第三章 異物《バグ》の削除《デリート》

第18話 神の使徒

 滅んだ大都市アテナイを後にしてから、俺とラミアは当てもなく荒野を彷徨っていた。

 本来の物語シナリオなら、ここからの進行は「西の平原を越えて次の王国へ行き、ギルドイベントをこなす」……はずだった。

 だが、そのギルド自体がどこにも存在しない。NPCも、イベントも、マップマーカーすらもなく、俺は完全に道を見失ってしまった。


 いや、道を見失っただけじゃない。胸の奥では、アテナイで見た光景が焼き付いて離れない。

 バグ、リセット、消える住民……。この世界そのものが、俺の知らないルールで歪み、壊れていっている。そんな感覚だけが、確かな現実として横たわっていた。


 ラミアは廃墟と化した大地を見渡しながら、長い黒髪を風に揺らす。


「ぬるい風だ。筋が通らぬ世界は、呼吸まで濁る」


 その荘厳な声が、妙に現実味を帯びて俺の心臓を締め付けた。


 ――その時だった。


 漆黒の法衣に身を包んだ男が、荒野の中央に立っていた。

 周囲には気配などなかったはずなのに、まるで陽炎のように、そこに最初から存在していたかのような自然さで。

 頭を深く覆うフードの下から、冷たい金色の瞳がこちらを射抜いている。背筋に悪寒が走った。


「……ルーカス」


 低く抑えられた声が響く。まるで、俺の本当の名前を知っているかのように。


「おまえは、この世界に属さぬ異物。物語シナリオを乱し、存在してはならぬもの」


 俺は条件反射で剣に手をかけた。


「誰だ、お前……! このゲームにそんなキャラはいないはずだ!」


 叫んでから気づく。そうだ、この男はゲームに登場しない。攻略サイトにも、設定集にすら名前はなかった。完全に未知の存在。


 ラミアが一歩前に出て、俺を庇うように立つ。


「……気をつけろ、ルーカス。こやつ……ただの人間ではない。底知れぬ、異質な力を感じるぞ」


 その言葉と同時に、フードの男の周囲に光の陣が展開された。幾何学模様の文様が宙に浮かび、空気が焼けるような音を立てる。

 次の瞬間、無数の光の槍が雨のように降り注いだ。


「っ……!」


 俺はとっさに横に転がり、砂を巻き上げる。ラミアが瞬時に黒い魔力の障壁を展開し、光の槍を弾き飛ばす。

 障壁が激しく震え、きしむ音が聞こえた。一撃一撃が、これまで戦ってきたどんな敵よりも異様に重い。


(――これはイベントじゃない、本物の殺意だ!)


 ラミアが苦々しげに声を荒げた。


「忌々しい……! この世界の座標が乱れておる。余の転移術が封じられておるぞ!」


「え、嘘だろ!? テレポートで逃げられないのか!?」


「……地の底やマグマの中に転移してもよいなら使えるが?」


「……いや、やめておこう」


 冗談めかしたやり取りをしている余裕などない。背筋は氷のように冷え切っていた。逃げ道がない。ここで戦うしかないのだ。


 俺は咄嗟に、震える頭でゲーム知識を総動員した。敵の行動パターンを読む。光の槍、爆裂する紋様、拘束の鎖。どれも見たことがないはずなのに、どこかゲーム的な規則性を持っている。

 

(――ランダムに見えて、三手ごとにパターンが繰り返されている……!)

 

 俺は歯を食いしばり、次の攻撃に備えて身を伏せた。


「来るぞ!」


 叫ぶと同時に、地面から光の鎖が蛇のように飛び出した。俺は寸前で転がり抜ける。


「読めた……! この攻撃、三ターン目ごとに必ず来る!」


 ラミアが鋭い笑みを浮かべる。


「ふん。ならばその隙を突けばよいだけのこと! ――《真空魔斬しんくうまざん》!」


 彼女の漆黒のドレスが舞い、黄金の瞳が輝いた。次の瞬間、魔力を凝縮した斬撃が放たれる。しかしフードの男は動じず、光の結界を張り、難なく相殺してみせた。


「異物に未来はない。正しい物語シナリオに戻すため、おまえたちは削除されねばならぬ」


 無感情な声が、俺の恐怖をさらに煽る。

 俺は背筋に走る恐怖を気合で押し殺し、剣を構えた。レベル不足は承知の上だ。それでも、やるしかない。


 決死の想いで俺は斬りかかる。しかし刃は結界に阻まれ、けたたましい音を立てて弾かれた。衝撃で腕が痺れる。それでも諦める訳にはいかない。

 俺は何度も、何度も攻撃を繰り返した。

 

 神官の光が迫るたびに、必死に転がり、叫び、体に染み付いた経験則を叩きつける。

 だが、体力は容赦なく削られ、足はもつれ、もう限界が近かった。


「ルーカス!」


 ラミアの声が響く。彼女は結界を破ろうと、さらに強大な闇の魔力を凝縮させていた。

 俺は息を切らしながら、最後の知恵を振り絞った。


「……そうか……! このパターン、初期バージョンのバグ技で抜けられる……!」


 神官の攻撃が振り下ろされる瞬間、俺はわざと地面に身体を沈めるように滑り込み、当たり判定の僅かな穴を突いた。裁きの雷が俺の頭上を紙一重でかすめていく。


 神官が俺を見失ったその一瞬の隙に、俺たちは全力で走り、近くにあった廃墟の裂け目に身を滑り込ませた。


 背後で、神官の冷たい声が響く。


「逃げても無駄だ。異物に救済はない」


 荒い息を吐きながら、俺は闇に包まれた地下道をとにかく走った。

 全身が、恐怖で震えている。ラミアでさえ、本気を出して倒せなかった。あの男は一体何なんだ? 誰が、何のためにあんな存在を差し向けてきた?


(なんだ、あいつは……。なんで俺の名前を……? 異物? 削除? 何のことだ……?)


 胸の奥で、答えのない問いが渦巻く。

 ただ一つ確かなのは、俺たちがこの世界そのものから、明確な殺意をもって狙われているという事実だけ。


(逃げないと。あいつにまた見つかったら、次は絶対に殺される。だけど……どこへ? どこへ逃げればいいんだ……?)


 恐怖が思考を麻痺させる。俺はただ、ラミアに手を引かれるまま、暗い地下道をどこまでも逃げ続けた。

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