第3話 『活きる』

       1

「とあるカフェのオーナーからだ」

 財前がファイルを見ながら話す。

「大学生を狙った投資詐欺がいつも店内で行われているそうだ」

「警察の方がいいんじゃないですか?」

「詐欺にも大小がある。話し方ひとつで詐欺はただのセールスと認められる。今の状況では難しいだろうな」

「今回は随分と詳しく教えてくれるんですね」

「今までのとはちょっと異なるものだからな、なんとか出来そうか?」

「なんとか?ですか」

「ザラメにはちょっと無理か」

「ザラメ…」

「ならもっとお子様用のモノがー」

「待ってください、……んー」

「おい、出来ないモノには手を出すなよ?」

「出来ないなんて言ってないでしょう」

「じゃあやるのか?」

「……、ええ」

 いつもは無言で聞いている村上さんだがこの日は違った。

「長谷川さん、今回はー、私もお手伝いしましょうか?」

「え?む、村上さん?」

「あら、珍しいね村上ちゃん、どしたの?」

「たまには動かないとボケちゃいますんでね」

 先程言っていた〝お礼〟のつもりだったのか、その優しさは嬉しかったが余計大変になる予感がした。

「む、無理しないで下さいよ、村上さん。何が起きるかわかりませんよ?」

 その時、財前から思いもよらない言葉が出た。

「何言ってんだ?ベテランに」

「‥‥え?ベテラン?」

 村上さんはいつもと変わらない微笑みを見せていた。


       2

11月29日 15時10分

 とあるビルの地下にそのカフェはあった。趣のある店内の奥に大学生らしき人物とスーツを着た男が座っている。他の客は数人しか居なかったが俺と村上さんはその席から一つ空けた隣に座った。

 コーヒーとモンブランをテーブルに置くオーナーと、視線を交わす。既に話は通ってある、後はこちらの作戦を実行するだけだ。

 聞き耳を立てる。

「ほぼ100パーセント高くなるんじゃないかな」

「はい」

「もちろん最初の3万円は必要だけどね?」

「わかりました」

 よし、コイツだ。

 今日はいつもより士気が上がっている。何故ならいつもと違い今回はある程度台本を作った。そして衣装のアロハシャツ、ギラギラのアクセサリーも揃え、まさに舞台初日を迎える様な昂りだった。

