陰花(いんか)

かましょー

第1話  『己』 ~おのれ~

9月1日 8時30分

 駅周辺の道は再び学生達で賑わっている。人々の往来が激しい中、クラクションを鳴らし徐行する車に満員のバス、向かってくる学生達を器用に躱しながら進んでいくサラリーマンを見ながら、…あぁまた新しい季節がやってくるのかと思う。

 といっても自分は特に変わりのない生活を送っている。高校を卒業して何年経っただろうか。いい歳をして未だにアルバイト生活をしている。


 ……役者をしながら。


 役者と言える程でもないが、役者なんて所詮自称の世界だ。テストも無ければ免許も無い。自分が役者だと言えば役者なのだ。

 俺は、役者……なのだろうか。

 今年に入ってやった仕事といったら顔の映らないPVに、ドラマのエキストラ、笑った表情だけ撮られた企業用のパンフレット。芝居なんてしたようでしていない。

 俺も今年で30だ。そろそろ本当に将来を考えなければなと思うが、考えれば考える程遅咲きしてテレビで活躍している役者達の顔が脳裏に浮かんでくる。

〝歳をとればライバルが減るぞ〟〝お前は俺達と同じ遅咲きプレーヤーなんだ、もう少し我慢しろ〟と言っている気がする。

 という理由をつけ、今も続けている。

 自分も学生達の間を縫うようにして進み、バイト先に向かう。

 電車に乗り込み、ドア部分の車窓から外を眺めた。

 席が空いていても基本的には座らない。座って携帯を弄るより窓際で外を眺めている方が好きだ。

〝ブーンブーン〟

 と携帯にメールが届いた。

大体何のメールかは分かっている。オーディション結果の報告メールだ。友人もパッと思い浮かばない様な俺にはバイト先の人からか、それぐらいからしか携帯は動かない。

 外を眺めながら深呼吸し、携帯を見た。

 【先日の配役オーディション第一次選考通過者は以下の方々です。】

 添付されたファイルを開き、名前を探す。

 俺の名前は……無い。

 携帯をポケットに入れ、何事もなかった様に再び外を眺める。

 これが俺の日常だ。

 その時、いつも見ている風景の中にあるモノが目に入った。


 『活』


 その文字はとある小さなビルの屋上から掛けられた、2メートル四方程の垂れ幕に書かれていた。

 そこまで大きくはないが、ただ一文字『活』と書かれた垂れ幕は簡単に目に留まった。


「何だあれ」


 ボソッと声が出た。

 しかしそんな事も電車を降りる頃には忘れ、いつも通り「かわばた亭」に向かった。

 大型スーパーによって廃れていった商店街の中にしぶとく残っている定食屋だ。

 口数が少なく黙々と仕事をこなす亭主の吉矢さんに、ハキハキと喋り、いつも明るいという真逆の性格をした妻の朱美さんが何年も売れない役者の俺を唯一アルバイトで雇ってくれている。 


       2

 駅を出て直ぐだった。

 多くの人が交差していく中、小走りで追い越していった女性らしき人物がハンカチを目の前で落とした。

 俺はハンカチを拾い直ぐにその人へ渡そうと思ったが、頭を上げた時には既にその人は見当たらなかった。

「あれ」

 服装、髪型、一瞬しか見ていないがそれらしき人は見つからなかった。人混みに隠れてしまったのか、もしくはこの一瞬で走り去って行ったのだろうか…。

 俺はハンカチを直ぐ近くあった大きな木の枝にわかりやすく掛けた。その時、紙くずがヒラヒラと落ちたが気に掛けず、かわばた亭に向かった。

 色あせたボロボロの暖簾をくぐり、店に入る。客足が少ない店なので食材は基本その日の朝買う事になっている。昨夜書かれたメモ紙を手に取り、近くの業務用スーパーへ行く。本当はアルバイトなんて雇わなくても夫婦で店を回せるはずだが、俺を同情してか良くしてもらっているので出来る事は全部任せてもらっている。


