第19話 物語の檻
息が切れていた。荒野を駆け抜け、幾度も倒れそうになりながら、それでも足を止められなかった。
背後にあの神官が追ってくる気配はない。だが、奴の「異物」「削除」という言葉が、呪いのように脳裏にこびりついて離れなかった。
抱いた恐怖は、今や自分の存在そのものへの疑念に変わっていた。俺は本当に、この世界にとって異物なのか。もしそうなら、俺は一体何者なのだろうか。
やがて、俺は足元の異変に気づいた。
緑のあった大地が徐々に色を失い、石ころだらけの灰色の地面へと変わっていく。草木の匂いは消え、風の音すら途絶え、世界から生命の気配が失われていく。
そして、ついに大地が不自然に、ぷっつりと切れている場所に行き着いた。
俺は立ち止まり、息を呑む。
そこから先は、ただ真っ白な荒野が無限に広がっていた。
色も、影も、質感もない。まるでペンキで塗りつぶしたかのような無機質な空間が、地平線の彼方まで延々と続き、空との境さえ曖昧だ。
俺に追いついたラミアも、その異様な光景に言葉を失っている。やがて、その金色の瞳が驚愕に見開かれた。
「……ここは、理の尽きる場所か」
「ああ……。ゲームでは確か、このあたりは「ワールドボーダー」と呼ばれてた。見えない壁があって進めない、マップの端だ。でも、その向こうにはちゃんと次の大陸のデータがあったはずなんだ」
だが、目の前には何もない。未完成のキャンバスのように、ただ真白な虚無が続いているだけ。
俺はしゃがみ込み、地面に転がっていた小石を拾った。
ひとつ、ふたつ手のひらで転がしてから、思い切り白い荒野へ投げ入れる。
石は弧を描いて飛び、――そして、現実と虚無の境界線に触れた瞬間、ふっと消えた。
音もなく、影もなく。まるで最初から存在しなかったかのように。
「……っ」
背筋に冷たいものが走った。
試しにもう一度、今度は砂を掬って投げてみる。結果は同じだ。境界線に触れたものは、例外なく消滅する。
「入れないように設定されている……。いや、最初から、この先は
思わず独り言が漏れる。
――ゲーム開発の裏を知る者なら、この空間を「テスト用マップ」と呼ぶだろう。未完成の領域。正式にプレイヤーがアクセスすることなどできない、世界の外側。
逃げて、逃げて、逃げ続けた果てにたどり着いたのが、この世界の行き止まり。俺たちは、完全に閉じ込められてしまったのだ。
ラミアが歩み寄り、白い虚無の境界に手をかざす。彼女の長い指先から放たれた魔力が、境界に触れた瞬間、霧散していく。
「……ぐっ……! 余の魔力が、吸い込まれる……? いや、違う……。余の存在そのものが、この先へ進むことを拒絶されておる……!」
ラミアの苦々しい声が、俺に絶望的な事実を突きつけた。
この壁は、魔王の力ですら超えられない、この世界の絶対的なルールなのだ。
胸が、押し潰されそうだった。
もうどこにも、逃げ場なんてないじゃないか。
その時、俺の頭の中に、ある光景がフラッシュバックした。
――そうだ。あの神官から逃げられた時も、そうだった。
圧倒的な力の差。正規の攻略法じゃ絶対に勝てない相手。だけど、あの世界の僅かな判定のズレ……あの
ゲームのプレイヤーとして、俺は常に枠組みの外から世界を見ていた。
――だが今の俺は、その
「……そっか」
乾いた唇から、声が漏れた。
握り締めた拳が、かすかに震える。
(この世界が檻だというなら、その檻を構成しているプログラム自体が、俺の武器になる……)
ラミアが、俺の顔つきが変わったことに気づいて、訝しげにこちらを見ている。
俺は顔を上げ、目の前の虚無を睨みつけた。
希望ではない。
それは、体に染み付いた走者としての習性。追い詰められた俺が、最後にすがりつく、ただ一つの可能性だった。
俺がやるべきことは、この檻から脱出することじゃない。今はまだ、そんな大それたことは考えられない。
ただ、生き残る。
この理不尽なルールの中で、バグという唯一の抜け道を使って、次の一歩を踏み出すための活路を見つける。
それだけだ。
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