 オーナーが去り、互いにモンブランを口にし、コーヒーを入れ、一呼吸置く。

 頭の中で幕が開いた。

 目で合図をすると村上さんが口を開く。

「本当に信じていいんですね?」

 横の大学生とスーツの男に聞こえる様に大きめの声で俺も会話を続ける。

「大丈夫ですから、私に任せて下さいよ~貴方のインスタグラム、今開設してあげたからね?2万円でいいから」

「ありがとうございます」

 2万円をわかりやすく差し出す村上さんに

 2人がチラッと見たのがわかった。

「これで孫と仲良くなれるんじゃない~?あ、あと今ね、インスタ映えってあるのよ」

「インス・タバエ?」

「なんつーのかなー。簡単には撮れない良い写真っていうの?とにかく難し~~のよこれって」

「はあ」

「それ、実は俺撮れるから」

「ほお」

「それ撮れたら孫から尊敬されるよ~?ね?あなたのやつも撮ってあげるから、3万5千で」

 大学生がスーツの男よりもこちらを気にし始めた。この調子だ。

「孫以外からも人気者よ?今からでも人生変わっちゃうって話ですよ」

「また私に楽しい人生が待ってるのか!?」

「ムラシタさん、もう始まってるから」

 〝カシャ〟と村上さんの顔のアップを撮る。

「あ!やば…、さっそくインスタ映えだ」

「ほお」

「これアップしてあげるからね、3万5千ね~」

 またわかりやすくお金を受け取る。

「さっき話したタグ?ってのもつけてあげる。タグ料は今ならなんとサービス期間!2千円!」

「ほぉ安いですなぁ。是非ともお願い致します」

「何にする?♯ムラシタ降臨、でいいか」

 村上さんが更に2千円を出そうとする時、ついに大学生が声をかけてきた。

「(村上に)あの、すいません」

「はい?」

「騙されないで下さい」

 釣れた。

 上手く台本通りにいき、興奮状態に入った俺は武者震いがして勇み立った。

 よし、ここからは即興芝居だ。

「あ?えーとー、何ですか君は?」と大学生に尋ねる。

「そんなにお金かけるのはおかしくないですか?」

「おいおいおい、なんだ?詐欺って言いたいのか?」

「詐欺じゃないですか、(スーツの男に)ですよね?」

「ん?……あぁー、うん」

 詐欺という言葉を口にしたらもうこっちのものだ。ここから畳みかける。

「え?え?あんた今、詐欺っつった?詐欺っつったの?え、待って、詐欺っつった!?」

 気まずそうな顔で沈黙しているスーツの男をよそに大学生も少し興奮してきたみたいだ。

「だってインスタなんてお金かからないです よ?」

「あのなぁ?この人は自分で出来ないから代わりに俺がやってあげてます料なんだよ?」

「ただ単にやり方を知らないだけですよ」

「何が違うんだ?じゃあお前は投資の事知ってんのか?」

「はい?」

 それまで知らん顔していた男が口を開いた。「ちょ、ちょっと何ですか?」

「何だよ、今俺はこの子と話してんの。おい小僧、お前は投資の事ちゃんと自分で勉強したのかって聞いてんだよ?」

「……」

 今度は大学生が口を閉じた。

 スーツの男が焦っている。

「うちの話は関係ないでしょう」

「よく分からないくせに儲けの事しか考えず、浅はかな行動を取ってないか?」

「このアロハシャツの言う事は聞かなくていいからね」と明らかに焦った口調で大学生に言うがもう流れは完全にこちら側にきている。

「……」

 何かに気が付いたのか、大学生に自己険悪な顔色が窺える。トドメを刺す事にした。 

「おいおいおい図星かよ!?か~~甘い人間だなぁ~おい~。見てみろよ、これ」

 テーブルの上のモンブランを指さす。

「モンブランもびっくりしてるよ、お前の甘さに」

「……」

「投資詐欺って知ってっか?」

 その言葉を出した途端、スーツの男が立ちあがった。

「ちょっとあんた!営業妨害だぞ!」

「お互い様だろ、あんたもさっき詐欺って言ってきたじゃねぇかよ?」

「い、言ってないだろ俺は……」

「え?頷いたじゃねぇかさっき!なぁ?」

 大学生は完全に気が付いた様だ。

「あの、すいません、ちょっと考えさせて下さい」

 そう言って逃げる様に大学生は去って行った。

「ちゃんと勉強しろよ~~」

「おい、何のつもりだお前…」

〝カシャ〟っとシャッター音がした。

 村上さんが俺と詐欺師を背景に写真を撮っている。〝カシャシャシャシャシャシャッ〟

「おい爺さん!ヤメさせろ!」

「おいムラシタさん~ダメだよ~俺ら撮っちゃ~残っちゃうじゃん~」

「イン・スタバエじゃ。もうわかったからワシもこれでさようなら」

 スーッと去っていく村上さんを止めようとする詐欺師だがそれをワザと遮る。

「ちょっと、あんたも追えよ!」

「もう遅いわ!」

「遅くないだろ!」

「おい!よくも客逃がしてくれたなぁ!」

「お前だよ!」

 店を出ていく詐欺師。

「くそ、何処行った」

「おーい、諦めろよ、俺ももう足洗うわ。あんたも辞めて真面目に働いたら?じゃっ」

 俺もとっとと店を後にする。

 後方から「ありがとうございましたー」とオーナーの声がする。暫く見ていたがスーツの男は店の前で佇んでいた。その力が抜けた背中からはとても人を騙すような人間には見えなかった。


       3

12月2日 13時10分

「ありがとうございました~!」と朱美さんの声が店に響く。

 店のテーブルを拭く。

 今日はまだ5組しかお客が来ていない。

 吉矢さんの表情は日に日に覇気が無くなっていく気がする。閉店まであと一ヶ月か…。

 しかし不思議と朱美さんの表情は明るいものだった。何故だろうか。

「浩二君~」

「なんです?」

「明らかに変わってるわね~」

「はい?」

「友達でも出来た?」

「え?いや、特に……」

「あ、良い事務所入れた!?役の仕事来た?」

「え、いや、んー」

「なになになに?」

「まぁ、はは」

「ちょっと言ってよ―見るのに、何?何役?」

「えーとー、詐欺師役とか」

「うわっ、出来そう~」

「孫役とか」

「まご?」

「ピエロ役とか」

「ピエ、…え?」

「あ、で、でもまだ全然小さい役なんで!もっと大きい役が来たらちゃんと言いますんで!待ってて下さいね!」

「そ、そう。でも順調そうで良かったわ」

「それよりも思ったんですが、僕が此処を辞めたら少しは変わりますかね?お金の事もありますし、あれでしたら、直ぐに違う所で働きますし…」

「ううん、浩二君は関係ない、あの人自身の問題だから……。まだ活気があって繁盛していたこの商店街を見てきた人からすると、今の状況はとても耐えられないんでしょうね。それに気負けしているのよ。闘う前に負けたのよ、あの人は」

