか知ってる気がするけど、どっかで会ったことあるか?」

 首は締まっていないとはいえ、胸倉を掴まれて体を浮かされては苦しかった。バルガスの手を必死に掴むがエリーの力ではびくともしない。それでも彼女は抵抗した。

 バルガスの方はその抵抗など気にも留めない様子でぼんやりと考えていた。しばらくすると頭の中に目当てのものが浮上してくる。バルガスはぱっと顔を明るくした。

「あぁ!フェルモマ人なのにアンバーの目をして、ボルバンズの髪飾りをつけてる奴隷!フェリックスの所から逃げたっていう噂の人気者じゃねえか」

 商人の名が聞こえた途端、エリーの体に緊張が走る。

「いいねえ」バルガスは言った。「俺が連れて帰ったら、フェリックスは俺に褒美をくれるかね。それともアンにやるのかね。うん、俺にが良いな」

 この男はエリーをフェリックスに差し出すつもりだ。そうわかった瞬間、エリーは力を振り絞って拳を振り翳す。

 彼女の小さい拳はバルガスの頬に直撃した。しかし、当たったというのに彼の顔に浮かんでいる奇妙な微笑は崩れなかった。

「嬢ちゃんみたいな良い女は嫌いじゃねえが、どうしても褒美が気になるんでな。フェリックスの所に持って行かせてもらうぜ」

 エリーはバルガスの笑顔が憎らしかった。彼女が苦しそうにしているところを楽しそうに見つめる彼の顔は、爽やかな好青年そのものだ。それがなんとも気持ち悪い。

 バルガスが歩き出すので、エリーは焦って大声を出した。

「汚い手を離しなさい、この変態!レディに無許可で触るなんて失礼よ!」

 バルガスは再び目を丸くする。その顔はおもちゃを与えられた子供のように無邪気な楽しさに満ちていた。

「噂通りの……」

 バルガスの言葉は途中で切れた。

 エリーの目の前でそれは起こった。突然バルガスの頭部が崩れたと思うと、彼の体は土になってあちこちに散り、エリーは地面に落とされた。

 バルガスが立っていた場所には彼が着ていた服が落ちている。何が起きたのかわからず服を見つめていると、頭上から男の声がした。

「死んでいませんよね?」

「レン!来てくれたのね」

 見上げると、そこにはいつも無表情な顔に焦りを滲ませたレンが立っていた。レンは屈んでエリーの首を確認し、次に彼女の目を見る。生きていると確認出来ると彼の顔は安心したように緩むが、すぐに鋭い顔つきに戻ってエリーを庇うようにして立った。

 エリーが振り返ると、そこには盛り上がった土があった。砂粒が蠢いて土の山に向かっていく。やがて山は人の形を成した。

 それは全裸のバルガスになった。

 エリーの心の底から怒りが込み上げてくる。頭が沸騰して腹がぐつぐつ沸き立つような気分だ。

 「ゴーレムって裸に抵抗ないの!?」

 エリーの故郷のフェルモマ人達はしっかりと肌を隠していたわけではないが、裸になる人はいなかった。しかも異性の裸体となると、特別な仲になった相手にしか見せては駄目だった。それはフェルモマ人だけではなく、ロハンネ人もナルノ人も同じはずだ。

 「へぇ」バルガスが恥ずかしげもなく口を開いた。「レンっていうのか。強いねぇ。最近のゴーレムじゃこんなに重いラブコールは味わえない」

 バルガスはエリーを無視してレンの方を見つめていた。彼の瞳は先程よりも強烈な好奇心を浮かべている。

 一方レンの方はと言えば、目も口も開いていた。ありえないものを見るかのようにバルガスの下半身を見ている。

「貴様、何故“生やして”いるんだ……⁉︎」

 今度はバルガスの方が目を丸くした。自分の下半身を見てレンに視線を戻すと、心底不思議そうにする。

「人間の男はついてんだぜ?」

「知っているが?そういう話では…」

 レンが大きな声で言いかけると、いつの間に近付いていたのかバルガスはレンのすぐ目の前に立っていた。あまりに親しみやすく邪気のない調子で話しかけてくるものだから、つい話に夢中になって気が付かなかった。

 バルガスはレンの体に手を伸ばすと、なぜか下履きをめくって中を見た。

「あ、生えてねぇ」

「貴様ッ!」

 状況にやっと気付いたレンは咄嗟に殴りかかった。その拳が当たった途端、バルガスの体は土に戻って地面に落ちる。地面に落ちた土は落ちていた衣服に集まり、あっという間に服を着たバルガスに戻った。

