第17話 滅んだ街

 アレンたちの死から目を逸らすように北の峠を越え、俺とラミアはついに大陸有数の大都市「アテナイ」の城壁に辿り着いた。

 

 ゲーム〈ラミアズ・テンペスト〉では、交易と文化の中心地として栄える街。冒険者ギルドの本部があり、数多の仲間やイベントが集中する重要拠点――のはずだった。


 だが、目の前に広がっていたのは、黒焦げの廃墟だった。


 天高くそびえるはずだった城壁はところどころ崩れ、巨大な門扉は熱で溶け落ち、見るも無残な姿を晒している。

 市街の大通りは瓦礫に埋もれ、美しい石畳は焼け爛れ、灰色の粉塵が乾いた風に巻き上げられていた。

 

 人々の喧騒どころか、犬の鳴き声すら聞こえない。残っているのは、鼻を刺す煤の匂いと、崩れかけた建物が風に軋む、寂しい音だけだ。


「……なんだよ、これ……」


 俺は言葉を失い、その場で足を止めた。ゲームで幾度も訪れた、あの活気あるアテナイの姿と、今の光景が全く重ならない。まるで別物だ。物語シナリオのどこにも語られていなかった、街の滅亡の跡。


 ラミアは廃墟と化した大通りを見渡し、静かに呟いた。


「……焼き払われて久しい。だが、これほどの破壊があったにしては、死の気配が希薄すぎる。まるで……最初から命など無かったかのようだ」


 その言葉の意味を理解するより早く、俺は瓦礫の向こうにゆらりと立つ人影に気づいた。

 虚ろな瞳をした女。衣は煤に汚れ、皮膚は灰のように乾いている。

 だが、生きている――はずだ。彼女は力なく足を引きずりながらこちらに歩み寄り、壊れた人形のように、か細い声で口を開いた。


「……もうすぐ、リセットがある」


 低い声。抑揚のない、ただ事実を読み上げるような調子。

 女はそれだけを言うと、ふっと陽炎のように掻き消えた。跡形もなく、影すら残さずに。


 ぞわりと寒気が背を這う。俺は周囲を見回す。すると瓦礫の陰から、廃墟の影から、次々に同じような人影が現れた。老人も子供も、皆同じ虚ろな瞳をしている。彼らは口々に、同じ言葉を呟き始めた。


「もうすぐ、リセットがある」


「リセットがあれば、また最初から……」


「次は……きっと、うまくいく……」


 そして、ひとりずつ、またひとりずつ消えていく。燃え残った梁の影に、舞い上がる煙の隙間に、光が反射する一瞬の間に、彼らの体は砂の粒子となって霧散する。


「……気をつけろ、ルーカス。こやつら、生きているようで生きておらぬ。魂の在り処が……定まっておらぬようだ」


 ラミアの声は、普段の彼女からは考えられないほど、警戒に満ちていた。

 俺は息を呑み、恐る恐る足を踏み出した。虚ろな住民に近づくたびに、彼らは同じ言葉を繰り返しては、俺の目の前で消えていく。

 まるで、俺に見せつけるためだけに用意された、悪夢のような演出だった。


 ――リセット。

 その言葉に、胸が締め付けられる。ゲームでエリアを再読み込みするとき、敵や宝箱が復活する、あの仕組み。それを、人間が口にしている。いや、人間ではない。が、システムエラーを吐き出しているのか。


 俺は半ば無意識に、瓦礫の間を探索し始めていた。子供の頃から見慣れたマップのはずなのに、そこかしこにが顔を覗かせている。

 階段を上ると、途中でテクスチャがずれて床に埋まり、動けなくなる。

 建物の角を抜けようとすると、身体が半透明になり、壁にめり込む。

 ふと視点を変えたら、空に巨大な黒い四角――マップの端を覆う空のテクスチャが剥がれ落ちて見えてしまっていた。


「……バグだ。初期実装のマップでよく見た……懐かしいバグが、そのままじゃないか」


 俺は唇を噛む。これは偶然じゃない。再現度が高すぎる。俺が知っている、あのバグだらけだった時代の、未完成なアテナイそのままだ。


 ラミアが崩れた壁に指を触れると、石材の模様がざらついたノイズのように揺らぎ、数秒後に元に戻った。彼女は不機嫌そうに眉をひそめる。


「……チッ。世界の理そのものが脆くなっておるのか。不愉快極まりない」


「誰かが……」


 俺は額に手を当て、必死に呼吸を整えた。

 バグ、リセット、消える住民。断片的な情報が、頭の中で最悪の形に繋がり始める。


 ――この世界は、壊れている。


 大都市アテナイが、物語シナリオの一行で焼け跡に変えられ、住民は「リセット」の合図とともに消されていく。無数のバグは、その強引な「書き換え」の痕跡だ。誰かが神のように、上位からこの世界を暴力的に操作している。


 胸の奥で心臓が警鐘のように鳴り響く。

 俺は拳を握りしめ、かつて仲間を集め、希望を抱いて走り回ったはずの広場に立ち尽くした。だが今は灰と幻影だけが残り、笑い声は俺の記憶の中でしか響かない。


「ラミア……俺たちは……どこにいるんだ……?」


 声は掠れていた。

 俺の知っているゲームじゃない。俺の知っている現実でもない。

 ならば、俺たちが迷い込んだこの場所は、一体何なんだ? 


 答えの見えない問いが、ただ崩れた街に虚しく響いた。

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