〝外で闘う前に自分に負けてどうするんだ!〟

 爺ちゃんの声が聞こえたような気がした。

「私が何か言ったところでー」

「終わらせたくない」

「ん?」

「終わらせたくないんです。まだやっていける方法もあると思いますし、何か考えないと」

「……」

  朱美さんは嬉しそうだった。


       4

12月3日 15時50分

 小雨の中、真赤な拡声器を持ち大きな公園へと向かう。知らない土地へ行くのにも慣れ、方向音痴も無くなった気がする。自分の変化に少し驚いている。

 公園に入ると、『毛皮反対!』『動物たちの為に!』と書かれたプラカードやメガホンなどを持った人達がざっと100人以上は見えた。

 中年の女性が1人、こちらを見ている。

「あれ?あの人じゃないかね!」

 その女性が駆け寄って来た。

「新田さん?」

「あ、はい。新田憲和です」

「(他の人達に)やっぱりそうだわー!」

 今日は体力勝負になりそうだ。

「待ってましたよ~。噂はきいてますよっ」

「はは、どうも。でー、僕は主に何をすれば」

「私達を引っ張って下さればそれでいいですよ~」

 財前並みに大雑把な説明だが今に始まった事じゃない。俺は深呼吸をし、自分にも発破をかけた。

「よっしゃ!やりましょうか!」

「はい行きましょう!さっ乗って下さい!」

 女性の視線の先にはワゴン車が停車していた。

「え、ちょ、ちょっと待って下さい!」

「はい?」

「く、車、乗るんですか?」

「ええ」

 ……まずい事になった。

「す、直ぐそこですよね?現場は」

「近くですけど時間も決まってますしー」

「あ、歩こうかな」

「何言ってるんですか、雨も降ってるしさっ乗って下さい!」

 女性が俺を車に押し込んだ。

 こういう状況になる事を何故今まで想定しなかったのか、完全に油断していた。

 俺はあの事故以来、車に乗っていないのだ。乗れなくなってしまった。バスでさえもたまに呼吸が乱れてしまうので極力乗らないようにしている。

「お願いしますー」

 女性が運転手に声をかける。

 慌ててシートベルトを締める。

 落ち着け、落ち着け。場所は直ぐ近くだ。

 乗っている間、目を瞑っていればいい。

 鼓動が早くなる。

「新田さん大丈夫です?緊張してます?」

「……え?あ、はぁ、まぁ大丈夫です」

 目を閉じながら返事をする。

 頼むから話しかけないでくれ…そう思うばかりだった。しかし願いは届かなかった。

「今から戦うんですよ!」

 耳元で大きな声を出され、つい目を開けてしまった。まさに交差点に差し掛かる風景だった。

 俺は咄嗟に、叫んだ。

「ええ!やってやりましょうよ!!はは!」

 もう大きな声を出して無理やり自分誤魔化すしかない。

「そうです!その意気ですよ!お願いしますねー!」

「このまま行きますよ!このまま!このまま、このまま!このまま…」

 その時、乗っている車が急ブレーキをかけた。俺はフラッシュバックを起こした。


 -車が横から向かってくる。

 俺はその車がぶつかる瞬間まで目を離さなかった。まさか来るわけがない、そんな訳がない。しかし次の瞬間、車内がまるで洗濯機の様に回っていく。その中でも俺はそんな訳がないと思い続けていた。母が一瞬こちらを向いた気がした。-


