第2話 『水を得る』

 1

9月10日 10時00分

 都内でもあまり来た事がない場所だ。そして俺は今、清掃員の格好をしている。掃除の仕事だかわからんがパッパと終わらせて帰ろう。

 目の前の建物はデザイナーズビルディングでエントランスには見た事もない様な植物が置かれている。その木の根元の陰から小さな花が咲いていた。

 俺もこの花みたいに何も考えず、気楽に暮らせたらなぁ。と花を眺めた後、一階の受付へと向かった。

「あのすいません、米山と申しますが……」

「米山様…?」

 受付嬢がピンと来ない顔で俺を見た。特に情報を与えられていない状況で現場に来るのは本当にストレスだ。しかし受付嬢のその顔もほんの数秒だけだった。

「あっ、あの米山さんですね!?」

「あの?」

「ど、どうぞ!今丁度いらしてますので!」

 いらしてる?誰が?

 俺は一体何しに来たんだ?もう一人居た受付嬢が慌てた様子で電話をかけている。……只の掃除じゃなさそうだ。不安が更に募る。

 俺はこの建物の最上階へと案内された。通路には様々な骨董品や絵画が飾られている。

自分とは無縁な場所過ぎてなんだか呼吸がし辛い。

「社長、米山様がいらっしゃいました」

「え!?」

「では」

 そそくさと去っていく受付嬢。

 社長…。俺は恐る恐る扉を開けた。

「失礼しますぅ……」

 中には40代であろう男が座っていた。肌の色は黒めで、ギラギラした腕時計をし、いかにもやり手そうな社長だった。社長室には此処に来るまでに見た芸術品よりも更に高価そうな物がいくつかみえた。

 何て言葉を発していいか分からず立っている事しか出来ない。

すると社長が「まぁまずそこに座って」と俺を椅子も置かれていない床に座らせた。

 自然と正座になる。

 なんだか空気が重い。

「開けろよ」

「え?」

 目の前に風呂敷が置かれていた。

 これ…しかないよな。ゆっくりと手を伸ばし風呂敷を開ける。

 そこにあったのは割れた飾り皿だった。「やっと当の本人が来たな。上司に来られてもねぇ、意味がないんだよ。君もそう思うだろう?」

「は、はぁ」

「俺は人は好きなんだよ。人間同士なんだから会ってわかる事もあるだろう?で、まずその時の状況を説明してもらおうか?」

「状況……」

 明らかに社長の表情が強張っていくのがわかる。

 考えろ考えろ!俺は今どんな状況に居る!