       3

同日 21時46分

 この日、いつもに増して喋らなかった吉矢さんは、閉店間際に店を閉じる事を打ち明けてきた。

「えっ?今年いっぱいですか!?」

 俺は今日一番、いやここ数週間で一番大きな声が出た。

「ああ、もう廃れていくだけだよ、この商店街は。ごめんな浩二、大変なのに」

 中華鍋を洗いながら背中越しに俺と会話をする吉矢さんの姿からは詫びる気持ちが痛いほど伝わって来た。

「ここ閉めた後は、どうするんですか?」

「んー、まだ特に考えてはいないな……」

「朱美さんと2人で決めたんですか?」

「……いや、俺がそう決めた」

 厨房の隙間から見える朱美さんはテーブルを拭いている。

「申し訳ないがー、そのつもりでいてくれ」

 正直ここ数年、いつこの言葉を掛けられるかと思っていたが、いざその時が来るとなかなかの衝撃だ。何故だか急に換気扇の音がとても大きく感じた。


       4 

「お疲れ様でした」

 店の片付けが終わり、悄然としながら外へ出る。10メートル程歩いた所であるモノが目に入った。

「ん?」

 ハンカチだ。

 今朝と同じ柄。

 俺はそれを拾い辺りを見回す。

 ここは灯の消えた商店街、特に夜なんて帰路に就いているサラリーマンが数人たまに通るだけだ。

 今朝、一瞬見た女性の後姿がイマイチ思い出せないがここに居ない事はわかった。

 というか俺は駅前の木に引っ掛けたはずだ。何故ここに……。それとも全く同じ種類のハンカチを1日に2回拾ったというのか。宝くじで1等が当たるくらい難しいんじゃないか?考えれば考える程、気味が悪くなってくる。

 近くのコンビニのゴミ箱へハンカチを捨てる事にした。そこら辺に投げ捨てようかとも考えたがまた戻って来られても困る。

 そう思った時だった。折られたハンカチの隙間から紙切れがヒラヒラと落ちた。

「ん?そういえば今朝も……」

 その紙切れは綺麗に折られ、薄く文字が見えた。紙を広げる。


【さて、次は貴方の番です。これを拾った貴方がまず行う事、『活』の前、17時に村上さんに会う】


「……なんだこれ」

 呪いの手紙か何かだろうか?それにしては内容が薄い。よくわからないまま俺はコンビニに寄り、ゴミ箱へ捨てた。

 帰りの電車内、いつものように外を眺めているとふと『活』という文字を思い出した。

「ん?カツ?」

 そういえば今朝、『活』という字も見た。あの紙に書かれた『活』と恐らく同じことだろう。外の景色は丁度その建物の前を通る頃だった。

「……ない」

 『活』という垂れ幕は無くなっていた。

 【17時に村上さんに会う】

 確かそう書いてあった。垂れ幕は17時に仕舞われたのか?なんだか先ほどの紙切れが気になってきた。


       5

9月2日 15時6分

「ありがとうございましたー!」

 今日も朱美さんの威勢の良い声が店内に響く。最近、吉矢さんの声がさらに小さくなった為、朱美さんの声もそれに比例して大きくなっていく。

 煙草を持って裏へと出ていく吉矢さんを見て、『準備中』へと看板を変更する。

「浩二君、最近は仕事どう?」

 朱美さんは店が閉まるとなったが気を使ってかいつもと変わらないテンションで話しかけくれる。

「先週行ったオーディションもダメでしたね」

「そっかぁ、大変よね。でも凄いよねー夢が

あってそれに突き進むってさ」

「いや、俺はー、ただ逃げているだけですよ、嫌な事から。好きな事しか出来なくて、自分に甘いんです。たぶん両親も生きていたら相当怒っていると思いますよ」

 俺の両親は22年前に交通事故で亡くなった。どこに向かっていたかは忘れたが家族3人で車に乗っていた時に、信号無視したトラックが横から突っ込んできた。奇跡的に一命を取り留めたのは後部座席に居た自分、独りだった。

「相変わらず悲観的ねぇ~。でも結構自分の事、分析してるわよね。浩二君を見習ってほしいわ。うちの人なんて好きでやってるのかも分からないし、夢や目標なんてあるのかしらって感じ?まぁ歳も歳だし仕方ないのかなー」