「気を付けろ馬鹿野郎!」

 運転手の声で我に返った。

 再び発進する車。

 車内が回っていない事を確認する。

「はぁ、はぁ……」

 それから何分経ったかは分からない。女性が声をかけてきた。

「新田さん、着きましたよ」

 車から無事に降りる。

「……乗れた」

 暫く乗っていた車を見ていた。

「乗った、乗ったぞ!」

「新田さんー!こっちですよー!」

「はい!今行きますー!」


      5

12月7日 16時45分

「かなりハイペースでやっているなぁ、みたらし君」

 今日のおやつにみたらし団子でも食べたのか?。甘い食べ物もそろそろネタ切れの頃だろう。

「財前さん俺の名前知ってます?」

「ん?その時がきたら名前で呼んでやる」

 さては知らないな…。

「その時ってなんですか?」

「一つ聞いていいか?なぜ無償でやっているんだ?お前だけだぞ」

 話を変えやがった……。

「……、お金よりも大事な物を得ているからです。それ以上求めないだけです」

「そうか」

「これは、今までの自分との闘いでもあるんです」

 笑みを見せる財前、しかしそれは冷笑だった。

「まだまだ、甘いな」

「……?」

「自分との闘いだ?そんなもん何の意味もない。誰が勝敗を決めるんだ?どうせ自分だろう」

「……俺は、今までの自分が嫌だったんです」


       6

 両親が亡くなってから俺は祖母の家で過ごさせてもらった。よくドラマを観ていて、そこに映る〝家族〟を見て涙を流し羨ましがっていたのを覚えている。祖母には迷惑をかけた。快く世話をしてもらっていたのに俺はその善意に背いていた。この状況は〝家族〟ではないと勝手に思い、心を開かず過した。

 学校でも同じだった。

 不貞腐れた様な態度の毎日を過ごした。授業参観の日なんかは特に酷かった。一度親の似顔絵とプロフィールを書くという内容の授業がり、俺は祖母の事を書く訳でもなく白紙で出してやろうとしていた。

 その時後ろからサトシのお母さんがやってきて「私の事書いてみてよ」と耳打ちしてきた。当時、よくサトシの家に遊びに行っていたのでサトシのお母さんの事はある程度知っていた。せっかく白紙で出す予定が書く事となり嫌々書いたのを覚えている。

 年月が経ち、祖母が亡くなった。病院で最期を看取った俺は自分の無力さに意気阻喪となった。

 今さら他の親族の所へなんか行けない。働くにしてもどうしていいか分からない。放浪して辿り着いた場所が「かわばた亭」だった。

 ラーメンを啜った後、俺はお金が無い事に気が付いた。と言っても取りに帰るお金も無いに等しい。無銭飲食でもしようかと思ったが走る気力もない。正直に店主に言った。

「すいません、お金がありません」

 吉矢さんと朱美さんの戸惑った顔は今でも覚えている。警察に電話するのかと思ったら2人は俺の境遇を聞いてきてうちで働かないかと言ってきた。人生で一番涙を流した日だった。

 その時初めて人の優しさに気が付いた。過去の出来事も思い返す程、全て優しさだったんだと気が付く。過去の人間には恩返しが出来ない、その事に物凄く悔やんだ。


       7

「いつまでも支えてもらうだけの人間で、これは俺自身との…」

「だからなんだ?」

 財前がまた遮ってくる。今回ばかりは財前への怒りを抑えきれなかった。

「あんたには!……わからないさ」

 全身が震えていた。

「分からんよ。俺は他人だからな」

「分からないのに無意味だとか言わないでくれ!あんたも意味は自分自身で決める事だって言っただろ!」

「変わりたいんじゃないのか?」

「はぁはぁ、…ええ!」

 息が荒くなっている自分に気が付く。

「己を変えたかったら先ず己を知ることだ。もっと自分に問い掛けろ。きっと過去の自分は敵ではなく、…味方だ」

「……」

「お前の生きている意味はなんだ?」

「生きている……意味?」

「我を捨て、自を知ろ」

 そう言って財前は部屋を出ていった。

 横に居た村上さんの柔らかい微笑みは、いつもと変わらなかった。

 今まで自分がしてきた事は何だったのか。ここへ来てからは少なくとも意義のある事はしてきたと思う。それで活気を帯びてきたと感じる今の自分も好きになってきた。それが何か間違った事なのだろうか。財前は何を言っていたんだ。

 過去の自分は味方…生きている意味…。

 そんな事を考えていたら既に混雑した電車に乗っている自分が居た。俺はいつもの様に外…ではなく、乗客を眺めていた。

 皆は何の為に生きているのだろうか……。

〝我を捨て、自をしろ〟

自分を捨てて自分を知るという事なのだろうか。自分、……自分。

 なんだか自分の事ばかり考えて…。

 ふと思った。俺は自分の事しか考えていないんじゃないか、…と。

 今まで生きて来て、人助けや何かの役に立った事はあっただろうか?バイトも財前の案件も結局は、自分の為なのかもしれない。和夫爺ちゃんの所へ顔を出すのも、本当は自分が居心地良く感じるから行っているだけ、なんだ…。