目に入ったレトロ時計の秒針が、まるで社長の堪忍袋の緒が切れるのをカウントダウンしている様だった。

「皿……」

 そうか、俺は掃除をしている最中にこの大事な飾り皿を落としたか何かで割っ…。

「おおおまえが割った時の話だよ!!」

 建物が揺れた気がした。

「すす、す、す、すいませんでした!」

「ナメてんのかお前は!」

「ななななナメてません!」

 頭の形が変わるんじゃないかと思うくらい床に頭を押し付け、土下座した。

「あれだけお前の所には言っといたはずだぞ!」

「えーと、えーとですね、これには訳がありましてですね、わ、訳というか訳が分からないというか」

 自分でも何を言っているのか訳が分からなかった。なんでもいい、ここは何かを言わなくてはならない。

「なんだって?」

「ね、ネズミが出まして、ネズミがパーッとこのお皿の方へ!あ!こら!そっちはダメだぞって!それでなんというかこういう事に」

「ネズミなんて出た事ないぞ」

 ここまで来たら引き返せない。

「あれは確実にネズミでした!はい!間違いありません!」

「ネズミが出たのもお前がちゃんと掃除しないからだろう?お前の責任だ」

「ええぇ!?あー、はぁ…」

 図星だ。

「200万円はする物なんだよ」

「に、にひゃくま…」

「どうすんの?」

「えーーとですねーー、えーとー…」

 俺はその日のうちに財前の所へ向かった。


       2

同日 16時30分

「え?200万払ったのか?」

 冷静沈着な財前が珍しく表情を変えた。

「払ってないですよ、ただもうちょっと待って下さいと……」

 俺は財前を見続けた。

 見つめ続けた。

 こんなに人を正視したのは初めてだ。

 視線に気づいた財前が口を開いた。

「……なに?嫌だよ、俺払わないよ」

「なんでですかー!」

「そこはお前が上手くやる所だろう~」

「そんな」

「それも含めての代行だ」

「ど、どうするんですか?200万」

「まだなんとなるんじゃないの?やり方次第だよ。考えろ」

「説明も何も無いし、無責任過ぎますよ!」

「かーっ。甘いなぁー。甘いっ。モンブランもびっくりだな」

 財前の机には食べ終わったケーキ皿が置いてあった。皿についた色を見ると多分モンブランだろう。いや、モンブランに違いない。

そしてそんな事はどうでもいい。

「こっちだってちゃんと選んで出しているんだ。こんな小さな壁を壊せなくてどうする。まったく、さぞかし今まで避けて生きてきたんだろうな」

 乗らないとは思いながらもやはり財前の言い方には腹が立つ。

「俺の何を知ってるんだよ」

 と小声だが、言い返した。

「なんだ?モンブラン。言い訳か?」

 俺は拳を握り、深呼吸し、ゆっくりと手の力を抜いた。

「わかりましたよ……」

 引き出しから封筒を出す財前。

「その200万、これを少しでも足(しに)」

「いりません」

「…何?」

「自分のやり方でどうにかしますんで、次はなんです?」

 財前への反抗なのか、またしてもお金は手にしたくなかった。

 そして横に居る村上さんは相変わらず笑顔でこのやり取りを見ていた。


       3

 俺は来る案件を引き受けていった。

 財前からの指示も徐々に詳細を与えられるようになった。

9月25日 19時25分

 貸したままの価値の上がったレコードを取り返すようにと、ある一軒家に来た。

 どうやらここの主と自分(大和田)は知り合いらしい。

「あのさぁ、家まで来られても無いものは無いんだよ!」

 その男はかなり不機嫌だった。そりゃそうだ、架損団欒の夕食どきにいきなり家まで来られて子供みたいな事を言われてるのだから。

「ちょっとでいいから探してくれないかなぁ?」

「そんな中学の時に借りた物なんて見つかんないよ!」

「ち、ちゅ…!?」

 中学!?聞いてないぞそれは!財前の野郎そんな大事な事わざと言わなかったな!くそっ!けど引き下がっちゃダメだ。

「えーと、じ、じゃあ実家とかにまだ置いてあったりとか!してないかな?」

「てか、かなり痩せたな。本当に大和田か?お前」

「お、大和田だよ!ちょっと病気して痩せたんだよ!」

「まったく、大して仲も良くなかったのによくそんな事覚えてるよな」

 似たような顔だから俺に依頼したとは思うが、卒業アルバムを持ってこられたり、途中で思い出されたりなんかされたら大変な事になる。早く終わらせなければならないと必死になった。

「ほ、本当に無いの?」

 奥から相手の奥さんや子供の声がしている。

「あなたー?大丈夫―?」

「実家になかったら諦めるよ!だから一度…」

「わかったよもう、もしかしたら有るかもしれないから、あったらまたメールでもするから。この間きたメールアドレスでいいんだよな?」

「この間って?ああ、そうそう!したね!うんありがとう。また連絡待ってるよ、じゃあね」

「変な奴だな…」

 早々に玄関を出た俺は早く現場から離れようと思ったが、振り向いた風景に暫く立ち止まってしまった。庭付きの2階建に車を所持。奥さんと子供に恵まれ、リビングからは笑い声さえも聞こえてくる。

「いいなぁ」

 これが俺の夢なのだろうか…。

 そういえば俺の人生のゴールはなんだ?


       4

10月1日

 財前からユミという人物に会う、という和夫爺ちゃん以来の同じ様な依頼があった。

 財前の挑発的な企てに受けて立ってやろうと俺も言われた情報以外聞かないようにしている。

 財前への挑戦もそうだが、その何が起こるか分からない状況の中で、即興に対応していく作業がなんだか面白がっている自分もいた。

 そして何より、今までの怠けた生活を好む自分と新しい生活を受け入れようとする自分が闘っている気がして、愉しかった。

 待ち合わせ場所はとある繁華街の裏路地にある公園、その中の小さな噴水だった。その前で立っているとユミは直ぐにやって来た。

「あ、もしかして夢猫ライトさん?」

 夢猫ライト……。何かのペンネームだろうか。ネットの世界に疎いが出会い系か何かで知り合って、今日初めて会うんだなと察した。

ユミは小柄で金髪、可愛らしかったがフリフリの服装がかえって年齢不詳に見えた。

 とにかく依頼を円滑にこなすには相手側からの情報が大切だ。特に名前を聞かされていない場合、直ぐに名前で呼んでくれるのは有難い。

「はい夢猫ライトです、ユミさんですか?」

 そう言った瞬間、ユミは勢いよく抱き着いてきた。

「えっ、ちょっ」

「もう全然会ってくれないんだもん~。なんでよー。思ってたよりずっとイケメンじゃん~!ご飯行こー」

 女性に抱き着かれるのは初めてだ。全身の力が一瞬抜けた。が、ユミのつけていた香水がかなり強烈だった為、直ぐ正気に戻った。  

 ……今回は当たり案件だろうか?

