第8話 「序盤最大の城塞ダンジョンを一瞬で攻略します」
結局、あの謁見の間では状況を打開することができず、俺たちはラミアのテレポートで辛くも王城を脱出した。
ラミアを宿屋にでも置いて、俺一人で交渉に戻るという選択肢も頭をよぎった。
だが、やはり万が一にもショートカットが通用せず、衛兵との敵対ルートを踏んでしまった場合のリスクを考えれば、リセットの効かない生身の俺が単独で乗り込むのは無謀すぎた。
……俺は自分自身にそう言い聞かせる。本当は、彼女のいない攻略など、もう考えられなくなっていたのかもしれない。
だが、その選択が招いたのは、王都からの正式な依頼が一切届かないという、静かな膠着状態だった。
本来なら勇者としての初任務として与えられるはずの、城塞ダンジョン討伐。序盤のクライマックスであり、ゲームでもプレイヤーの力量が問われる重要なポイントとなっている。
だけど俺は勇者任命をスキップし、王都イベントも最小限で切り上げた。それでも問題はないはずなのに、ラミアという想定外の変数のせいで、この
おかげで王都は妙に静かだった。いや、静かというより、俺たちを腫物のように避けている。街の人々は俺たちを見つけるとさっと目を逸らし、店の扉を閉める。兵士たちは常に遠巻きに、しかし鋭い警戒の目を向けてくる。
……まあ、生ける伝説級の魔王を連れて歩いていれば、当然の反応かもしれないが。
「ルーカス。次はどうするのだ?」
宿屋の窓から街を眺めていた俺に、隣を歩くラミアが退屈そうに口を開いた。
「どうするって決まってるだろ。こっちから攻略に行くんだよ」
「依頼もないのにか」
「RTA走者に依頼なんて不要だ。進めるときに進む、それだけさ」
俺はニヤリと笑った。本来なら、王都の依頼を受けてダンジョンに突入するのが正規の
だけど攻略知識がある俺は、依頼フラグがなくとも、あのダンジョンさえクリアすれば強引に次の章へ進めると知っていた。
セリスだって強制加入イベントではあるが、彼女がいなければ
……もちろんリスクはある。イベントを大幅にスキップすることで、後々取り返しのつかない不具合が出るかもしれない。もはやルート分岐が複雑すぎて、世界記録保持者の俺ですらこの先の展開を完璧には読みきれなくなっている。
けれど、手探りで臨機応変にルートを切り拓いていくのも、走者の技量が試されるRTAの魅力の一つだ。
そう、まさにこれは
そして、このチャートを走っているのは世界で俺ただ一人。
仄かな不安と、それを上回る新しい挑戦への期待を前に、俺は自然と笑みがこぼれていた。
◇
城塞ダンジョン――それは王都の北に聳える、巨大な廃城だった。
分厚い石壁は苔むし、蔦が絡みつき、数百年の時を感じさせる。内部は凶悪なモンスターの巣窟と化し、数多の冒険者が挑んでは屍を晒してきたという。
序盤とは思えないほどの難易度で、最初に訪れたプレイヤーの多くが心を折られる場所だ。
そして本来の
「うわ、久々に見るけど雰囲気あるな」
俺は風化した巨大な門を見上げ、軽く感嘆の声を漏らした。
現実感のある石の質感。鼻腔をくすぐる湿った苔の匂い。吹き抜ける風の寂しげな音。画面の向こうで見ていたただのダンジョンが、目の前で生々しい威圧感を放っている。
でも、怯む必要はない。だって俺の隣には、最強の
「面倒だ。全て破壊する」
「いや、待て待て。それはやりすぎだ。崩落すればダンジョン自体が攻略できなくなる。……こっちに裏口があるんだ」
俺はラミアを制し、蔦に覆われた側壁へと足を向ける。そこには小さな裂け目があった。本来はクリア後に内側から壁を壊し、脱出と再突入を容易にするためのショートカットルートだ。だが、ここも上手い具合にナイフを差し込み、壁の判定の隙間から内側を攻撃することで、序盤から破壊することができる。
……まあ、今はそんなちまちました手を使う必要もないが。
「ラミア、ここの壁だけ、人が通れるくらいに壊してくれ」
「結局、壊すのではないか」
ラミアは呆れたように言いながらも、その細い指でちょんと壁に触れた。次の瞬間、壁一面に紫紺の魔力の線が走り、古代文字のように壁を侵食していく。そして、音もなくレンガがさらさらと砂に変わり、人一人が通れるほどの穴が空いた。
「よし。行こうか」
俺たちは薄暗い通路を抜け、ひやりと冷たい空気が漂うダンジョン内部へと足を踏み入れた。
通常なら、このダンジョンはトラップ地獄で有名だ。床が崩れ、壁から毒矢が飛び出し、床下の魔法陣が爆発する。初見殺しのオンパレードで、プレイヤーは何度も死に戻りを繰り返す羽目になる。