〝自分の為〟という己の核心部を今さら知り、忸怩たる思いに駆られた。

 そうか、最初から答えは教えてくれていたんだ。


 『活』だ。


 自分が持っている能力や資質知って、それをどうやって活かすか、要は、他人の為だ。

 人は人の為に生きるのか。

 それが〝活きる〟なんだ。


       8

12月10日 10時30分

「吉矢さん、やっぱり閉めるんですか?」

「あぁ、何かバイト見つかったか?」

 吉矢さんからは活力を感じられない。その情景は今まで見てきたはずだが、今の俺には我慢出来なかった。

「俺、チラシとか作って呼び込むんで!もうちょっとやりませんか?」

「え?どうした?急に」

「いえ、何か少しでもと」

「もう決めた事だし、今さらそんな上手くいかないよ」

「やってみなきゃわからないじゃないですか!」

 つい感情的に声を出してしまった。

「……お前大丈夫か?」

 朱美さんが買い出しから帰ってくる。

「はぁ寒い。ねぇあなたネギが一つしかなかったのよ、大丈夫?」

「ん?あぁ、どうせ夜も暇だから大丈夫だよ」

「そう」

 俺は朱美さんの所へ駆け寄った。

「朱美さん、お店の名刺、まだ余分にありますよね?俺お客さん呼び込んできます」

「え?ど、どうしたのよ急に。一応まだいっぱいあるけど」

「味は悪くないんですから。場所が悪かったら、呼び込めばいいんです!」

「ん、うん」

「意味のない事はしなくていいよ」と後ろから投げかけてくる吉矢さんの声を無視して俺は店の名刺を持って外へ出ていった。

「味は絶対に美味いんで!是非一度いらして下さい!」

 30人に1人は名刺を受け取ってくれたが、チラシでもない紙と俺の言葉を信じ、店に向かうのは物好きな奴かちょっと変わった奴だけだろう。財前がいつか俺に言った様な何かに行き詰った奴でも今の自分に満足してない奴でもなんでもいい、俺は3時間ほど声を出し続けた。

 昼時が終わり、店に向かう。

 寂れた暖簾を見ながら増客を祈念し、中へ入る。

「おかえりなさい」と声を掛けてくれる朱美さんの後ろで吉矢さんは黙って新聞を読んでいた。

「お客さん、増えました?」

「特に変わらず、今の所4組かな。受け取ってくれなかった?」

「いえ、一応全部配りました」

「あら!凄いじゃない!」

「でも来てくれなきゃ意味が無いですよ」

「……」

 暫く沈黙が続いた後、朱美さんが何かを思いついた様に喋り出した。

「よしっ、今度は私が行って来る!」

「え?」

 俺と吉矢さんが口を揃えて驚いた。

「直ぐに効果が出ると思わないけど、私も最後まで頑張ってみる!」

「おい止めとけ!そんな事した事も無いのに」とそれでも吉矢さんの気は変わらないみたいだ。

「だって浩二君がこんなにしてくれて何もしないなんて出来ないわよ」

 吉矢さんに直接、平不満を言う朱美さんを始めてみた。

「あ、ちょっとペンも持っていくね」

「ペン?」

「私にちょっと考えがあって。ありがとう、浩二君」

「いえ、俺は何も…」

 自分に続いて朱美さんからも反発された吉矢さんは困惑した表情で「勝手にしろ」と言うだけだった。

 そして虚しくも、その日は終日いつもと変わりのない営業だった。


       9

12月14日 18時15分

 あれから警察署へ申請を出し、正式にお店のチラシ配りが出来る様になったので、朱美さんと交代しながら宣伝していく事になった。

 呼び込みをしていく中、相変わらず素通りしていく人々の間を真っすぐ向かってくる男性が見えた。

「よかったらどうですー?美味しいですよ?」

 その男性は手書きのチラシを受け取った。

「ありがとうございます!」

「本当に美味いのか?」

「ええ、もちろんで…」

 何処かで見た顔だった。

「詐欺じゃないよな?」

 私服で直ぐに分からなかったが、あのカフェで会った投資詐欺の男だった。

「うわっ」

 直ぐにその場を立ち去ろうとした。

「待てよ」

 男は俺の肩を掴んできた。

「な、な、なんですか」

「何だよ、別人みたいだな」

「お、俺はもう足洗ったんですから関わらないで下さいよ」

 あの時は飽く迄も〝役〟演じてたので素の時の自分に会われるとどうしていいか分からなくなってしまう。

「違うんだ、あんたに話があるんだよ」

「俺は無いです」

「探してたんだよ」

「ふ、復讐ですか?」

「違う、ちょっと頼みたい事があって」

「はい?た、頼みたい事?」

「俺を……助けてほしいんだ」

「……は?」

 その男とは後日会って話す事となった。

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