第五章 終焉の刻
第34話 神殿のその先へ
深淵から戻った俺たちの前に、再びあの神殿が姿を現した。答えがここにある。そう、開発者が告げているかのようだった。
以前訪れた時とは違う。世界の果てで絶望し、ただ救いを求めて歩いたあの時とは、俺も、そしてラミアも、決定的に違っていた。
「行くぞ」
俺の短い言葉に、ラミアは静かに頷く。俺たちの旅は、もう逃避じゃない。これは、歪められた世界を、そして囚われた魂を解放するための、反撃の始まりだ。
神殿の回廊に足を踏み入れると、待ち構えていたかのように、白い光が壁のように立ち塞がった。
無数の神官たちが整然と並び、杖を掲げて一斉に詠唱を始める。空気が震え、聖歌のような旋律と共に、床に描かれた巨大な魔法陣がまばゆい光を放った。
聖なる炎、神罰の稲妻、鎖のように絡みつく光の結界。そのどれもが、かつてラミアを苦しめた、魔族にとって天敵とも言える属性だ。
けれど、隣に立つラミアの表情は、今は氷のように冷ややかで、その唇には美しい微笑すら浮かんでいた。
「かつてならば、余を封じる術もあったであろうな。……だが今の余には、児戯に等しい!」
彼女は殺到する白炎の奔流に対し、優雅に片手を差し出した。炎は彼女に触れる寸前で渦を巻き、まるで掌に吸い込まれるかのように収束していく。
「なっ……!? 聖なる力を、吸収しているだと……!?」
「馬鹿な! ありえん!」
神官たちが絶叫する。ラミアはふっと笑うと、吸収した純白の炎を、その指先で禍々しい漆黒の炎へと練り変えた。
「光も闇も、本来は表裏一体。貴様らの矮小な信仰心で縛れるほど、今の余は安くはないぞ」
次の瞬間、放たれた黒炎が神官たちの陣形を焼き裂いた。光の鎖など、ラミアの足元に触れる前に、まるで自ら砕け散るかのように霧散する。
俺はその光景に心底震えた。恐怖ではない。誇らしさと、彼女と共鳴するような昂ぶりだ。
これが、
神官たちが怯みながらも、再び詠唱を繋ごうとする。
だが、今度は俺が前に出た。
「俺も、ただ守られてるだけじゃないんでな」
腰に下げた竜殺しの剣を抜く。鋼が煌めき、反射した光が彼らの目を眩ませた。
剣を構えた瞬間、世界がスローモーションになる。時間の滝で追体験した無数の死の記憶が、魂レベルで未来を“視せて”いた。魔法が放たれるコンマ数秒前に、その弾道が光の線となって網膜に焼き付く。神官たちの連携、思考の隙間までもが、俺の魂に直接流れ込んでくる。
一人の神官が放つ光の矢。その横から別の神官が展開する結界。俺にはその全てが、確定した未来として視えていた。
俺は最小限の動きで矢をかい潜り、結界が完成する寸分の隙間をすり抜け、すれ違いざまに一閃する。
一撃で数人が吹き飛び、彼らが張っていた結界ごと壁を突き破って倒れた。セーブデータという概念を超えた、俺自身の「積み重ね」が、今まさに力となっている。
血塗られた運命を破壊した魔王と、ゲームの理をハックする元・ゲーム廃人。
奇妙で、そして最強のバディが、ここに誕生した。
「ラミア!」
「承知!」
もはや言葉すらいらなかった。呼吸を合わせ、背中を預け、ただ突き進む。
彼女の変幻自在の魔力が敵の陣形を崩し、俺の未来を視る一閃がその隙を突いて道を切り開く。
爆音と閃光の渦の中で、白い法衣は次々と血に染まり、崩れ落ちていく。あれほど荘厳に響いていた聖なる歌声は途切れ、代わりに響くのは俺たちの足音と、決意の鼓動だけだった。
白亜の回廊は瓦礫と化し、天井のステンドグラスが砕け散る。
降り注ぐ虹色の光の破片の中、俺は確信していた。
――もう勇者はいらない。俺たちが、この
崩れ落ちる神官たちの影を踏み越え、俺とラミアは神殿の最奥、荘厳なる聖堂へとたどり着いた。