けど、俺にはすべてのトラップの配置が頭に入っていた。
「そこ、床一枚飛ばしてジャンプ」
「この壁に触ると矢が飛ぶ。右側をすり抜けろ」
「次の角で待機。魔法陣が消えるまであと五秒だ」
RTA走者として、何百回とリセットを繰り返して体に叩き込んだ記憶。それを口にするだけで、俺とラミアは完璧にトラップを回避し、ノーダメージで進んでいく。
「……やはり、面倒だ」
ラミアがそう呟くと、突然ふわりと俺の体をお姫様抱っこの要領で抱きかかえた。
「おい、どうするつもりだ!?」
ラミアがカツンとハイヒールを鳴らすと、俺たちを包むように、シャボン玉のような半透明の防御魔法の球体が出現した。
「この方が早いだろう?」
「……まあ早いは早いけどさ」
それからは彼女に守られるようにして、俺はダンジョンの中を抱きかかえられたまま進んだ。球体の外で毒矢が弾け、床が崩落していくのが見えるが、俺たちには全く影響がない。
(完全に姫プレイだなこれ……)
俺は内心で苦笑するしかなかった。
もちろん、ダンジョンで待ち構えるのはトラップだけじゃない。内部には大量のモンスターが徘徊していた。オーク、スケルトン、魔犬、果てはゴーレムまで。どいつも序盤とは思えないほどの強敵で、本来ならパーティが総力戦で挑む相手だ。
だが、魔王の前にはそんな常識は通用しない。
「燃え尽きろ」
ラミアが指を鳴らすと、炎の突風が通路を薙ぎ払い、オークの群れは悲鳴を上げる暇もなく灰と化した。
「次、右から魔犬が来るぞ」
「――《
俺のナビゲートに合わせ、ラミアが淀みなく魔法を放つ。角から現れた魔犬たちは、その場に凍りつき、美しい氷のオブジェへと変わった。
「……あの、俺の出番、なくないか? 」
思わず突っ込んでしまう。
「貴様は大人しく余に守られておればよいのだ」
ラミアの火力がチートすぎて、俺の知識すらいらないレベルだ。最短ルートを知っている意味が、ほとんど無に帰している気がする。
でも、それでも爽快だった。
普通なら汗だくで、ポーションをがぶ飲みしながら突破する大群が、まるで雑草を刈り払うように消えていく。これぞ
最奥の広間にたどり着くと、巨大な観音開きの扉が待ち構えていた。この奥にはダンジョンボス、序盤最大の壁にして、多くのプレイヤーを絶望させた強敵がいる。
「出てくるのは……亡霊の騎士ピスティスだったな」
俺は記憶を辿りながら呟く。呪われた鎧に魂を宿した巨大な不死の戦士。物理防御力が異常に高く、聖属性以外の攻撃がほとんど効かない。普通ならパーティ全員の連携で、弱点を突きながらようやく倒せる相手だ。
扉を押し開くと、広間の中央にその巨大な影は立っていた。錆びた鉄の鎧がギシリと軋み、兜の奥で青白い鬼火が揺らめいている。
「人間ごときが……我を封印の地から解き放つとは」
うん、セリフはゲーム通り。懐かしいな。
「ラミア、どうする?」
「貴様が決めよ」
「じゃあ任せた」
俺の一言で、ラミアは無造作に片手を掲げた。
「去ね。――《
ラミアの手のひらに、小さな黒点が生まれる。それが一瞬でバスケットボール大にまで拡大すると、周囲の光も音も、空間そのものを歪ませながら黒点へと吸い込まれていった。
次の瞬間、亡霊の騎士ピスティスの巨体は、悲鳴も音もなくその黒い球体に飲み込まれ、跡形もなく霧散していた。
「…………」
俺は口を半開きにしたまま、その光景に硬直する。
「え? 今の……一撃?」
「そうだ。面倒だからな」
ゲームでは数十分はかかるであろう大苦戦イベントが、たった一言で終了してしまった。
ダンジョンを出た俺は、肩の力を抜き、乾いた笑いを漏らした。
「……これはもう、ただの無双プレイだな」
RTAではコンマ1秒を縮めるために膨大な努力と試行錯誤が必要だ。けど今はそんなもの不要。ただただ、圧倒的な力で
「貴様はつまらないか?」
ラミアが俺の顔を覗き込みながら尋ねる。
本来なら汗をかき、心臓をバクバク言わせながらギリギリで勝つはずの戦いが、ただの作業になっている。普通のプレイヤーなら、退屈に思うかもしれない。
けど、その圧倒的なまでの呆気なさこそが、RTAの醍醐味だ。つまりはそれだけ、タイムを縮められているということなのだから。
「いや。お前と一緒だから、最高に楽しいよ」
「……ふん。当然の答えだ。無益な問いだったな」
ラミアは俺の言葉を鼻で笑い飛ばし、しかしその口元はどこか嬉しそうに緩んで、次の目的地へと歩き出した。
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