友人との再会

 毘天はその後も紗詩の献身的な看病とリハビリを続け、更に一年が過ぎた頃。体に違和感を何一つ残す事無く、普通に会話が出来るようになるまでに回復出来た。

 この頃には自分の体に対する違和感も時間軸の違いにもすっかり馴染み、年齢に至っても部の一族から放り出された時は確かに9つだったが、見た目年齢から紗詩の2つ上になるほどに成長しているだろうと思い至り、今年毘天は20歳になろうとしていた。

 

 間もなく、治療する必要もなくなり退院目前になり、思いがけず毘天はかつての友人と再会を果たすことになった。


「毘天、あなたもようやく退院ね」


 紗詩と共に買い出しの手伝いに行っていた毘天は、隣にいる彼女を振り返る。


「退院……」

「凄く時間がかかっちゃったけど、だいぶ元気になったでしょう? もう治療を受けなくて済むのよ。良かったわね」


 道の先を歩いていた紗詩は嬉しそうにそう言いながら振り返ってくる。しかし、毘天は手放しに喜べるはずもなかった。

 身寄りがいるわけでもなく帰る家も無い。ましてや、病院に厄介になっている内は良かったがここの世界の事を良く知りもしないのだ。「元気になったからそろそろ退院しましょう」と言われても、それ以降どう過ごしていけばいいのか分からなかった。


「……」


 毘天は手にしていた荷物を持つ手に僅かに力を込めて歩みを止め、口を引き結んで視線を下げる。するとそれに気付いた紗詩は不思議に思い、同じように足を止め毘天を見つめた。


「毘天?」

「……別に、嬉しくない」


 怪訝な表情を浮かべ、視線を逸らす毘天に紗詩は彼の顔を覗き込む。


「家には帰らないの?」

「……帰れない。帰る家なんかない」


 目を逸らしたままぶっきらぼうにそう答える毘天に、紗詩は気まずそうに視線を逸らした。

 毘天を見つけて療養を始めて約一年半。そう言われれば、たったの一度も毘天の両親は彼に会いに来たことは無い。こちらが連絡を取ろうと思っても、彼が何処に住んでいるのかも分からず、手が空いた時には近隣の村々を当たってみても、それらしい人には会った事がなかったからだ。毘天自身も頑なにそこは口を割ろうとしなかったのには、深い訳があるんだと言う事は分かっていたのだが……。


「でも、離れ離れになって心配しているんじゃ……」

「心配なんかしない。出来るわけないだろ!!」


 苛立ったように睨みつけ声を荒らげるた毘天に、紗詩は思わずびくっと体を震わせた。

 まるで般若のような凄みのある形相。ゾッとしてしまうような強い威圧感を感じさせる眼光に、紗詩はそれ以上何も言えなくなる。同時に、目の前にいる毘天が知らない人間のように感じてしまう。


「……ご、ごめんなさい」


 紗詩がぎこちなく視線を逸らして地面を見つめると、毘天は我に返り焦りの色を見せ始めた。


「ご、ごめん。俺……」

「いいの。もうあなたとは長い付き合いだったからつい気が緩んでいたみたい。私が無神経だったわ。そうよね、人それぞれ事情があるわよね」

「紗詩……」


 困ったように笑いながら顔を上げる彼女に、毘天もまた気まずい気持ちに包まれる。こんな風に彼女を怖がらせたり、威圧的になるつもりはなかった。未熟で無神経だったのは彼女ではなくむしろ自分の方だ。


「も、もう戻りましょう。お父さんも待ってるわ」

「……」


 それまで当たり前のように話すことが出来ていた間柄だったのに、たった一度の過ちで途端にぎこちなくなってしまう。紗詩もまたこちらに気を使って、しかし視線を僅かにそらしながらも努めて明るく語りながら先を歩きだす。