その中央の祭壇の前に、教皇ベネディクトは、静かに立っていた。
「……よくぞここまで来た。理を超えた力を身につけたようだな。異物の勇者と、堕ちた魔王よ」
ラミアが一歩前に出る。その金色の瞳には、燃えるような敵意が宿っていた。
「余を魔王と定め、あまつさえ
俺も剣を構え、声を張り上げた。
「決着をつけよう、ベネディクト!」
次の瞬間、聖堂全体が純白の光に包まれた。ベネディクトが掲げた杖から、神官どもの術とは比べ物にならない、圧倒的な密度の聖なる炎が迸る。
「ふんっ!」
ラミアが闇の盾でそれを受け止める。だが、盾の表面は激しくひび割れ、まばゆい光がそこから貫通してきた。
「俺が行く!」
俺は地を蹴り、ベネディクトへと一直線に駆け出す。振り下ろす剣に、これまでの戦いのすべてが宿る。火花が散り、聖なる結界を強引に斬り裂いた。ベネディクトの口元が、かすかに歪む。
「愚か者め……! 神より与えられしこの力、貴様ごときが超えられると思うな!」
「だったら見せてやる! 俺たちが、俺たち自身の力で掴み取った、本当の力をな!」
渾身の一撃がベネディクトを打ち抜き、その豪奢な法衣が裂け、老人の体は糸が切れたように床へと崩れ落ちた。聖堂は沈黙に包まれ、まばゆい光の揺らぎが収まる。
俺は大きく息を吐き、剣を収めかけた。――その時。
死んだはずのベネディクトの身体が、淡い光に包まれて、まるで何事もなかったかのように立ち上がった。
「……ここは神の御座。この教会である限り、我らは幾度でも蘇るのだ」
その不気味な声に、ラミアが後ずさる。
「なんだと……? 不死身だというのか……?」
だが、その光景を見た俺の脳裏に、かつてのゲーム知識が閃光のように閃いた。
(そうだ……昔、検証動画で見たことがある。神官クラスの敵は、“教会”属性のマップ内だと、HPがゼロになっても一定時間で復活する仕様だった。運営の杜撰なコピペ実装が生んだ、有名なバグ仕様だ……!)
「ラミア、聞いてくれ! こいつらは、この場所が
「……ほう?」
「なら、この場所を
俺の言葉に、ラミアの唇に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「なるほどな、面白い発想だ。――ならば余が、この神の家ごと、全て打ち壊してやろう!」
ラミアが両腕を広げ、解放された全魔力を解き放つ。
闇と炎と雷が混ざり合い、暴風となって聖堂を薙ぎ払った。ステンドグラスは粉々に砕け、大理石の柱は根こそぎ吹き飛ぶ。
だが、彼女の力はそれだけでは終わらない。
崩れ落ちた聖堂の瓦礫が、まるで生き物のように蠢き始めた。石材が組み合わさり、ステンドグラスの破片が牙となり、巨大なゴーレムたちが次々と立ち上がる。
「神の家を守る番兵ならば、相応しかろう?」
ラミアの嘲笑と共に、瓦礫のゴーレムたちが再生しかけたベネディクトへと襲いかかった。
教皇が絶叫する――だが、その声は自らが仕えたはずの神殿の崩壊音に掻き消され、二度と蘇ることはなかった。
瓦礫と化した聖堂の中心に立ち尽くし、俺とラミアは深く息をついた。
復活のループは断ち切られ、正真正銘の決着がついたのだ。
「これで、教皇は……もう二度と戻ってこない」
俺がそう言うと、ラミアはゆっくりと笑みを浮かべ、頷いた。
「ふふ……ならば、次は“神”そのものだな」
砕け散った聖堂の天井から、夜空に浮かぶ、あの異様な「裂け目」の光が覗いていた。
俺たちは顔を上げ、その光を睨みつける。
最後の戦いは、もうすぐそこまで迫っていた。
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