「今のオレみたいに裸になるような状況になったら、生えてねぇと人間じゃねえってバレるんだぜ」

「いやいや、あっても邪魔だろう。私たちには必要がない機能だし、そもそも貴様のように土に戻れば人間じゃない事はバレる」

「あ、そっか!確かにな!」

 十歳の少女がいる場で大人の男がして良い話ではない。エリーはゴーレムの価値観に触れた気がして呆れた。彼らは本当に人間とは違うものだから、裸になることもそういう話をすることも抵抗がない。

 呆れていると、ふとエリーの頭に一つの考えが浮かんできた。心臓の音がうるさくなるのを感じる。緊張して息が浅くなり、胸の鼓動が大きくなって苦しくなる。

 エリーはレンの後から出ると、バルガスの目を見て言った。

「あなた…体に印がなかったわよね」

 レンの目が大きく見開かれ、バルガスの姿を見つめ直す。

 バルガスが何も纏わずに立っていた時は正面からの姿しか見えなかったが、確かに印らしきものは見えなかった。

「まぁな」バルガスは言う。「ちょいと古いゴーレムなもんで」

 再び衝撃が走る。印のない古いゴーレム。レンと同じだ。

 レンはないはずの心臓が期待に弾むのを感じていた。目の前にいる男が自分の命を断つ手がかりを握っているのではないか。そんな期待を核に、レンは上擦った声を出した。

「貴様はどうやったら死ぬんだ」

 レンだけではなく、エリーも息を呑む。バルガスはにやりと笑って言った。

「お、なんだ?オレと殺し合いをしてくれるってのか?なら教えない方が楽しいかもなぁ」

 その時突然風が吹いたかと思うと、背後から耳を塞ぎたくなるような轟音が響いた。

 見ると、建物が倒壊している。壁は見るも無惨に破壊され、建物を作っていた石や木が転がって砂埃が舞っている。レンとバルガスの姿はなかった。

 間髪入れずに再び衝撃音が鳴り、あちこちから砂埃が舞う。人々の悲鳴が上がる。

「エリー!ここは危険だ。離れよう!」

 どこにいたのか、すぐ近くにスドゥがいた。彼はエリーに駆け寄って手を取り、手を引いて走り出した。

「スドゥ!レンは?」

「今バルガスと戦ってるんだろうさ。こりゃこの街は終わりだね」

 スドゥはそう言って説明してくれた。

「バルガスはね、簡単に言うと戦闘狂だ。いつも強い人を探しては、やろうぜって絡むんだ。相手にする人あんまりいないけど、レンの一言でやる気があるって勘違いしたんだろうね。テンションあがっちゃってるよ。困ったことになった」

「そんな…レンは大丈夫なの?」

「何言ってるの?レンの殺し方はわからない。そんな不死身のゴーレムが簡単に負けるとは思えないけど」

 スドゥはエリーを励ますように明るく言った。

「とにかくバルガスはレンに任せて、今は逃げなきゃ。こんな騒ぎ起こされちゃどっちみちこの街から出なきゃいけないしね!」

 スドゥは入り組んだ路地裏を迷いなく進んでいく。しばらく走ると街の端まで出た。スドゥはそれでも足を止めなかった。

「このまま南に行くよ。いいね?」

 二人は手を繋いだまま走った。緑が増えてくる。しばらくして呼吸が苦しくなってくると、スドゥはエリーの手を離した。

「大丈夫?ひっぱちゃってごめんね。あの街からできるだけ離れておきたいから、歩けるかな?」

 エリーが頷くと、スドゥはゆっくりと歩き出した。

 街から離れる為に移動している間、スドゥはバルガスというゴーレムについて教えてくれた。

「あいつはフェリックスの贔屓客『アントニオ・パック』のゴーレムさ。あのフェリックスにも恐れず近付いてベタベタして、よく「オレとヤろうぜ」って戦いを申し込んできてたから、フェリックスが嫌がってたな。強いゴーレムらしいって噂は聞くけど、やっぱりあれは相当だね」

 そこまで言うと、スドゥは視線を宙に彷徨わせた。考えている。

「さっき、確かに印は見えなかった。今までは顔じゃない所に印がある珍しいタイプなのかと思ってたけど、今考えてみれば気になるね。もしかしたらレンと同じなのかもしれない」