「お、おう。行こう」

 適当に近くのレストランへと行く。

 女性との会話に慣れない俺だがユミがずっと喋ってくれたので時間が経つのを早く感じた。

「ねぇ本当に一滴もお酒飲めないのー?」

 ユミがつまらなそうな顔で言ってくる。

「う、うん。あんまり」

 本当は全然飲めるのだが手持ちが少なく、ちょっとでも値段を抑えようと下戸の設定にした。やっている事はケチ臭いが、一度女性に奢るという事をしてみたかったので自分の分は極力セーブした。

 店を出た後、腕を組まれながら引っ張られる様に辿り着いた場所はラブホテルの前だった。

「……いや、えーとー」

「いいからいいから」と強く腕を引っ張られる。

 少し高めの部屋に入った。

 そこはまるで近未来へタイムスリップしたような空間だった。色鮮やかな明かりが天井や壁を照らし、奥にはガラスで仕切られた丸見えの浴室があった。何故かスロット台も2台あった。こんな所でする人居るのだろうか?この部屋中に流れているBGMは何処からきているんだ?そんな事を思っていたらユミが俺をベッドへ突き飛ばしてきた。

「な、何するんですか」

 ユミは何も言わず俺にキスをしてきた。

 今度は全身に力が入って動けなくなった。

「ふふふ、初めて~?」

「ささ、さ、さっき会ったばかりです」

「そう、会ったばかり~」

「き、キスですか?」

「え?もしかてキスも初めて~?」

 初キスだった……。

 初キスの味は、香水の濃厚な香りに煙草の苦みが仄かに混じった、なんとも舎密な味がした。

 再び口を重ねてくるユミ。

〝俺は男になるよ、和夫爺ちゃん〟

 そう心の中でつぶやいた。

 下着姿になり「私に任せて」とユミが俺のベルトを慣れた手つきで外し始めた。

 目の前にほぼ裸の女性が居るのに俺は至って冷静になっていた。

 というのも疑問が湧いていた。こんな当たり案件があるだろうか?依頼者はなぜコレから逃げたのだろう。連絡を取っているうちに嫌になったのか、何かに気が付いたが引き下がれなくなったのか?