「本当に閉めちゃうんですか?」

「……そうねぇ、あの人がそう言いってるからね。私の力だけじゃあの人も、この店も変えるのは無理そうね。」

「吉矢さんの料理、凄く美味しいと思うんですけど」

「味だけじゃ限界があるのよ、きっと。この流れを変えるのは何かもっと大きなエネルギーが必要なのよねぇ…」

「エネルギー…?」

「浩二君は大事な本職の方頑張らないとね!応援してるんだよー!」

「……ありがとうございます」

「暗い暗い!そんなんじゃ次のオーディションも受からないわよ!」と言って俺の尻をパシッと叩いてくる朱美さんのノリは嫌いじゃない。


        6   

9月2日 22時15分 

 いつものように店が終わり、電車で帰る。

パトカーのランプが交差点を照らし、ボンネットが歪んだ車が一瞬目に入った。

 俺は疲れていたり、ふと気が緩んだ時にこういう光景を目にするとフラッシュバックを起こす時がある。


 -「後ろに子供が居るぞ!」

 確かそう聞こえた。暗闇がゆっくりと赤く眩しい世界に変わっていく。天と地が逆になっている。辺りはガラスの破片が散らばっていて、ほんの数センチ先ではぐったりとした大人の手が見えた。その手を触ろうとしたが自分の身体は動かなかった。なんとか首を動かして見ると座席とドアに挟まれている自分の身体が見えた。その瞬間、また視界が暗闇へと変わっていった。-


9月3日 9時40分

 特に変わりのない朝。電車からはいつもの風景。『活』はその日も目に留まった。

 【『活』の前、17時に村上さんに会う】

「村上……」

同日   11時15分

 オーディション会場では同じような人間が集まる。年齢、身長、髪型、服装。客観的に見たら異様な光景だろう。

 オーディションでは想像を超えるシチュエーションや演技を要求をされる事がある。

「えーそれで、その笑いが止まらない薬で笑い死ぬ所お願い致します」

「はい」

「ではいきまーす、はいっ」

「んっ。へへ、へへへッハハハッ、あれ、

 止まらないハッ、ハハハハハッハハハッハ

 ッハハハハハハハハハハハハハ、ハハ……

 ハ……」

「はい、ありがとうございますー」

「……ありがとうございました」

 良い手応えを感じても落ちる事の方が遥かに多いのであまりそういう事は考えないようにしている。しかし今回は久々に悔いが残った。

 その後、特に予定もなく適当に時間を過ごし自宅へ向かう。

 いつもの窓からの景色。俺は自然と『活』という字を探していた。そしてその建物の前を通った時、年配の男性が『活』の垂れ幕を畳んでいるのが見えた。

「ん?」

 時計を見ると17時1分。

「17時まで…?」


       7

9月4日 16時30分

「すいません急に」

「はいよ、受かってこいよー」

 ぶっきら棒に返事をする吉矢さんだが急なオーディションでも嫌な顔ひとつせず、必ず協力してくれる。

「頑張っておいで!」

「はい、すいません朱美さん、行ってきます」

 店を出る事に気が咎めた。

 どうしても『活』が頭から離れなくなり、オーディションと2人に嘘を吐き今日確かめる事にしたのだ。

 16時45分、『活』の近くの駅で降りる。残り15分、間に合うだろうか、感覚だけを頼りに建物を探していく。自分の家からそう遠くはないが、降りた事のない駅。方向音痴な俺にはまるで余所の土地へ着た様だ。

 角をいくつか曲がり、上を見ながら歩いていると突然『活』は表れた。

「あった」

 時計を見ると16時57分。ギリギリ間に合った。

 建物の一階は駐車場になっており、いかにも高級車という綺麗な車が駐車している。すぐ隣に階段があり、2階に繋がっている。

「あのー」

 さっきまで人通りはなかったのに、まるで待ち伏せしていたかの如く後ろから声をかけられた。 

 振り返ると制服を着た女の子が立っていた。

「はい?」

「あのー、村上、さんですか?」と女の子が訪ねてきた。

「え?いや、違います」

「そうですか、すいません」

 俺と同じく『活』の紙を拾った子だろうか。一瞬、俺も相手が村上かと思ったが流石に高校生ではなかったようだ。

 時計を見ると16時59分。

 もしかしてあの紙はただの悪戯だったのだろうか。だとしてもハンカチで俺をしつこく誘うなんて手間がかかり過ぎる。あと1分、信じてみるか。そう思った時、階段から足音が聞こえて来た。

