昇降機の中の照光記

K-enterprise

紡げない言葉があったから今がある

「山科、わりぃ遅くなった、変わるぜ」


 同僚の柳瀬が作業着の前ボタンを留めながら隣の椅子に座る。


「この客を見届けてから上がるよ」


 柳瀬の遅刻癖に苦笑しながら、六面あるモニターの一つを凝視する。

 ちょうど扉が閉まり、下降が始まったところだ。

 レストランのある36階から1階のロビー以外は停止しない直通エレベーターの箱内には、男女が一人ずつ乗っていた。

 天井隅に設置された監視カメラから届く映像に写る男女は、恋人同士にしてはぎこちなく、初々しさを感じる。


「いいな~オレもこんな可愛い彼女が欲しいよ」


 他に稼働しているエレベーターは無く、柳瀬はモニターを見ながら呟く。

 その声が聞こえるはずもないのだが、しばらく箱内を興味深そうに眺めていた女性が、カメラを凝視する。

 瞬間、俺の中にある記憶と照合され、その女性が俺の良く知る人物であることに気づいた。


 新歓コンパ、サークル、文化祭、打ち上げの飲み会、飲み過ぎた俺、介抱してくれた彼女、初めてのデート、好んで観たB級映画、廃屋探検、マズいラーメン屋巡り、古本屋、海……。

 一学年下の彼女と過ごした数年間が、怒涛の様に脳内を駆け巡る。


『4月1日と、4月2日だよ? しかも深夜と未明とか、ほとんど同じタイミングに生まれたのに先輩ってなによ』

『はじめて、両親に文句言っちゃった。なんで誕生日を4月1日にしてくれなかったの? って』

『ねえ、置いていかないで』


『……スーツ、似合ってるよ先輩』


 最後に見た彼女の顔は笑顔だったから、俺が思い出す彼女はずっと笑顔だった。

 でも今、モニターに映っているちょっとだけ大人びた彼女の顔は、なんだか無防備で、少しだけ間抜けに見えた。

 そして、そんなくるくる変わる表情と、笑顔だけじゃなく、怒った顔も大好きだったことを思い出す。


 だから、会えなくなる時間が怖くて逃げた。



 エレベーターは一階に到着し、彼女と男は並んで降りた。

 俺があの時、言えなかった言葉を紡いでいれば、俺は今、彼女の隣にいたのだろうか?

 そんな不誠実な「if」を頭から振り払いながら柳瀬に声をかける。


「そんじゃ、後はよろしく」

「おう、楽しんで来いよ」

「見て見ぬ振りしろよ」


 そんなやりとりをして、ビルの管理会社から退勤した俺は、そのままビルの一階ロビーに向かう。


「悪い、遅くなった」

「お仕事お疲れ様でした。あ~今日は楽しみだな、新作のアフタヌーンティー」

「食いすぎるなよ? 明日は前撮りなんだから」

「じゃあ食べた後は階段で降りよう!」


 そんな風に嬉しそうに笑う婚約者と一緒にエレベーターに入る。

 36階のボタンを押し、監視カメラを見る。

 さっきまでここにいた彼女と、見つめ合っているような幻想を振り払い、今度は間違えないように、婚約者の手をぎゅっと握った。




―― 了 ――

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