 ジーンズを脱がしてくるユミの姿を見ながら黙考する。

 この女はなんで初対面な俺にここまでやってくるんだ。レストランでやたら酒を進めてきて、飲めないとなると面白くない顔をする、自分だって飲まないのに…。

 ユミがジーンズを引っ張る。

「もう、脱げないじゃん!ちょっとは足動かしなさいよっ」

 待てよ?なんか聞いた事あるぞ。女が男と手を組んでカモになる奴を誘ってホテルへ行き、暫くしたら男が…。

 その時〝ドンドンドンッ〟と扉を強く叩く音が響いた。「オイこらぁ!ここかぁ!」とドアの向こうから声がした。

 そうそう、男が入ってくるって話が…。

 すると如何にも悪そうなパンチパーマの男が入ってきた。

「え!亮ちゃんどうして居るの?え?え?え?違うの無理やり誘われたの!私は嫌って言ったの!」

 と、大根劇場が幕を開けた。

「あぁ??本当だろうな!?」

「私怖かったんだから~!ええん、グスッグスッ」

「テメェ俺の女に何してんだこらぁ!ああぁぁ!?」

 パンチがパンツ丸出しの俺に威嚇してくる。

どうしようか。咄嗟にある事を思いついた。

「く、苦しい!」

 俺は叫んだ。

「く!息が!」

「は?なんだよ」

「ハハッ、ハハハハハッハハッ!どうして!ハハハハッハハハハハハ!」

 俺はもがいた。

「苦しい!助けて!ハハハハ!ハハハッ何で!発作が!ハハッ息できない!へへへッ」

「おい、どうしたんだ、コイツ‥‥」

「し、知らない。ねぇやばいんじゃない?」

 俺は涎をダラダラと垂らし、足を痙攣させた。

「やばいやばいやばいねぇ亮ちゃんどうするの!」

「わかんねーよ!い、行くぞおい!」

 部屋を出ていくユミとパンチ。予想以上に上手くいった。

「はぁはぁ……。これやれば受かったなぁ」

 そして俺は、美人局だろうが初キスをくれたユミに感謝した。


       5

10月14日 9時00分

〝キュッキュッ〟と心地好い音がする。

 目の前には白く輝くトイレ。毎朝のトイレ掃除を始めた。トイレを磨く作業がまるで自分を磨いている様な感覚に陥る、それが快感となっていた。

「ふぅ」

 財前事務所に入ってからというもの、今まで味わった事のない、未知のスパイスが混じったような生活が自分を変えていると明瞭にわかった。

「おい」

 声の方へ振り向くと飾り皿の社長が立っていた。

「あ、社長、おはようございます」

「お前の所とはもうとっくに契約切ったけど?」

「はい、これは自分が勝手にやりたくて、やらせて頂いています!」

「はぁ。先に言っておくが、それで200万はチャラにならないぞ?」

 と言い社長は去って行った。

「…はい、わかってます」

10月15日 14時45分

 大きなマンション。20階くらいはあるだろうか。

 しつこいテレアポに断れなかった依頼者の代わりに、実際に一度会って関係を絶って来いという内容だった。テレアポといっても様々な種類がある。危ない所じゃないといいのだが…。

 エントランスで渡された部屋番号を押し、呼び出しボタンを押す。

「は~い」

 柔らかい、男の声がした。

「あのー石井卓郎と申します」

「あ~っ!石井さん~!待ってましたよ~どうぞどうぞ~」

 扉が開く。

 声色や最初に会う人物には騙されない。俺は気を引き締め、部屋へ向かった。

 エレベーターが階に着く瞬間、俺は恐怖のあまり、叫んだ。

「うわあああ!」

 一部ガラス張りになったドアの向こう側からこちらを見ている真っ白い顔の男が居た。

 エレベーターのドアが開く。

「お待ちしておりました、講師のピエーロ古賀と申します。どうぞこちらへ」

「ピ……ピエーロ、古賀?」

 確かによく見たらピエロの顔だ……。此処は一体……。

 扉に掛け看板があった。

 【クラウンスマイル~Change The Life~】

 と書かれてある。

 中に入りピエーロ古賀からパンフレット等を渡され色々と話が始まった。どうやら何かのセミナーらしい。話の流れで何故か俺もピエロの格好、そしてメイクアップもされ、気が付いたらピエロ同士になっていた。