 足元からゆっくりと姿を現したのは、昨日垂れ幕を片付けていた男だった。70歳手前といったところだろうか。

「あら、今日は来てますね」とその男が喋った。

「……」

「ふふ、いらっしゃいませ」

「……あの、村上、さんですか」

「はい、私が村上です。今日は1名様ですね」

「あ、いや」

 後ろを振り向いたが女子高生の姿はなかった。

「あれ?」

 女子高生は諦めたのか、駅方面に向かって歩いている姿が見えた。

「どうしました?」

「あ、いや、何でもないです……。あのーこれって何なんですか?」

「これはー、そうですね、オーディションとでもいいましょうか」

「オーディション?」

「ええ」

「か、活のオーディション?どういう事ですか?」

「あぁ、あれはカツというより、活きる、ですね」

「イキル?」

「ただのキーワードです」

「…はぁ」

「何のオーディションかは、此処では言えません。どうしますか?中へ入りますか?」

 一体この村上という男は何を言っているのだろうか。見たところ清潔感もあり、悪そうな人間にも見えない。しかし大抵そういう人間が実は悪の組織に属していましたと、よくある話だ。

「さぁ、どうします?因みに一度断ると、二度目は御座いません」

「え?」

「それも含めて、オーディションですから」

 まったくもって訳も分からず、疑念しかない。が、何故か中に入りたい気持ちが毎秒に増していった。

 オーディションという言葉に刺激されたのか、連敗続きで特に仕事も無くぼんやりと生きていたからなのか、既にゆっくりと右足が動いている自分が居た。

「ふふ、ではこちらです、ご案内します」

「……」

 階段を登っていく村上の後を、数メートル距離をあけ付いていく。

 2階へ行くとそのまま通路が繋がっており奥にまた階段へと続いていた。その階段手前の扉で村上が立ち止まり、こちらを振り向いた。

「こちらの扉で御座います」

「え?」

「私は上の文字を片付けてきます」

「あ、あの」

「今からでも辞めて構いませんよ?」

「……」

 何だか挑発されている様に感じる…。

 俺はゆっくりと扉の前へ立った。

「あ、初めての方は5回ノックして下さい」

 そう言い残し、村上階段を上がって行った。

 まぁ今さら何が起きてもいい。

 例え此処が反社会的な所、またはよくわからない変な自主映画製作会社だったとしても断って直ぐ帰ればいい、そう思って俺は5回ノックをし、扉を開けた。


       8

 中はとても高級感のある書斎だった。大きな棚もビッシリと本やそれらしい置物で埋まっている。机の上には淡い光のランプ、その横にマカロンが3つ程置かれ、男が椅子に座り背を向けていた。

「久しぶりに来たか、まぁ座りなさい」

 背中越しに語り掛ける男。

 部屋の真ん中にひとつ、椅子が置かれている。俺は恐る恐るその椅子に座った。

「あの、これはー、何のオーディションなんでしょうか……」

「男か」

 そう言うと男は椅子を回転させこちらを向いた。そして俺を見るなり、「あー、っぽいね~」と呟いた。

「はい?」

「よく来たね」

 やはり変な所に来た。そう思った。

「私は財前貴光。君はー」

「長谷川こうー」

「いくつ?」

「え?あ、歳ですか?30です」

「そうか」

 そう言って黄色いマカロンを一つ口にする財前という男。

「……」

 自己紹介は先ず名前だろう。年齢を聞いたかと思えばそうか、でマカロンを口にするその姿は俺をイラつかせ始めていた。しかしまだ焦燥を見せるのは速い。先ずは何のオーディションかを聞いてからだ。