 毘天はそんな彼女の背中を見つめ、ぎゅっと拳を握り締める。


「紗詩……」


 退院する日が近いなら、もう彼女と会う事がなくなるかもしれない。傍にいる事は叶わなくなるのかもしれない。

 胸の中に芽吹いたこの淡い想いを無かったことにすることが怖かった。患者と薬師と言う関係で終わらすこともなく、これからもずっと彼女と一緒にいたい。意図せず彼女を怖がらせてしまったが故に、このまま気まずく終わってしまうのも嫌だ。


 ふと彼女を呼び止めると、紗詩もまた足を止めておもむろにこちらを振り返って来る。

 黒く長い髪をふわりと揺らしながら振り返る彼女の姿は、思わず見惚れてしまうくらい綺麗だと思う。自分の気持ちを彼女に伝えるなら、もう今しかない。眉間に深い皺を寄せ、僅かに下唇を噛んで気持ちを奮い立たせてからようやく口を開く。


「本当にごめん。俺がどうかしてた」

「大丈夫よ。私も無神経だったし」

「でも……」

「じゃあ、お互い様って事にしましょ?」


 申し訳なさそうに謝って来る毘天に紗詩も困ったように笑いながらそう言うと、ぎゅっと胸の奥が苦しくなる。

 毘天は荷物を持っていない方の手を固く握り締め、意を決したように口を開いた。


「俺……。俺、君の事……」

「毘天……? もしかしてお前、毘天じゃないのか!?」


 胸に秘めた想いを伝えようとしたところで、被さるように大きな声が毘天の後ろからかかる。

 毘天は再び眉間に深い皺を刻み苛立ったように背後をゆっくりと振り返ると、そこには毘天よりも年若い姿をした長い金髪の男が立っている。この辺りでは見ない珍しいその髪色を毘天は忘れるはずも無く、怪訝な表情を崩して一変、喜びの混ざった驚きが顔になった。


忉利とうり……!?」

「やっぱり!! お前今までどこにいたんだよ! 急にいなくなって心配しただろうが!」

 

 毘天は久しく会う、かつて自宅を訪ねて来てくれていた友人に嬉しそうに破願する。忉利と呼ばれた男も毘天の元気そうな顔を見て嬉しそうに駆け寄ってきた。

 毘天よりも頭一つ分低い身長と、まだどこか幼さの残る表情をした忉利は見た目年齢で言えば今の紗詩と同じくらいだと言っても良いが、実際は毘天と同じ年齢だ。


「お前全然変わってねぇな」

「まぁな。そう言う毘天は随分変わったなぁ。しかも元気そうだ。一年前まではすぐ寝込んでたのに」

「あぁ、それは……彼女のおかげなんだ」


 毘天が紗詩を紹介しようと振り返ると、当の紗詩は惚けたような顔を浮かべて忉利の姿に見入っていた。頬を僅かに赤らめ、瞳はキラキラと輝いているようにも見える。言葉もなく、ただぼんやりと忉利の姿を見つめ続ける紗詩のその様子に、毘天はモヤモヤとした感情が胸の内に生まれるのを感じた。


「紗詩?」

「え? あ、ご、ごめんなさい」


 毘天が声をかけると現実に引き戻された紗詩は頬を染めたまま慌てて顔を伏せる。恥じらいからもじもじと着物の裾を弄りつつ、時折ちらちらと様子を窺うように視線を投げかけて来る紗詩に、毘天は隣の忉利を見た。しかし、忉利は彼女の様子に対し何の疑問ももっていないようでキョトンとした顔を浮かべている。


『なぁ。彼女、お前の女?』


 こそっと耳打ちをしてくる忉利に、毘天は思わず顔を赤らめて「そうだ」と言ってしまいそうになる。だが、それを言う事で後々面倒くさい事になるのも嫌だと、この時は仕方なく首を横に振った。


