第4話
※
俺たちが置かれた不利な立場には、三つの要因があった。
一つ目は、戦場たるトンネル自体が狭いこと。情報管制が敷かれているため、前方から後方までの通信が難しい。
二つ目は、敵に上方を取られやすいこと。非常排水区画としてのトンネル。その本道から枝分かれした部分に、敵が潜んでいるかもしれない。
三つ目は、同士討ちの恐怖だ。狭ければ狭いほど、味方から弾を喰らってしまう可能性は高くなる。
その同士討ちを防ぐべく、新米兵士は最前線に立って突撃する役割を担う。真っ白な人型の煙に、自動小銃を連射しながら突っ込むのだ。俺だって、それはそれは怖かった。
しかし現在、俺も精密射撃には随分と慣れてきた。この狭くて薄暗い環境にも。そろそろフルオートで突撃を敢行すべきか。
胸中で呟きながら、銃撃体勢をフルオートに切り替える。カチリ、と微かな音を立てて、自動小銃は俺に応えてくれる。後は引き金を引いて、撃って、幽霊どもを現世から追い払う。
それだけで済むはずだった。この場に『あいつ』がいなければ。
スコープの向こうに見えた幽霊。そいつに向かって銃撃を開始しようとした、その時だった。
「おんどりゃぁあ!!」
何だ、今のは? 銃声じゃない、人の声、なのか?
続けざまにバシン、と物体同士が激突する音がして、スコープで捕捉できる範囲から外れてしまった。
「くそっ!」
何が起こってる? 誰と誰が戦っている? そもそも、俺たちの教練テキストに、格闘戦は載っていないぞ?
俺はゴーグルを外し、弱めの閃光手榴弾をぶん投げた。そこに浮かび上がってきたのは、二人分の人影と、手前でバイザーを調整する新米兵士たち。
俺は今度こそ、自分の手で幽霊をハチの巣にしてやる所存だった。しかしそれは、俺の視界の右上方から飛び込んできた小柄な人影によって遮られてしまった。
「いっ、市川久弥曹長! 何をやってるんだ!?」
俺は襟元のマイクに吹き込むが、久弥は応答しない。やがて蹴りは幽霊の頭部に直撃。ぐわんぐわんと揺さぶった。
「撃ち方止め! 撃ち方止め!」
声を大にして、俺は皆の前に飛び出す。着地して伏せた久弥の背中を踏んづけ、周辺を警戒する。見える範囲では、久弥に蹴り飛ばされた個体を含めて三体。また、こちらの自動小銃の残弾は十分だ。
念のため、俺は通信を入れておく。
「これより、最前列の目標三体を迎撃する。総員、弾倉確認の上援護射撃を頼む。以上」
言い終えるや否や、俺は腰元から大型拳銃を抜いた。我ながら流れるような所作で、膝で押さえつけていた個体に拳銃弾を撃ち込む。
すると、今までと違って黒い柱上の何かが生成された。移動しなければ、俺はその柱に巻き取られてしまう。
「チイッ!」
慌てて飛び退いた。身体に異常はないが、拳銃を失ってしまった。
得物に関しては自動小銃がある。しかし、最初に見かけたような白い柱ではなく、黒い柱を使って成仏する幽霊は稀だ。
白い柱が天国、黒い柱が地獄。そのように区別が為されているのではないか。それが、俺たちGBの研究班が提出している仮説だ。
まるで飲みすぎてぶっ倒れたサラリーマンのような格好で、黒い柱に回収されていく幽霊。白い柱だったら、ほとんどの者が背筋を正し、やや上方向を見ながら光に包まれていくのだが……。
思いの外、幽霊の接近を許してしまった俺は、ひざまずいて動かない。
これを『動けない』のと一緒にしてはいけない。幽霊にどう見えていたかは分からないが、俺は素早く自動小銃を捨て、もう一つ背負っていた火器、散弾銃を取り出した。
ガシャリ、と初弾を装填し、振り返りざまに発砲。ズドン、と臓腑に響くような重い銃声と反動。幽霊の頭部は見事に四散し、首のない霊体部分はよろよろと後ずさった。