「あの、オーディションっていうのはー」

「オーディションっていうのはこの部屋に入るか入らないかだ」

「はい?」

 確実に変な所に来た、そう思った。

「君、入ったからとりあえず合格。だってー、普通来ないでしょ。拾った紙切れの言うとおりに」

「え…、あー……」

 言葉に詰まった。

 オーディションというのはあのハンカチを拾ったところから始まっていたのか?あれは拾うべくして拾ったというのだろうか?なぜ俺なんだ、たまたまなのか?そんな事が頭を巡らせ少しパニック状態になった。

「あんなメモ書き、怪しいだろう?絶対」

「……まぁそうですね。あの、あなたがハンカチ置いたんですか?」

「いや?ここを辞めた人間が君をスカウトしたんだろう。誰がやったかは俺もわからない。基本的に此処ではお互いの事は深く知らない様にしている。仕事上な」

「スカウト……?」

「うちが求めている人材はここまで来る様な人間だ。あんなメモを見て来るような奴は大抵、今の自分に生き詰まっている奴か、満足していない奴だったり、ちょっと変わった奴。(浩二を指さして)物好きな奴?」

「……いえ、俺はー」

「〝オーディション〟で入ったってことはー売れない芸人?」

「いや、役者、やってます」

「お、売れない役者か」

「……売れないじゃなくて、売れてない、にしてくれます?」

「甘いなー。甘い。実に甘い。マカロンもびっくりしてるぞ、お前の甘さに」

 と言い、今度はピンクのマカロンを口にする財前。

 俺は怒気を込め、残った緑のマカロンをじっと見た。目の前の人間を睨めない自分が情けなく思う。

 垂れ幕を片付け終わったのか、村上がトレイにグラスのお茶を乗せ、部屋に入って来た。

 俺はそれを見たが怒りが収まらないので此処を出る事にした。

「あの、俺も暇じゃないんで」

 立ち上がり、村上に会釈をし、ドアへと向かった時だった。

「このままでいいのか?」

 財前がトーンを少し強めに発したその言葉に俺は何かに掴まれた気がした。足が止まり、次の一歩が出なかった。

 このまま……。俺の何を知って言っているんだこの男は。そう思ったが決して間違いではなかった。

「合格したんだし話だけでも聞いていかないか?」

「まだ何の話かも分からないんですが……」

「まぁ座りなさい、やるかやらないかは聞いた後でもいいだろう?」

「……」

 苦慮している俺に村上が優しい笑顔でお茶を差し出してきた。怒りが残ったまま俺は再び椅子に座った。

 引き出しを開き、厚いファイルを開く財前。  

「えーとぉー、30の役者かー」

「仕事の話ですか?」

「仕事っちゃー仕事かなぁ。まぁ君にぴったりだと思うけど。顔は広い方か?広くなさそうだな」

 いちいち癪に障る言い方をしやがる、そして間違ってはいないのが更に胸糞を悪くする。

 俺はお茶を一気に飲んだ。

「はぁ。ええ広くないですよ」

「そうか、友人も少ないだろ?」

「……関係あるんですか?」

「居なさそうだな」

「……。ええ居ませんよ、今はね」

「まぁ此処では都合が良い事だ」

「え?」

「じゃーまず手始めにこの人に会ってくれるかな?」

 そう言いながらファイルから写真を一枚取り出し、村上に渡す財前。そしてその写真を俺に差し出す村上。

 高齢の男性が写っていた。見た事のない人物だ。

「この人は?」

「渡和夫。下城宮の老人ホームにいる」

 財前が再び喋りながら机の上に住所が書いてある紙を置き、村上が俺に渡してくる。

「会ってどうするんです?」

「会うだけでいいよ」

「会うだけ?」

「そう、会うだけ」

「会うだけで、どうなるんです?」

「会ってまたここに来れば、給与がでる。あぁまだ契約交わしてないから報酬になるのか」

「……え、お金?」

 …何だその仕事は。仕事、か?

「簡単だろ?」

 お前に出来るかな?と試すような視線で俺を見てくるこの男から引き下がりたくはない。しかし危険な匂いしかしない。

「そんな危険なものではない、これはー、ちょっと珍しい、仕事なだけだ」

 人と会って金が貰える仕事なんて、ろくなもんじゃないに決まっている。ますます怪しい。

「決して怪しいものでもない。どう転がるかは、自分次第だ」

 こいつは俺の心を読んでいるのか?