 スドゥがエリーを見ると、彼女は黙り込んで俯いていた。スドゥは優しく微笑んで声をかける。

「レンが心配?」

 エリーの首が縦に動く。レンを面倒がるが、彼女もレンと別行動なのが不安だったのだろう。彼女にとってレンは旅の仲間として最も信用できる相手なのだ。フェリックスの仲間だったスドゥに比べて彼を疑う必要はないし、今まで追手から守ってくれたという事実もある。そんな彼にバルガスという敵が現れ、不安になってしまうのも無理はない。

 スドゥは努めて明るい声を出した。

「大丈夫、レンを信じよう。死ねないって僕らに情報収集させてるくらいなんだから、「お待たせしました」とか言いながらいつも通りの無表情で帰ってくるよ」

 小さく頷くエリーの手を握る。スドゥは彼女が少しでも不安を和らげられるよう、彼女の先を歩いて話をやめなかった。




 日が暮れてきた頃、二人は入った森で野営の準備を始めた。スドゥは帽子から水筒やかけ布を取り出してエリーに手渡した。

 レンが帰ってくるまでは用心のために火を焚くことはよした。もし情報が漏れて居場所がバレると、スドゥとエリーではどうしようもない。しかし火が沈めば森の中は一寸先も危うくなる。スドゥは帽子から小さなランプとマッチを取り出した。エリーに渡して火をつけるよう言うと、野営の場所を囲むように地面に何かを書き始めた。

 エリーはランプを付けて地面に置くと、スドゥの方が気になった。

「何してるの?」

「気配を薄める術式だよ。簡単なものだからバレやすいけど、気休めにはなるだろ?煙や音は誤魔化せないと思うけど、ランプの光ぐらいだったらなんとか出来ると思う」

 術式を書き、帽子から石を取り出す。術式の上に石を置いて作業を終えると、スドゥはエリーの所へ戻ってきた。エリーは不安そうに布を被って小さくなっている。暗い森に少年と少女の二人だけでは不安になるのも仕方がなかった。

 ふとした時に思うが、スドゥはなぜ少年の体で生まれたのかと思う。もし大人の体に生まれていれば、目の前の少女も少しは安心できたのではないか。

 そんな考えはすぐにスドゥの頭から消えた。自分が大人の男で今よりも腕っ節が強ければ、エリーとレンから警戒されるに決まっている。非力な少年の形をしていて良かったのだ。

 気が付くと、そんな彼の思考を見透かしたようにエリーはスドゥを見ていた。エリーは少し優しげに目を細める。

「気になる事があるんだけど、良い?」

「なんだい?」

「あなた、私がバルガスの方へ行った時に走ってどこかに行ったでしょう?」

 胸の鼓動が激しくなる。スドゥは何か言おうとしたが、口は意味もなく動くだけで、肝心な音は何も出なかった。

 二人が見つめ合う。沈黙が流れている。そんな二人の間に別の声が入ってきた。

「お待たせしました。悪い事はされていませんか、エリー」

 顔を上げると、すぐ近くにレンが立っていた。術式の範囲内に足音もなく侵入している。それも驚くべき事だが、彼の服はボロボロになって、所々穴が空いていた。

「ちょっと、来るならもう少し音を立てて来てくれない?」

「僕達は追われてる身だってことわかってる?追手でも来たのかと思って心臓が止まるかと思ったよ!」

「ていうか、せっかく買った服が台無しになってるじゃない!替えの服を買ってて良かったわ」

「全く、レンってやつは…」

 説教を一斉に浴びせられたレンはなんとも言えない顔をして聞き流すと、すみませんとだけ言った。

 レンが着替え終えて腰を下ろすと、エリーは言った。

「レン。助けてくれてありがとう。もう少しでフェリックスの所に連れて行かれるところだった」

「あぁ、いえ…どういたしまして」

 照れくさそうに顔を背けるレンに微笑むと、エリーはスドゥに視線を寄越した。

「レン。そういえば聞きたい事があるんだけど」

「はい、なんですか」

「あなたはたまたま私がいる所に来て、バルガスに連れ去られそうな私を見つけたの?それともゴーレムには主人の危機を察知する力があるの?」

 その質問に、レンの顔はくしゃりと歪んだ。答えたくないという事だろうが、レンはエリーに逆らえない。

「本当に癪ですが」レンは渋々口を開いた。「情報収集に進展がないものでしたから、エリーのいる場所に向かっていたんです。あなたが急に走り出したのも気になりましたし。そうして歩いていると、フラスコの領域の限界だったのでしょうね。そこの子供はあの路地裏から出たすぐそこで私を見た途端、大きく手を振ってきたんです。あなたの危機を私に教え、助けを求めた」