〝今日だけだ、今日だけだ〝そう心の中で言い続けた。

「とりあえず約束どおり初回は体験して頂いて、また続けるかどうかはお話しましょう石井さん~」

「難しいと思いますけどぁ、まぁ、はい」

「いや~しかし似合ってますよね~はい」

「……そうですか」

「良いですよ~~、いやね、石井さんにお電話させて頂いた時から素晴らしい声があるのにもったいない、もっと幸せになれるのにってね?いや~粘らせて頂きました~はい~」

「声?」

「はい~」

「この声?」

「はい~」

 適当な事を言いやがって、悪徳セミナー確定だ。

「ん?……ピエロって、喋りますっけ?」

「喋らないですよ」

「……」

「不安ですか?大丈夫です。ここで学ぶ事は絶対この先、活かされますし人生も変わりますよ」

「プッ」

「どうしました?」

 余りにも喋っている内容、容姿が未知との遭遇過ぎて吹いてしまった。

「あ、いえ。なんでピエロなんですかね?」

「あっそうですね、お電話でもお話させて頂いたと思うんですが、笑顔に似た表情を作ると、ドーパミンが活性化するんですね」

「ふーん」

「ドーパミンは、脳の〝快楽〟に関係した神経伝達物質なので、楽しくなくても笑顔を作れば〝幸福物質〟が脳に出てくるんですね」

「ふーん」

「ですから鏡で自分の顔を見て脳に無理やり刺激を与えるんですね」 

 そう言ってピエーロ古賀は俺に手鏡を渡してきた。

「……」

 鏡を見ながら笑顔を作る。

「ふーん」

 そういえばここ数年、大笑いしていない。

 こうやって自分の笑顔すら見たのも何年振りか、……というか記憶にない。笑うとこんな顔になるのか、想像以上に笑いジワがあるんだなぁとつい長く鏡を見てしまった。

「いいじゃないですか~!さっそくスイッチ入りましたね~~」

「え、あ、いや」

 ピエーロ古賀は嬉しそうに話を続ける。

「さらにここでは本当にピエロになる事で幸福物質の生産を促進させてるんですねはい~」

「……合わなかったらもう電話してこないで下さいね」

「はい~ではこちらへどうぞ~」

 隣の部屋へ移動すると俺は目を疑った。

 ピエロが10人程集まっていた。生徒だと思うが彼等からの圧を感じるとかなり通っている上級生達だ。

 ピエロの一人が飛び跳ねるように近寄って来て俺の前で立ち止まった。

「さっそく瀬戸内クラウンがお出迎えです」

「瀬戸内クラウン?あ、はは、どうも」

 急に顔を近づけてくる喋らない瀬戸内。

「ちょ、え、これはどうしたらー…」

「石井クラウン、そういう時は鼻ですよ」

 ピエーロ古賀からアドバイスを貰い、瀬戸内の鼻を握ってみた。

 〝ピコッ〟と音が鳴と瀬戸内は驚いた顔をし、飛び跳ねながら下がっていった。

「瀬戸内クラウン!まだ首が硬いですよ!」

「何だ此処は…‥」

「あっ今日は歩き方とバルーンアートやりま

すので。とりあえずそれさえ覚えちゃえば子供からいや、どなたからでも一目置かれ、ハッピーになれますよ」

 にこやかに且つ真面目に話すピエーロ古賀を見ていると、本当に皆に幸せになって欲しい気持ちでセミナーを開いているのかなと惑わされてくる。これは油断したら感化されそうだ。意外とこういうの案件が苦手なんだと分かった。

