第8話


         ※


 久弥は颯爽とジープの運転席に飛び乗った。すかさず急発進。危うく俺は、助手席から放り出されるところだった。

 普段ならその危険な運転に怒声の一つも飛ばすところ。だが今はそれができない。それどころではない。


 昨夜から今朝までぼんやりしていたのは俺なのだ。現場に急行すべき皆の足を引っ張った。ひいては、民間人の避難に余計なタイムラグを加えてしまった。

 一応、今の自衛隊内において体罰は禁止されている。だが俺が所属しているのは、飽くまでもGB。額から出血するくらいの拳骨程度は覚悟しなければ。


「佐山三尉、あなたの考えてること、当ててみせましょうか?」

「分かるのか? ああいや、疑ってかかるのはよくないな。市川曹長の返答、聞かせてくれ」

「歯を一、二本へし折られるのは仕方がない。どうです?」


 俺は肩を竦めることで、ずばり正解なのだと示してみせた。

 それから先、俺と久弥の間に会話らしい会話はなかった。非常用短距離無線が届く範囲に入るまでは。


 流石に今、このタイミングで大野三佐の声を聴くだけの度胸はない。もちろんこれは、俺の甘えだ。それでも、余計な感情を背負いたくはなかった。外部との通信は、しばらく久弥に任せる外あるまい。


 そっと久弥を横目で見ると、彼女は正面を睨んだまま。それでも言いたいことを我慢しているのは伝わってきた。そんなことはとうに分かっている、とでも言いたげなジト目で、久弥は無線機を手にした。


《こちら大野、前線指揮を執る。幽霊が巨大になって都市に現れるなどというのは、前代未聞かつ荒唐無稽の事態だった。しかし、今回のこの幽霊に関しては、我々GBが対処することとなった。理由は単純で、目標の姿が半透明であり、なおかつ周辺に淡い霧のような冷気が漂っているからだ》


 いずれも幽霊に見受けられる特徴だ。ここで、大野三佐は空咳を一つ。


《現在のところ、この怪獣が幽霊とどんな関係があるのか、詳細は不明だ。だが、それを調べるのも我々の任務の一部。幸い、民間人の避難はあと十分ほどで完了するとのこと。つまり、十分後に総員の全火力を集中、目標を一気に制圧するのが妥当なところだ。何か代案のある者は、正直に申し出てほしい》


 しばしの間、誰も手を上げなかった。というより、上げられなかった。

 三佐は無線の向こうから、現場到着まで七分ほどだと告げた。


         ※


 いつの間にか、俺たちを包んでいた森林地帯はビル群へと置き換えられていた。ビル群とは言っても、飽くまでここは巨大臨海都市の衛星都市に過ぎない。ギリギリ首都圏に入るかどうか、というところ。さして都会には見えないだろう。


 それでも、民間人はあちこちに見受けられた。警察と陸自が協力して、急いでここから離れるようにと促している。


《全車両停止、兵士各員は標準装備を整えて降車。重火器班、早速一発お見舞いするぞ。各員、重火器使用中の兵士を援護しつつ、弾幕を切らすな。奴の頭部に火力を集中しろ》


 彼らしい堅実な攻め方だ。

 はっとして、俺は助手席の窓から身を乗り出した。民間人の姿は見られない。目に入るのは、救急車や公共交通機関の大型車両、それに民間人を乗せた陸自の輸送車ばかり。なるほど、十分で民間人の避難が完了、というのはそういう意味か。


 ところで、怪獣はどこだ?