「彼女は紗詩と言って、この先の診療所で薬師として働いてる」

「へぇ、薬師なんだ」

「俺は彼女に助けられたんだ」

「……ふ~ん」


 助けられた。その一言に何かを感じた忉利だったが、この時はその話には触れず年相応の会話に持って行く。


「こんにちは! 俺、忉利って言います。毘天とは友人で仲良くしてます」

「あ、わ、私は紗詩と言います。診療所で薬師として働いてます!」


 突然会話を振られた事で、紗詩はびっくりしたような顔を浮かべながらも顔を更に赤く染め上げて恥ずかしそうに瞼を伏せた。 

 恥じらいといじらしさが滲み出ている紗詩は、誰の目から見ても分かる「女」を前面に出しているのを見て、毘天はどこか面白くないと思ってしまった。


 ……そんな顔、自分には一度も向けてくれた事はない。


 誰かに好意を寄せている時、いつもとは違う面を人は見せると紗詩の父は言っていたが、あれはこういう事なのかと納得した。

 いつだったか、紗詩の父は自分を見てピンと来たんだろう。今の紗詩のように自分も同じような顔をしていたのだろうと思う。でも、その相手が自分じゃないと分かると面白くない。自分は長い間想っていると言うのに……。


「すみません。ちょっと積もる話があるんで、毘天借ります」

「は、はい! あ、毘天。えっと、それじゃ私先に戻ってるね?」

「あ、あぁ……」


 紗詩は気を利かせたのか、先に診療所に戻っていると言って赤ら顔のままぺこりと頭を下げ、小走りにその場を後にした。

 残された忉利と毘天は紗詩を見送った後、すぐ傍の土手に腰を下ろした。


「……なぁ。お前何があったんだ?」


 忉利は隣り合って座る毘天に視線を向けることなく、目の前の情景に目を向けたまま口を開いた。

 目の前には田園風景がずっと広がっており、畦道にはちらほらと人が立って田んぼの様子を見ている者がいる。


「……何って」


 毘天が言葉を濁すように視線を下げながらそう呟くと、忉利はそんな毘天に視線を投げかけた。


「一年前、俺、羅闍らじゃとお前の家に遊びに行ったんだ。そしたら家の中はもぬけの殻になってて、そこら辺の大人に聞いたら知らないの一点張りでさ。どの大人も子供も、全員まるでお前や家族が最初から存在していなかったかのように振舞いやがるんだ。昨日までいた奴をいなかったように振舞うって尋常じゃねーよ」

「……」


 まさかそんな風になっているとは思わなかった。

 毒を飲んだ事で自分はもういないものとみなされたんだろう。両親は……自分が手にかけてしまったし、最初から存在を無かったことにするには問題が無かったに違いない。

 理屈で考えれば分からないわけじゃない。だがそれでも心が痛まないわけじゃなかった。


 そんなにも、自分たちは邪魔者だったのだろうか、と。


「行方は全然掴めない、何処にいるのかも分からない。手がかりも何一つない。……俺も羅闍も、お前が急にいなくなって悲しかったよ」

「……羅闍は、元気にしてるのか?」


 羅闍とは、もう一人の毘天の友人だった。

 毘天と同じく浅黒い肌をして大きな体をしていて、同じ年齢のはずなのに自分たちよりもずっと大人びて見える、そんな友人だった。


「当たり前だろ。今でもお前の事探してるんだぜ」

「……そうか」

「でも、俺が見つけたからもう安心だな。羅闍には俺から連絡入れておくよ」

「あぁ、ありがとう」


 家族ではなく、こうして友人が身を案じて心配してくれていると分かると心の中が温まるような気持だった。もう自分には誰もいないんだと思い込んでいたし、長い時間二人と疎遠になったことで自分の事などすっかり忘れていると思っていたからだ。


「それにしても、まさかお前が人の世界に来てたとはな。通りで見つからないわけだ」

「……別に、来たくて来たわけじゃない」

「だろうな。俺らは神人族だ。人間たちとは違う。俺らはまだ半人前だから、まだこっちの世界にはよっぽどの事が無い限り来られないはずなんだ。なのにお前がここにいるって事は……そういう事なんだろ」

「……」

「なぁ、何があったんだよ?」


 忉利は真面目な表情でじっと毘天の顔を見つめている。

 これ以上、心配をかけるのは違うかもしれない。そう思った毘天は彼の方へ向き直り口を開いた。


「……俺はさ、毒を盛られて武の一族から追放されたんだ」

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