歪んだ愛情の行く末は④
あまりにも衝撃的で呼吸がうまくできず、口の中が乾いてしまって声が出ない。
川田を殺そうかなんて、そんなことを笑顔で言うなんて。春奈は辛うじて首を横に振るのが精一杯だった。
《お姉ちゃんは、春奈の味方だから。ほら、笑顔でいられる場所を私が作ってあげるって、前に言ったでしょ》
そうだ、言っていた。言っていたが、誰かの命を奪って作られる笑顔でいられる場所などはいらない。
言わなければ。“
だからといって、“
しかし、それは許されていないのだ。河嶋は然るべき手段で、法によって裁かれるしかない。
ふう、と息を吐き出して心を落ち着かせると、春奈は“
「お姉ちゃん、これまでありがとう。わたしのことを、一番に考えてくれて」
嫌がらせをする人間がいなくなれば、嫌がらせはなくなる。実際に嫌がらせは減っていき、最終的にはなくなった。それに対し、喜んだのも事実だ。
でも、と声を強める。
今から言うことは、ただの綺麗事。けれど、ここで“
「もう、人の命を奪うのはやめよう。されたことに対して許すことなんてできないけど、わたしはお姉ちゃんにこれ以上誰かを殺してほしくないよ」
殺してほしくない、という単語を聞いて、河嶋は自身の生殺与奪の権が姿が見えない“
その姿を見て、いい気味だと思ってしまった。自身の母親や冬華、春奈へと散々恐怖を与えてきたのだ。少しは死ぬかもしれないという恐怖を味わうといいと。
河嶋を一瞥すると、“
《春奈、優しすぎるのも良くないよ》
「え?」
《許せないんでしょ? だったら、お姉ちゃんが殺してあげるから。ね?》
話が通じない。春奈は必死に首を横に振った。
「……っ、許せないけど、そんなことはしないでほしいの! お姉ちゃん、天国に行けなくなっちゃうよ!」
《そんなところに行けなくてもいいよ。私は春奈の傍にいられたらそれでいいの》
このままでは、河嶋はもちろんのこと、川田まで“
ふと時計が目に入った。今の時間は十六時五十五分。あと五分で十七時になり、両親が春奈を迎えに行こうと家を出る時間。学校に着けば、まずは職員室へと寄るだろう。そこで呼び出しがかかり、しばらくしても春奈が姿を現さなければ教室へと向かうはず。そこでもいなければ、担任である河嶋がどこにいるか調べ、化学実験室の鍵がないとわかればここに来る。
かなり時間を稼がなければならない上に、春奈が考えているとおりに事が進む保証はどこにもない。それでも、これしかない。
「……川田さんを、その、殺したら、またあの桜の木に吊るすの?」
震える声で、春奈は“
《そうだよ。春奈は小さかったし、誰も本当のことを伝えていないと思うから知らないだろうけど、私もあの桜の木に吊されたんだ。……河嶋先生に、首を絞めて殺された後にね》
中原も疑っている様子だったが、考えていたとおり、冬華は自殺ではなかった。
どこかで河嶋に殺された後、自死のように見せかけるために桜の木に吊されたのだ。
すると、“
《ねえ、河嶋先生。そうですよね? この教室で私の首を絞めて殺して、そのあと桜の木に吊るしたんですよね? 同じように二人ほどあの桜の木に吊るしてみましたが、見たときどう思いました? 私のことを、思い出してくれました?》
化学実験室に呼ばれたのは、一番奥まったところにあり、誰も近付かないからだと思っていたが、どうやら当たりだったようだ。河嶋にとって使い勝手が良く、冬華はここで殺されてしまった。これまで何も知らずこの教室を使っていたことに、気持ち悪さが込み上げてくる。
ここは、殺人現場ではないか。何も知らない教師や生徒はともかく、河嶋はよく平然としていたものだ。
まだ言葉を発せない河嶋は、何かを訴えようと声は出すものの何を言っているかわからない。それを見ていた“
《すみません、お口を閉じてましたね。はい、どうぞ。これで話せますよ》
「あ、ああ、あれはお前が悪いんだろうが! 俺はただ春奈を愛しているだけだっていうのに邪魔をしやがって! だから殺してやったんだよ、俺と春奈の未来のために! どうせお前は春奈の代わりにすらなれない不良品だったからな、処分するいい理由になったよ!」
「……っ、よ、よくもそんな酷いことが言えますね! 自分がどれだけ身勝手で非道な行いをしたのかわかっていますか!?」
「身勝手? 身勝手なのは
いまだに河嶋の身体は震えているのに、強気を装っている。
“
憎い。河嶋が、憎い。身勝手なのはどちらだ。逆恨みをしたとしてそれの何が悪い。それだけのことをしてきたのは、誰だ。
感情が荒ぶり、呼吸がままならない。落ち着かなければならないのに、河嶋を罵ろうと言葉が喉まで出かかっている。
《ね、春奈。こんなの、生きてる価値ないでしょ? 殺しちゃった方がいいでしょ?》
張り詰めた空気に合わない明るい“
《生きている限り、この男は春奈を追い詰めてくるよ。こんな奴は、殺さなくちゃ。春奈の人生に必要ないよ》
「お、おい、何を言ってるんだよ冬華! 何も変なことを言ってないだろ? 全部俺と春奈の未来を思ってのことだ!」
《頭の悪い人ですね。仮にも教師なのに、私の言っていることがわからないんですか? 春奈の未来に、お前はいらないって言ってるんです》
冷たい声で言葉を投げると、浮いたままだった河嶋が窓側へと移動していく。窓の鍵は閉まっているはずなのだが勝手に開き、全開になった。
風が入り込んできて、春奈の頬を撫でていく。河嶋はというと、上半身が外に乗り出していた。
「や、やめろ、やめろやめろやめろ! なあ、冬華……あ? 冬華? 冬華!? どこだよ!」
執拗に“
「くそっ、何でだよ! 何で離れられないんだ! おい! 春奈! 座り込んでないでさっさと俺を助けろよ!」
言いなりになるのは癪だが、ここで助けなければ河嶋が死んでしまう。殺したいほど憎いが、“
そのとき、化学実験室の扉を叩く音が聞こえた。そちらを振り向くと同時に、教頭と春奈の両親が入ってくる。
間に合った。ほっと胸を撫で下ろしていると、涙目になった母親にきつく抱き締められた。
「河嶋先生、何をしているのですか! 今すぐ窓から離れなさい!」
「あ、ああ、教頭先生! 助けてください! 離れたくても離れられないんですよ!」
「何をおかしなことを! 早く離れなさい!」
河嶋の傍にいる“
「お願いだよ! 助けてくれ! 誰でもいいから!」
《じゃあ、助けてあげますよ。苦しいし、怖いですもんね》
「ふ、冬華? どこにいるんだ? 俺を助けてくれるのか?」
冬華、と名を呼んで辺りを見渡す河嶋に、両親は顔を見合わせる。何も見えていない、聞こえていない者からすれば、河嶋の異常行動として捉えられているだろう。教頭も不思議そうな顔をしている。
“
《お姉ちゃんは、何があっても春奈の味方だからね。ずっと傍にいて、絶対に守ってあげる》
冬華のノートの最後に書いてあった言葉だ。
いつも見せてくれていた優しい微笑みを浮かべると、“
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