「なんで説明が大雑把なんですか」

「最初のうちはこっちも様子を見させてくれ。もし君が適しているのであれば、そのうち具体的な説明もしていく様になる。すべては君がどんな人間なのか、次第だな」

「……」

 やはり試されていた。この財前という男はこの短時間で俺の事を見抜いたのかどうかわからないがこの挑発的な会話といい、むっつり負けず嫌いな俺を上手く誘導している、そう感じた。

「大丈夫だ、最初は難しくないモノだ」

「いつ会いに行けば?」

「今でもいいし。今じゃなくてもいいし。まぁ早い方がいいかなぁ」

「なんですかその感じ……」

「渡和夫の親族って言えば入れるから」

 と言い、席を立ちドアの方へ向かう財前。

「え?そ、それだけですか?」

「ああ。あ、因みに〝マカロン〟がここに来て良い時間は16時半から17時の間にしようか」

「ま、まかろん……」

 財前のおちょくりにいちいち反応していたらそれこそ思う壺だ。俺はマカロンを……受け入れた。

「新人が来ない限りここは17時で閉める。柔軟に頼むぞ?マカロン」

 ドアを開ける村上。財前はそのまま部屋を出ていった。

 俺はその場で立ち尽くし、今ここで起こった出来事を整理していた。

 本棚を掃除し始める村上。

「心痛めていらっしゃったら、申し訳ありません」村上が埃を叩きながら突然そう謝ってきた。「あんな事言ってますが財前さんもお友達居ないみたいですよ。ははは、頑張って

ください」

「……」

 村上さんは、良い人そうだ。


       9

9月5日 17時50分。

 昨日渡された住所に辿り着いた。此処は家から数駅離れた場所、『活』のビルからもそう遠くはない所に老人ホームはあった。

「本当に入れるのかよ……」

 その小さなビルの一階にあるインターホンを押した。

「えーとー」

 忘れないようにと、写真の裏側に昨日聞いた名前をメモしていた。

 〝ワタリカズオ〟

「はい、どちら様でしょうか?」

「あ、あの、ワタリカズオの親族ですけどもー……」

「あーはいはいー。今開けますねー」

 なんともあっさりと入れた。

 そのまま怪しい顔もされずスタッフに案内される。

「最近、御親族の方いらしてなくて、和夫さん喜びますよ~」

「は、はあ」

 上階へと向かう。行った事はないが、中は至って普通のホームだと思われる。

「この奥の部屋です、何かあったら下に居ますので」

「ありがとうございます」

 扉の横には〝渡和夫〟と書かれていた。

 扉をノックする。

「……」

 反応が無いのでこちらから扉を開ける。

 中に入ると写真に写っていた老人、渡和夫が何か物を探している様子だった。

「あのー」

 渡和夫はベッド横の引き出しをあさるのに必死で反応は無い。もしくはただ単に聞こえていないか。俺はもう少し大きな声で喋りかけた。

「あのー」

「寒い!早く閉めろ!!」

「ひっ!」

 予想外のリアクションと自分より大きな声の返しに一瞬心臓が縮んだのがわかった。

「えっ、あ、は、はい」

 扉を閉める。動揺したが相手は老人だ。俺は深呼吸し、再び声をかける。

「何か、探しているんですか?」

「あっ」と何か思い出したか、俺の方へ近づいてくる渡和夫。

