第二話:ふたりだけの魔法薬学


「でしたら、よく眠れるようになる魔法薬『ポーション』を、一緒に作りましょう」


 しばらく僕の頭を撫でていたセレスティアは、ふとそんな提案をした。


「魔法薬、ですか?」

「ええ。あなた自身が作ることで、魔法はより強く、あなたに寄り添うものになります。きっと、今夜は安らかに眠れるはずです」


 彼女はにっこりと微笑むと、僕の前にそっと手を差し出した。月明かりに照らされた彼女の指は、白魚のように細く、そして綺麗だった。

 僕は少しだけためらったけれど、その紫色の瞳が、あまりにも優しく僕を見つめているものだから、断るなんて選択肢は思い浮かばなかった。おそるおそる、自分の手を、彼女の手に重ねる。


 彼女の指先は、想像していた通り、少しひんやりとしていた。けれど、その冷たさが、火照った僕の手にはむしろ心地よく感じられる。


「さあ、行きましょう。私の工房へ」


 セレスティアは僕の手を優しく握ると、ゆっくりと立ち上がった。僕もそれに引かれるように、ベッドから降りる。

 部屋を出て、石造りの廊下を歩く。僕たちの足音はほとんどしない。ただ、セレスティアのドレスの裾が、シャラ、シャラ、と床を擦る音だけが、静かな廊下に小さくこだましていた。


 工房のドアを開けると、ふわりと、様々な匂いが僕の鼻をくすぐった。乾燥したハーブの香り、古い紙の匂い、そして、暖炉で燃える薪の、少し甘い香り。部屋の明かりは、暖炉の炎と、大きな窓から差し込む月光だけだ。


 パチッ、パチパチッ……。


 暖炉の薪がはぜる音が、静かな工房に温かみを添えている。壁一面には、天井まで届く巨大な本棚がそびえ立ち、革張りの古書がぎっしりと並んでいた。部屋の中央にある大きな作業台の上には、大小さまざまなガラス瓶や、フラスコ、ビーカーといった器具が、炎の光を反射して、キラキラと宝石のように輝いている。


「すごい……」


 思わず、感嘆の声が漏れた。まるでおとぎ話の世界に迷い込んだようだ。


「ふふ。散らかっていて、お恥ずかしいですけれど」


 セレスティアはそう言って、僕の手を引いて作業台へと向かう。


「さて、何から始めましょうか。まずは、材料ですね」


 彼女は僕の手を離すと、棚に並んだ無数の小瓶の中から、いくつかを選び始めた。ガラスの瓶同士が、コツン、と軽く触れ合う音がする。


「ポーション作りに一番大切なのは、作り手の心です。穏やかな気持ちで、丁寧に、心を込めて作ること。そうすれば、魔法はきっと応えてくれます」


 彼女はそう言うと、一つの小さな瓶を手に取り、僕の目の前に差し出した。


「これは『月光草』。この森でしか採れない、特別なハーブです」


 瓶の中には、銀色に輝く、三日月のような形をした小さな葉が数枚入っていた。


「月の光を浴びるほど、穏やかな香りを放つのです。……ほら」


 セレスティアは瓶のコルク栓を、ポン、と軽やかな音を立てて抜いた。そして、その瓶の口を、僕の鼻先にそっと近づけてくる。

 ふわり、と今まで嗅いだことのない、甘く、そしてどこか切ないような、澄んだ香りがした。目を閉じると、静かな湖のほとりに一人で立っているような、そんな情景が心に浮かぶ。


「いい、香り……」

「でしょう? この香りは、人の心の波を、静かに鎮めてくれる効果があるのです」


 彼女は満足そうに微笑むと、コルク栓をキュ、と音を立てて閉めた。

 次に彼女が手に取ったのは、黒いビロードの小さな袋だった。


「そして、こちらが『星の雫』という鉱石です」


 彼女が袋の口を開け、中身を手のひらにこぼれ落とす。コロコロ、と小さな粒が数個、彼女の白い肌の上を転がった。それは、夜空の闇をそのまま固めたような、深い藍色をした小さな石だった。そして、その表面には、まるで星屑を散りばめたように、微細な銀色の粒子がキラキラと輝いている。


「この石は、とても綺麗な音を奏でるのですよ。……耳を澄まして、よく聞いていてくださいね」


 セレスティアはそう言うと、僕のすぐ隣に顔を寄せた。そして、僕の右耳に、彼女の手のひらをそっと近づけてくる。彼女の体温と、甘いハーブの香りが、すぐ間近に感じられて、全身が硬直する。


 サラサラ……、シャララ……。


 彼女が手のひらを優しく揺らすと、石同士が触れ合って、まるで天の川が流れるような、繊細で美しい音がした。その音は、鼓膜を直接撫でるように、心地よく身体の中に染み渡っていく。


「……聞こえましたか?」


 耳元で、彼女の囁き声がする。吐息が、耳たぶにふわりとかかって、くすぐったい。


「は、い……すごく、綺麗です……」

「ふふ。よかった」


 彼女は悪戯っぽく笑うと、僕から少しだけ身体を離した。その名残惜しさに気づかないふりをして、僕は彼女の手のひらの上の鉱石を、ただじっと見つめていた。


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