第7話 「王都イベントを最速で進めます」
谷を抜けて巨大な街道に出ると、やがて地平線の先に白亜の城壁が見えてきた。
俺たちが王都アステリアに到着したのは、朝日が壮麗な石畳を眩く照らし出す頃だった。
ゲーム画面越しに、それこそ何百回と見てきた美しい王都の風景。それが今、生きた街として目の前に広がっているのは、やはり感慨深いものがある。
高くそびえる城壁は磨き上げられた大理石のように白く輝き、門の内側からは行き交う馬車や商人の威勢のいい声が絶え間なく聞こえてくる。
焼きたてのパンの香ばしい匂いや、鍛冶場から響くリズミカルな槌の音。ゲームでは表現できない生活の匂いが、この世界が現実であることを俺に突きつけていた。
すれ違う人々――モブNPCの行動パターンまで「そうそう、噴水広場に向かう商人はこの角で一度立ち止まるんだったな」と懐かしくなるくらいに忠実だ。
(さて、ここからが正念場……というより、ただただ面倒くさい区間なんだよな……)
本来の
ゲームプレイでは、この一連のクエストを全てこなすと数時間どころか丸一日は平気で潰れる。ゲーム内時間なら実に三ヶ月。RTA走者からすれば悪夢のような時間浪費だ。こんなもの、まともにやってはいられない。
だが、俺はRTAプレイヤー。ここにも裏ルートがあることを知っている。
「ラミア、ここからは少し抑えめにしてくれよ。あんまり目立つと面倒だからな」
「ああ、分かっている。王都の人間など、余が一睨みしただけで震え上がるだろうからな」
……全然分かってない。隣を歩く魔王ラミアは、いつも通りの冷徹な表情で周囲を睥睨している。その様子は完全に魔王オーラ全開で、通りを歩く市民が次々と俺たちに視線を向け、ひそひそと囁き合っているのが分かった。
そりゃそうだ。豪奢な漆黒のドレス、その身から噴き出す尋常ならざる魔力、そして威厳を示す二本の角。どう見ても魔族、それもトップクラスの存在だ。
ハジメ村での村人たちの反応を思い出し、ある意味懐かしい気持ちになりながら、俺は自分の存在感を消すようにフードを深くかぶり、王城の門へと急いだ。
ここで必要なのは、ただ一つ。「城門兵との会話イベント」で、特定の選択肢を選ぶこと。
「止まれ。王城に用のある者は名を名乗れ」
「俺はルーカス。辺境で魔物を退治した冒険者だ。急ぎ王に謁見したい」
本来なら「身分もわからぬ者をそう易々と通すわけにはいかん。まずは騎士試験を受けてから出直して来い」と追い返される場面。だが、特定のキーワード――「辺境」「魔物退治」「急ぎ」――をこの順番で並べれば、兵士のAIは内部的にフラグを処理し、首をかしげつつも通してくれる。二周目以降のプレイヤーに用意された、有名なショートカットだ。
「……なるほど。急ぎの要件とあらば伝えておこう。入れ」
(よし、フラグ回収完了! タイムロスはほぼゼロだ)
拍子抜けするほどあっさりと王城へ通され、俺たちは衛兵に導かれるまま謁見の間へと進む。
(問題はラミアをどう説明するかだが……。まあ、万が一このショートカットが機能せず、城兵と敵対ルートになった場合を考えれば、彼女を連れてこない選択肢はなかった。リセットもできないこの生身じゃ、衛兵相手でも死ぬときは死ぬ。そのための保険だ)
俺は内心で呟く。
(それに、この後の謁見では騎士セリスが仲間になるはず。彼女さえいれば、魔王であるラミアのことも上手く取りなしてくれるだろう。
磨き上げられた大理石の床には深紅の絨毯が敷かれ、壁には歴代の王を描いた巨大なタペストリーが飾られていた。ずらりと並んだ貴族や騎士たちの間を抜け、俺たちは玉座に座る国王の前に立った。
ゲーム通りの豪華絢爛な謁見の間。だが、ただ一つ、俺の計算を上回る想定外の点があった。
「む……! そなたの隣にいる女……その角と魔力、まさか……魔王ラミアではないか!」
玉座から身を乗り出した王が、驚愕の声を上げる。その一言で、広間のざわめきがぴたりと止み、全ての視線がラミアへと突き刺さった。
(げっ、いきなりバレるのかよ! これは完全に想定外だぞ! )
本来のゲーム
「陛下! 即刻討伐の許可を!」
「ここで仕留めねば、この国が危ういぞ!」
騎士たちが一斉に剣の柄に手をかける。まずい。非常にまずい。
(おいおい、早まるなよ! こっちは最短ルートで勇者認定をもらって、さっさと次のダンジョンに行きたいだけなんだぞ!)