「スドゥは逃げたんじゃなくて、レンに私が見つかるようにしたのね。まぁ、心臓を握られているのに遠くに逃げられるはずがないし」

 エリーがウインクをしてくるので、スドゥは目を丸くした。これは思っているより親しまれている、のか。

「それにしても、フラスコから離れたら死んじゃうのにレンに助けを求めに行ってくれるだなんて…ありがとう、スドゥ。助かったわ」

 助かった。それは、役に立てたという事だろうか。

 エリーがバルガスに捕まった時、自分が立ち向かっても何も出来ないことがわかっていた。だからこそ、スドゥは少しでも望みのある方へと賭けた。

 レンが見つけてくれるよう、人の目に触れる場所に立つ。本当にフラスコの領域の限界で、心臓が嫌に高鳴った。

 バルガスがエリーを連れてどこかへ向かえば、スドゥはその場で死んでいた可能性もあった。それでもスドゥはレンが見つけてくれる事に賭けたのだ。

 スドゥは心臓が温かくなる感覚がした。温かくて、悲しくないはずなのに、苦しい。

「ううん。どういたしまして!」

 スドゥがそう言うと、エリーは彼の手を握った。その時、スドゥの手には硬いものが触れた。

「エリー、これ…」

「私のために動いてくれる人をこれ以上疑うのは失礼よね。まぁ、仮にあなたがまだフェリックスの仲間だとしても、フェリックスの所に行けばあなたに会えるってことはわかってるからね」

 脅しの言葉があったが、それは意味もなく付け加えられた言葉にすぎなかった。スドゥはエリーの顔を見る。初めて彼を“一人”として扱ってくれた人を。

 スドゥはまたエリーの事が好きになった。




「フェリックスの所から逃げ出した奴隷?」

 細身のナルノ人は興味がないようで、バルガスには目もくれず本に目を落としている。

 バルガスは慣れきった様子で続けた。

「綺麗な顔してたぜ。アンの好みかはわからんが」

 アントニオが反応したのをバルガスは見逃さなかった。

「ほら、小さい女の奴隷が逃げたってフェリックスから連絡が来たろ?」

 にやにや笑う彼に、アントニオは不快そうに鼻に皺を寄せる。

「僕が幼女好きだからって、フェリックスの所有物ならどうにもできないじゃないか。しかもあいつその奴隷に必死になってるから、もしかしたら気に入りの奴隷かもしれない。そんなのに手を出したら僕が消されるだろ。興味ないね」

 そう言ってあしらうが、バルガスはしつこかった。

「まぁそう言うなって」アントニオが座っている椅子を撫で、バルガスは媚びるような声を出す。「連れてけば褒美が貰えるかもしれんぞ?それにその奴隷と一緒にスドゥがいたのを見たぜ。あいつフェリックスを裏切ったに違いねぇ。スドゥも一緒に差し出せば、二人ぐらい奴隷をくれるんじゃねぇか?」

 疑いの目がバルガスに注がれた。

「お前ならフェリックスの奴隷が逃げたところで気にも留めずに忘れてしまうだろうに、急にどうしたんだよ?もしかして幼女の素晴らしさに気付いたかな?」

「すまんがオレはアンの趣味は理解できねぇしする気もない。ただ、逃げた奴隷を守ってるゴーレムが…」

「あぁ!強そうだったんだな!?お前の趣味こそ理解できない!まさか今日お前が全裸で帰ってきたのは、そのゴーレムと戦ったからだって言わないだろうな!」

 発狂するアントニオに悪戯っぽい笑顔が返される。そんなバルガスに頭を抱え、アントニオは立ち上がった。

「お前はいつも僕の邪魔をする…!この街気に入ってたのに、街の建物をぶち壊しやがって!また居場所を移さなきゃならないじゃないか!」

 彼は部屋の中に散らかしたままの本や道具を片付け出した。バルガスは主人を手伝おうとする素振りを見せず、ベッドに腰を据える。

「丁度いい!“エリー”を探そう」

「お前まさか、これを狙って街で暴れたんじゃないだろうな」

 綺麗な顔に睨まれ、バルガスはわざとらしく笑ってみせた。

「覚えておけよ、このくそゴーレムが!」

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