「ハサミ、持ってないか?」

「ハサミ?持ってないです」

「そうか」 

 そう言い残し、一度離れていったがまた顔を近づけてくる。

「なんで敬語なんだ?」

「え?」

 突然、両手で俺の頬を挟んできた。歳の割になかなかの力が入っている。

「また痩せたんじゃないか?ちゃんと飯を食え」

「……誰かと間違えてませんか?」

「またそうやってからかって、たまには違うやり方でこい」

 そう言ってまた引き出しをあさりに戻る。

 なんなんだこの爺さんは……。財前とはまた違ったタイプの〝何か〟だろうか。

「あっ」

「見つかりました?」

 また近づいて来る渡和夫。どうやら違う事みたいだ。

「また手ぶらで来たんか?」

「はい?」

 そばに置いてあった新聞紙で棒を作り、俺の頭をバシッと叩いてきた。

「痛っ!は??」

「ばかもんっ、千疋屋のフルーツの一つや二つ持ってこいって言ってるだろう!」

 このジジィ……。財前より質が悪い。そりゃ金も発生するわと怒りが湧いてくる。だがまだ何の為に顔を合わせたのかはまったくわからない。

「人が稼いだお金で皆してぬくぬくと暮らしやがって」

「俺は、財前って人から言われてここに来たんですよ」

「またそうやって直ぐ他人の振りしてワシをボケ老人扱いか」

 ベッドに座る和夫。

 俺を孫か何かと勘違いしているが言っても気が付かない様子を見ると認知症なのだろうか。それともただ単に物凄く頑固なジジィのどちらかだ……。

「ミツオ、もう職に就いてるのか?」

 どうやら俺は〝ミツオ〟という人間らしい。 

少し付き合うか、そう思い無造作に置かれて

いた椅子に座った。

「ああ、まぁね」

「そうかっ、良かったなぁー。何の仕事だ?」

「え?あー」

 適当にある事ない事で会話をしようと思ったがそんな事しても意味がないと思い、俺は自分の事をそのまま話す事にした。

「……役者だよ」

「何?役者?」

「今はバイトしー」

「凄いじゃないかー!わしの孫は役者か!」

 自分の声をかき消すその大きな声にまたビクッとした。

「や、やめてよ、まだそんなんじゃないから」

「ばかもん!なんだその弱気な発言は!」

「だってまだ…」

「だってじゃない!」

「……」

 〝だってじゃない〟、その言葉を聞いて父の顔がパッと出て来た。よく泣いている俺に言っていた。自分は言った記憶は無いが良く言われていたという事は、そういう事だろう。

 現に今、この爺さんから言われている。何も変わっていないじゃないかと自分がまた情けなくなった。

「役者なんだから、役者だろう!外で闘う前に自分に負けてどうするんだ。大丈夫だ。お前なら立派な役者になるだろう。な!はは!」

「ん、うん。……ありがとう」

 根も葉もない励ましだと分かっているが、そんな事今まで言われた事がなかったので素直に嬉しかった。

「あ、お前に良いこと教えてやる」

「なに?」

「下に橋本っていう綺麗な女がいるんだ。その女にこれを見せるとイチコロだぞ」

 爺さんが胸ポケットから取り出したのは折り紙で作られたバラだった。あんなに気が荒かったのに笑顔で折り紙のバラを渡してくるその姿はとても愛くるしく、思わず吹いてしまった。