「でぇい!」
俺はその霊体の足元を、勢いよく蹴りつけた。突っ転んだそいつの身体から逃れるように、俺はぐるぐると転がって危険な位置から逃れる。
素早く立ち上がり、散弾銃を握って次弾を装填。しかし、これ以上の散弾銃の出番はなかった。
最後の一体となった幽霊を狙おうと銃口を上げた、その時だった。
「ふん!」
幽霊の腹部から、何かが出てきた。いや、背後から貫かれた、というべきか。
幽霊はぴたり、と足を止め、ゆっくりと自らの腹部を見下ろした。
「トロいんだよ、化け物が!」
そう叫んだのは久弥だった。きっとあの腕も、久弥が空手の『突き』の要領で幽霊に見舞ったものだろう。
次の瞬間には、久弥は幽霊の膝の裏側を強く蹴りつけていた。勢いのままに膝をつき、ばったりと倒れ込む。
「てめえ、どんな悪事をやったんだ? 金を奪ったか? 誰かに見られたか? それでついつい殺しちまったか? ああ!?」
「お、おい、久弥! 無駄な暴力を振るうな! 現世で恨みを買うことだってあるんだぞ?」
「じゃあそのままでいいんですか、佐山三尉? どうして悪党まで成仏させてやらなきゃならないんです? 全員地獄に墜とせばいいのに!」
「そ、それは……」
俺自身、そうしてやりたいと思うような下衆な幽霊は何度も見ている。連中は黒い柱に取り巻かれ、地獄逝きにされるのがいい。いや、そうされるべきなのだ。
しかしそれは、基地に帰ってから考えるべきこと。今は戦闘任務中なのだ。
だが、俺のその一瞬の逡巡を、久弥は逃さなかった。
「ね? 佐山三尉だって思うでしょう?」
ずいっと顔を近づけてくる久弥。俺はできる限り表情筋を動員し、怒りの表情を作ろうとした。が、そうそう上手くはできない。
俺はぐいっと視線を外し、唐突に尋ねた。
「ここが終着点か?」
「はい?」
「ここがトンネルの最奥部なのかと訊いているんだ、市川曹長!」
「何もそう怒ることじゃあ――」
これにはもう、俺は自分で自分を制御する手綱が千切れる気配を感じ取った。
「怒ることなんだよ、分かってんのか、てめえ!!」
「ちょっ、え? ここで叱るんですか? 部下もいるのに――」
「それがどうした!!」
俺は久弥を振り向かせ、胸倉を掴んだ。そのままずいずいと歩を進め、トンネルの内壁に押しつける。
「俺の意見や希望はどうでもいい。この組織は立派な軍隊なんだ、分かるか? その中で、誰かが勝手してちゃたまったもんじゃない。だからどうでもいいんだよ、俺の恨みも、お前の過去も!」
「ッ!」
俺の言葉に、ついに久弥もキレてしまった。
「この野郎! 上官だからって下手に出てりゃ……!」
「軍規を守れと言ってるんだ! そんなことも分からないのか!?」
と言い終える直前、強烈なストレートが俺の頬を掠めた。鼻の骨でも折りにきたのだろう。
ここで口頭注意だけで済ませられれば、俺だってまだ気は楽だったかもしれない。 しかし、この市川久弥という女は、手加減して相手をできるような中途半端な力量の持ち主ではない。
年齢や体格差もあるだろう。しかしそれでも明らかだった。俺より彼女の方が強いのだということは。
この場において、最も聡明だったのは大野三佐だったと言える。俺よりも先に、久弥を狙って麻酔の注射を刺し込んだからだ。
「制圧完了を確認した! 状況終了、総員撤収用意!」
三佐は俺に一言告げるのも忘れない。
「佐山、市川の意識が戻り次第、彼女を連れて私のオフィスに来い」
「は、はッ……」
まったく、苦労の絶えない職場だ。
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