内心の焦りとは裏腹に、俺は至って冷静だった。ここでパニックになるのが一番のタイムロスだ。
「落ち着け!」
俺は一歩前に出て、ホール全体に響き渡るよう叫ぶ。
「ラミアは俺の仲間だ! 魔王だからって、即敵認定するのは早計だ!」
もちろん、そんな言葉が通じるはずもない。広間の空気は完全に「この場で魔王を処刑せよ」という流れで固まっていた。
……だが、それも計算のうち。この緊迫した状況でこそ登場するのが、このシーンの目玉イベントキャラだ。
「そこまでだ!」
鋭い声とともに、カシャン、と重い鎧の音が響いた。
銀色の髪をなびかせ、空のように蒼いマントを羽織った一人の女騎士が、騎士たちの列を割って進み出る。
「王国騎士団筆頭――セリス・アルヴェイン。陛下の御前であるぞ。魔王の妖気に惑わされるな。貴様らを拘束する!」
俺の予定通り、パーティの盾役、セリスが現れた。
本来なら、この後の「勇者任命」イベントを経て、ルーカス最初の仲間になるはずのキャラクター。高い防御力と挑発スキルで、どんな強敵からも仲間を守る頼れる存在だ。
……はずなのだが、現実は俺の想定をいとも容易く裏切った。
「魔王の手先め! その汚れた口で陛下に馴れ馴れしく話しかけるな! 王都を混乱させるつもりか!」
「ち、違う! 今のラミアは――」
俺が弁明を終えるより早く、セリスが目にも留まらぬ速さで剣を振り下ろす。
鋭い金属音。俺の前に立ちはだかったラミアが、その白く細い指二本で、寸分の狂いもなく白刃を挟み止めていた。
「ふん。軟弱な人間ごときが、余に剣を向けるか」
「黙れ、魔王!」
セリスは剣を引き戻し、流れるような連続突きを繰り出す。王国騎士団筆頭の名は伊達ではなく、その剣技は確かに鋭く、美しい。だが……数合交えた瞬間に、俺にはもう勝負が見えていた。
(あ、これ、勝負にすらならんやつだ)
ラミアの戦闘力は、序盤のゲームバランスを完全に崩壊させている。
セリスの鉄壁のディフェンスも、このレベル帯では無意味に等しい。ラミアが面倒そうに指先を弾くと、不可視の衝撃波がセリスの鎧に命中し、彼女の体は木の葉のように吹き飛ばされた。
「ぐっ……! ば、馬鹿な……!」
壁に叩きつけられたセリスは、膝から崩れ落ち、カランと音を立てて剣を落とした。
騎士団筆頭、ゲームでは頼れる仲間のはずの人物が、赤子扱いで一蹴される。
広間のざわめきが、恐怖のそれに変わった。
俺はため息をつき、再び王の前に進み出る。
「見ただろう? 俺はこの国を救いに来た勇者だ」
そう言い切った瞬間、王の瞳が大きく揺れた。
ゲームでは、最悪の選択肢を選び続けた結果、セリスではないが衛兵とは戦闘になるルートも存在する。そんな時でも、城の兵士を全員倒してこのセリフを言えば、王は力を認め、
確か、ゲームのテキストならここで「……よかろう。勇者の言葉を信じよう」と表示されるはず……。
それなのに、現実の彼はただ沈黙している。
そして俺の胸に、小さな、しかし無視できない違和感が芽生えた。
(……おかしいな。こんなに深刻な反応だったか? )
床に崩れ落ちたセリスが、悔しそうに顔を上げ、なおも俺を睨みつけている。
「魔王と手を組む……そんな勇者が、いてたまるか……!」
ゲームの
俺の想定では、そもそも村人たち同様にラミアが魔王とは認識されないはずだった。
(王城には魔王を連れてきた時の専用ルートが用意されているのか……? いや、そんなはずは……)
ほんの一瞬、背筋に冷たいものが走った。
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