 それはすぐに見つかった。まっすぐ前方で四、五階建てのビルが、巨大な人型の幽霊らしきものに切断され、がらがらと呆気なく崩壊するところだった。

 ビルの一階から二階あたりは砂塵やガラス片が舞い散っている。それでも目を凝らせば、二本の脚部が無人のトラックを蹴とばしているのが見えた。


 こいつは幽霊と認識してもいいのだろうか? かなり巨大だが、人間と同じ姿かたちをしている。


《フェーズ1発動、陸戦隊射撃開始! フェーズ1、陸戦隊射撃開始!》


 待ってましたと言わんばかりに、何本もの対戦車ミサイル(対幽霊仕様)が地面から発せられた。ドドドドン、と胃袋を底から震わすような爆発音が連続し、巨大幽霊の姿を爆炎と黒煙が包み込む。


《目標、動きが鈍っています! しかし現在も移動中!》

《対戦車ミサイル、効果あり! 第二弾発射まで残り二十秒!》

《よし! 目標頭部を狙い、第二弾発射準備! 残りの者は、各々自動小銃で攻撃を開始、目標の動きを封じるんだ!》

《了解!》


 無線を聞いてごくり、と唾を呑んだ俺は、座席横のラックから自動小銃を取り外した。勢いよくドアを押し開け、軽く膝を曲げて着地する。


「久弥、行くぞ! 俺たちも援護射撃に加わるんだ!」

「――了解!」


 久弥は同意するのに多少抵抗があったようだ。まあ当たり前か。

 今朝になって『遅刻』という大失態を犯したのは俺の方だ。どちらかと言えば久弥が苛立って当然だろう。


 しかし、そこから先の久弥の動きは実に俊敏だった。

 俺のと同型の自動小銃を手に取り、射撃前の安全確認を完了。最寄りにあった放置車両の間に滑り込み、どんどん巨大幽霊との距離を詰めていく。


 ……って、あまりにも速すぎやしないだろうか? 俺たちは障害物競走をしているんじゃないんだぞ。


 結局、久弥が自分で納得できる射撃位置についた頃には、二度目の対戦車ミサイルによる攻撃が為されるところだった。

 先ほどと同様、爆炎と黒煙が――。


「……あれ?」


 俺は我が目を疑った。次に周囲を見渡した。皆が困惑し、何が起きているのか把握しかねている。なにせ、直撃コースで発射されたミサイルが、空中で静止してしまったのだ。


「空気が歪んでる……?」


 再び巨大幽霊を視野にいれて、目を凝らす。俺の脳裏に、実に危機的な考えが浮かび上がった。


「総員退避!!」


 喉が潰れても構いやしない、とにかく多くの兵士たちに呼びかけなければ。


「総員退避! ミサイルが飛んできます! 総員退避!!」


 ここで咄嗟に動けたのは、俺と同じ考えを抱いていた者たちだけだっただろう。

 予想外だったのは、同じことを、久弥もまた考えていたということだ。


「皆さん逃げてください! こんな近距離にいては、方向転換したミサイルにやられます! 急いで距離を取ってください!!」


 ああ、そうか。ミサイルが当たらずに爆散してしまうとか、発射された場所に戻ってくるとか、そういうことか。状況としては最悪だが……。

 まさにその時だった。まともに起動中のミサイルが、視界の横合いから飛び込んできた。


         ※


 俺ははっとして、防御のためのビル陰から飛び出した。訓練飛行中と思われる戦闘機、F-15のペアが、実弾で攻撃を開始したのだ。

 GBの対艦ミサイルに比べ、火薬量が増している分、巨大幽霊に与えるダメージも大きかった模様。幽霊はぐらり、と大きくその上半身を傾げた。


 すると、空中で異変が生じた。GBが放った対艦ミサイルが、その場でばらばらと落下し始めたのだ。その隙に、GBの兵士たちはより距離を取って、素早くビル陰や民家の裏側に駆け込んだ。


《こちら大野、空自の協力を申請した! 我々は爆撃範囲内より撤収、その後、目標に対して総攻撃を決行し、今回の任務を――》


 と言ったところで、無線は途切れた。何事かとビル陰から覗き込む。

 すると、真っ赤な火の玉がほんの数メートル先に落下してくるところだった。


「うっ!?」

「佐山三尉!!」


 俺は何者かに引き倒された。俺の首があったところをコンマ数秒の差で、F-15の破片が飛び去っていった。

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