「さぁ皆さん!準備運動はそこまで~!今日はニュークラウンのお出ましですよ~」

「おおおぉぉ~」と周りから拍手で迎えられた俺は〝笑顔〟で一日を乗り切った。


       6

10月16日 17時15分

 フルーツを美味しそうに頬張る和夫爺ちゃん。俺はあれからちょくちょく此処へ来ている。すっかりこの部屋が落ち着く空間へと化してしまった。

「見てこれ、どう?何かわかる?」

 爺ちゃんに風船で作った薔薇を見せてあげた。

「なんだこれ」

「薔薇。バルーンアートって言うんだよ、良く出来てるでしょう?」

「……」

「橋本さんこっちの方が喜ぶんじゃないかな?あの小さい紙よりも」

「こんーな丸くて柔らかい棘の薔薇があるか?何考えてんだ」

「なんだよ?酷いなー、良かれと思って作ってあげたのに」

「ミツオ、ワシが不幸に見えるか?」

「え?……何急に」

「みんな自分達の尺度で相手の幸せを判断しがちだ」

 なんだかいつもの爺ちゃんじゃない様に感じた。

「……」

「相手が、自分が思う不幸な状況にあると、勝手にその人は不幸で可哀想だと判断する」

「ちょっと話が大げさだよ」

「ミツオ、わしは今、幸せだ」

「……」

「特にお前と会っている時はな」

「……」


       7

11月18日 9時00分

〝キュッキュッ〟とトイレを奏でさせる。

トイレ掃除は見えない所を磨くのが大事だ。

 大抵のトイレには便座横にボタンがあり、上部が外れる。この陰の部分に汚れが溜まっている事が多くそこが綺麗になる時が一番清々しい。

「おい」

「あ、社長、おはようございます」

「まだわからないのか?」

「いえ、分かっています。もう少し待って頂けませんか…?」

「はぁ。あー、あと、どうせやるなら下のトイレもやっといてくれよ」

「はい」

「念を押すけど、200万はチャラにならないぞ?本当に」

「…はい」

「待ってるからな」と去っていく社長。

〝待ってるからな〟が俺には社長の優しさに思えた。

 俺は不器用だ。不器用には不器用なりの武器がある。それに賭けた。


       8

11月26日 16時30分

 『活』の垂れ幕が風に靡いている。

 玄関前をほうきで掃いていた村上さんがやって来た俺に気が付いた。

「おや、長谷川さん」

「村上さん、こんにちは」

「順調の様ですね」

「まぁ。本職は相変わらずですけどね」

「ふふ、そうですか」

 入口に入ろうとすると再び村上さんから呼び止められた。

「あぁそうだ」

「はい?」

「長谷川さんにお礼をする事がありまして」

「え?僕何かしましたっけ?」

「先日、新人がいらっしゃいましてね。渡和夫さんの所へ行ったんですが―、追い返されたみたいで」

「……?」

「お前はミツオではない、偽物だと」

「あぁ、そうか……」

「あれからよく顔を出してくれているそうで」

「は、はい。なんか、俺も爺ちゃんって呼ぶ事が今まで無くて、気が付いたら居心地もよくて……すいませんでした」

「なんで謝るんですか。渡さんはとても幸せそうでしたよ。あの案件も解決しそうです。ありがとうございます」

「なんで、村上さんがお礼を?」

「渡和夫に会いに行くという依頼は私が出した物です」

「え!?」

「渡は私の幼馴染でして」

「そ、そうなんですか?」

「私は生涯独り身でしてね。これといったパートナーも居ない、何かペットを飼うわけでもない。別にそれで良いんですが渡はとても愛のあるやつでしてね、そんな私を見て何かあるといつも誘ってくれていました。彼のおかげで私の人生に素敵な思い出が沢山うまれたんです」

「……」

「でも歳を取って、暫く会っていない間に彼も一人になっていてね、あの様な状況になったと知って、今度は私が何か少しでも出来ないかと。それで依頼を出したんです。ま、財前さんのやり方はちょっとスパイスが効いてますがね」

「そうだったんですか……」

「いつかちゃんとお礼をさせて下さい」

「そんな、いいですよ。俺が勝手にやってる事なんで。気にしないで下さい、村上さん」 

 微笑む村上さんを見て俺も嬉しかった。そして羨ましくも思った。

 幼馴染かぁ、財前からも会って直ぐ言われたが友達は今いないに等しい。しかしこれまで全く居なかったというわけでもない。子供の頃になるが当時は親友と言ってもいいくらいの奴はいた。


       9

-20年前-

「お命頂戴!」

 俺が好きな決め台詞だった。

 プラスチック製の刀を振りかざす。

「うあーっ」と言いながら走り出すサトシ。

「おいサトシ、全然倒れねぇーじゃん」

「俺は傷が直ぐ治る能力があるんだよ」

「なんだよそれ!」

「浩二だってそうすればいいじゃん」

「あーそう、じゃあ俺は痛みを感じない人間」

 その時、肩に何か当たる衝撃があった。

「痛っ」

 BB弾が転がっていた。横を見ると同級生の2人がおもちゃの銃を持って立っている。

「そんな刀で楽しいかよ?だっせー」

 同じクラスだが普段から近寄りがたい嫌いな奴らだった。

「大丈夫?浩二」

「……うん、行こ」

 歩き出した俺達の背中にBB弾を撃ち始める奴ら。

「サトシ!」その声を合図に走り出す俺とサトシ。しかしサトシの身体には俺の3倍程の肉と脂肪がついている。案の定、直ぐに息を切らすサトシ。

「おい逃げんなよお前ら!」

 後方から声が近づいて来る。

「サトシ!早く!」

「はぁはぁ!もう走れない!」

「え!?」

  立ち止まるサトシ。

「はぁはぁはぁ、土下座して許してもらおう」

「俺達が何したんだよ!」

「はぁはぁ、じゃあどうするの」

「戦うしかない」

「え?無理だよ!刀じゃ」

「それしかないだろ」

 振り返ると奴らが銃を構えていた。

「目は外してやるよ、ははは」

 俺は刀を構えた。

「え?なんだお前、やる気?」

「お命!ちょうだ…!」

「ごごごごめんなさい!」

 後ろから声がした。

「え?」

 サトシは後ろで土下座をしていた。

「サ、サトシ?」

「許して下さい!ごめんなさい!もう撃たないで下さい!お願いします」!」

「許してって、俺達何もしてないじゃん!」

「この通り!」

 奴らが笑い出す。

「ぷはは。じゃーわかった、お前はもう撃たないでやるよ」

「ありがとうございます!!」

 奴らは俺を指さしてこう言った。

「そいつを殴ったら許す」

「え?」

「その刀で思いっきり殴ったら許してやるよ」

 何秒間だっただろうか、サトシと見つめ会った。

「……」

 サトシに向かって銃を構える奴ら。

「……ごめん、浩二、ごめん」

 俺の方へゆっくりと刀を構えるサトシの目から俺は視線を外さなかった。

「うああああ!」とサトシが吠え、自分に向かって来る。俺は耐えられず目を瞑った。

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