「ぷっ、元気だね。いいよ別に」

「なんだ、女に興味なしか」

「そういう事じゃなくて」

「まだ済ませてないのか?」

「何を」

「……」

 心配そうな顔で俺を見てくる渡和夫……。

 この人は本当にボケているのか?それにしては他の事はしっかりしているし会話もしっかりしている。

「か……関係ないでしょそんなの」

「よかったら紹介するぞ?橋本って女が…」

「いいってもう、そろそろ行くよ」

「なに?久々に来たんだ。もうちょっといいじゃないか」

 その時、ノックの音がし、振り返るとスタッフが顔を出していた。

「和夫さん、今日はこちらで召し上がります?晩御飯お持ちしましょうか」

「そうしてくれ、こんな楽しい日は久々だ」

「あ、いや、僕そろそろ…」

「いいじゃないか!」

 爺さんのデカい声もスタッフは慣れているのか笑顔のまま話しかける。

「和夫さん、お孫さんが沢山いていいですね~」

「ん?沢山って?」

 突然爺さんが聞き返した。

 そうか、恐らくスタッフは財前に送り込まれた俺みたいな人間を何回も見て言ったのだろう。しかしこの爺さんは全員ミツオとして接してきた。

 そのズレが今ここで正されてしまう。そんな面倒くさい事、今は御免だ。

「お、おじいちゃん!この花どうやって作ったか教えてよ」

「ん?そうかそうか、ハサミが確か引き出しに」

「いや、ないと思うよ。すいませんご飯と一緒にハサミもお借りしていいですか?」

「はい、今持ってきますね~」

 今日だけでも孫として接してあげよう。

 そう思った時、ポケットにある電話が揺れた。

 メールだ。

 オーディションの結果報告だろう。今見るのは嫌だなと思いながらも画面を開く。

 【先日のオーディションですが、今回は選考から外れてしまいました】

 落ちるとは思っていたがこんな時に落選

メールを見るのはやはり意気消沈する。

〝バシッ〟っと再び新聞紙の音がした。

「痛っ」

「なんだっ、そのしけた面は!」

「あぁ、ごめんなさい…」

「おい、バラの花言葉は愛だけじゃないのは知ってるか?」

「いや、花言葉自体よく知らないよ」

「薔薇は色と本数でも愛の意味が変わってくるんだ」

「ぷっ、ロマンチストかい」

「あん?」

「いやなんでもない」                 

 何でだろうか……、居心地は悪くなかった。

 他愛もない会話をしていたらいつの居間にか2時間ほど経っており、外は暗くなっていた。和夫爺さんは楽しんでくれたみたいで最後は「またな」とエレベーターまで俺を見送ってくれた。

 途中の階でエレベーターが止まり80歳くらいの御婆さんが乗ってきた。その御婆さんは俺の尻を見るなり「あら、とても素敵ねぇ」と言ってきた。

「え?」

 後ろポケットからは和夫爺さんから貰った折り紙のバラが出ていた。

「お薔薇でしょう?私もお花好きなの。特にお薔薇が」

「そうですか、ははは…、ん?もしかして、橋本さん、ですか?」

「あら、なぜ私の名前を?」

「あーえーとー、あっこれ、5階に居る渡和夫さんからです」と、その薔薇を橋本さんに渡した。


       10

 9月7日 16時46分

「そうか、渡の爺さん元気だったか」

 財前の机に写真と住所の紙を返す。

「なんだったんですか?」

「ただの孫好きの、ボケた爺さんだよ」

「え?」

「悲しいかな、世の中には丹精込めて育てた子供から無慈悲にも将来見捨てられる人達が居るんだ。彼もその一人。恐らく孤独感から妄想で描いていた孫が、現実として誤認識される様になってしまったんだろう」

「……」

「お前は孫代行として行ったんだ」

「何の意味が……」

「何の意味?それはお前自身が決める事だ」

 財前は引き出しを開け、机の上に封筒を置いた。

「今回の報酬だ」

 見ただけではいくら入っているのかまったくわからない。封筒を見つめていると和夫爺さんの顔が浮かんでくる。

 あの時間、俺はなんだかんだ楽しい時間を過ごしたがそれが実は孫と偽って爺さんを騙す仕事だったと考えるとお金なんて貰いたくない。

「……いらないですよ」

「何?……そうか」

 後ろに居た村上さんが空気を察したのか、無言で扉を開ける。

「じゃあもう行っていいぞ」

 やっぱりお前はダメだったか、と言いたそうな財前の表情を見て、また自分の中で葛藤し始めた。

 財前の背後に置かれた棚、その扉ガラスに反射した自分と目が合う。こんな会ったばかりの奴にすべてを見透かされ、軽蔑される自分の顔はとても見ていられなかった。

「此処の事はくれぐれも他人には―」

「次は」

 以前やられた様に言葉を掻き消してやった

「次は何ですか?」

 扉を閉める音がする。

「……。次はここに行ってくれ」

 住所が書かれた紙がまた机の上に置かれる。

「5日以内に頼む。この日だけお前は米山健司だ。村上ちゃん、マカロンに服手配してくれる?」

「畏まりました」

 机の引き出しから纏まった紙を数枚置く財前。その紙の上部には太字で「守秘義務契約書」と書かれている。

「これを読んで、署名してくれ」

 文章の中には『財前事務所』の文字がある。

「財前事務所……?」

「今回からは身元がバレたりミスを犯したらクビにする。いいな?」

「は、はい」

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