高橋冬華②

 学校に着くと、クラスの名簿が貼り出されていた。

 わかってはいたが、一年生のクラスは一つのみ。受験はあるものの村の誰かが落ちたという話は聞いたことがないため、おそらく形式だけに近いのだろう。村の者以外も受けられるようにはなっているが、ざっと名簿を見たところ見知った名前ばかりだった。当然だ、こんな辺鄙なところに好んで来るような物好きなんていない。小さく息を吐き出し、体育館へ入る母親と春奈と別れて冬華は教室へと向かった。

 靴箱で持ってきた新しい上靴に履き替え、廊下を歩いていく。小学生の頃からそうだった。この村では、入学式だと言うのに何一つとして盛り上がらない。

 幼い頃からずっと変わらない顔ぶれ。もちろんクラス替えなんてものもなく、担任も持ち上がり。クラス発表やクラス替えに生徒達が沸くというのは、冬華や村の者達からすればドラマや漫画の話だ。

 ぼんやりと窓の外を眺めながら歩を進めていると、後ろから右肩を軽く叩かれた。誰だろうかと足を止めて振り向くと、見知った人物に思わず口角が上がる。


「翔太、おはよう」


 冬華の後ろには、家を出る直前にメールを送ってきた翔太が立っていた。気怠そうにしながらイヤホンを外している。


「おはよ。さっき見えたけど、春奈ちゃんも連れてきたんだ?」

「うん。お父さんも仕事だし、おじいちゃんとおばあちゃんも畑があるしね」

「預けられないとそうなるか。でも、俺達ですら退屈なのに、春奈ちゃん耐えられるかな」


 どうだろうか、と肩を竦めて笑う。絵本やおもちゃなど、春奈の気を逸らすためのものは用意したと母親は言っていたが。

 二人は並んで廊下を歩いていく。何年か前に建て替えて木造ではなくなったものの、校舎はこぢんまりとしており、生徒が少ないこともあって哀愁が漂っている。新しくなり、雰囲気も一変したはずなのだが、肝心の生徒がいなければ何も変わらないのだ。これから始まる入学式だって同じこと。担任の紹介で少し賑わう程度で、あとはこれまでどおりで変わり映えはしない。

 翔太の言うとおり、何とも退屈だ。小さな村では仕方のないことなのかもしれないが、もう少し胸が躍るようなものであってほしかった。

 そう思ったとき、ふと翔太のメール内容が脳裏に浮かんだ。だからといって胸が躍るものでもないが、これまでとは僅かに違う出来事がある。冬華は隣を歩く翔太を見た。


「そういえば、村長の息子さんが先生になって戻ってくるって誰から聞いたの?」

「母さんだよ。村では結構噂になってるって。まあ、外部を受験した人が戻ってくるって珍しいよね」


 冬華は小さく頷いた。そう、これは本当に珍しい。

 一度村を出て外の生活を知った者は、戻ってくることがないからだ。

 なんとなくだが、その気持ちはわかる気がしている。冬華も、友人と隣町へ遊びに行って帰ってくるだけで村の嫌なところがやたらと目についてしまう。田んぼや畑ばかりで店がない、華やかさがない、など。外で生活をすればなおのこと。村ではないどこかで就職をしようという考えに至るのは必然のように思える。

 けれど、村長の息子は教師として村に帰ってきた。外部の高校を受験したのも、将来こうして戻ってくることを考えてなのか。だとすれば、村への愛というものが人一倍強いのかもしれない。

 教室に入り、顔馴染みばかりのクラスメイトと挨拶を交わしながら指定された席へ。スクールバッグを机の横にかけていると、窓から一枚の薄い桃色の花びらが入ってきた。

 外を見れば、風に乗ってそよそよと無数の花びらが空を舞っている。母親と春奈の三人で歩いてきたが、緑ばかりの村が色付いていつ見ても綺麗だ。季節によってその色は変わるのだが、どれも美しくて村で唯一好きなものかもしれない。

 春ならば桃色。夏は青色だろうか。秋は金色で、冬は白色。季節が変わるたびに、同じ場所でも僅かに違って見える。毎年見ているが、まったく見飽きないのだから不思議だ。


「冬華、体育館に行かないと」

「あ、うん。待って、翔太」


 慌てて前を歩く翔太の背中を追いかける。波に逆らうことなく体育館まで行くと、入口付近で立っていた男性教師が一年生を制止した。


「ここからは男女別に一列に並んで」


 言われたとおりに並ぶと、静かにするように言われ、この場にいる者達は喋るのをやめる。

 しばらくすると、体育館の中からはパチパチと拍手をする音が聞こえてきた。保護者や学校関係者が冬華達新一年生を出迎えようとしてくれているのだろう。

 扉が開かれ、体育館へ足を踏み入れた。拍手で迎えられ、その中を歩く。ちらりと保護者席を見れば、母親の隣に座ってニコニコと笑いながら手を振る春奈を見つけた。今のところ物珍しさが勝っているのか、暇を持て余してはいなさそうだ。

 そっと手を振り返し、ずらりと並べられているパイプ椅子に座る。壁の横には教師達が立っているが、この中に村長の息子もいるのだろう。


「これより、入学式を始めます」


 司会である教頭の進行で入学式が始まった。ここは礼節と調和を重んじる校風らしく、礼儀正しく、思いやりを持ち、協調性を大切にするよう話があった。次に校長の挨拶だったのだが、これがまた長い。最初はしっかりと聞いていたのだが、次第に眠気と抗う方に意識がいってしまった。何の話をしていたのか覚えていない。

 あくびを堪えていると、いよいよ担任の紹介になった。これが一番のメインと言っても過言ではない。何より、三年間世話になる担任だ。冬華は背筋を伸ばして前を見た。


「河嶋隼人先生です。では、河嶋先生。壇上で挨拶を」

「はい!」


 元気で力強い返事が体育館に響く。壇上に上がる紺色のスーツを着た一人の男性。河嶋と言っていたが、村長の名字と同じだ。

 つまり、あの男性こそが噂になっていた村長の息子。


「ねえ、かっこよくない!?」

「思ってたのと違うんだけど! めっちゃいいじゃん!」

「こら、静かにしなさい」


 女子達が騒ぎ始めてしまい、教頭から注意を受けてしまった。眉を顰めながらも女子達は口を噤む。

 確かに、上背があり、体格もいい。村長と似ているのかはわからない顔立ちははっきりとしているだけではなく、とにかく垢抜けている。そこに加えて若いということもあり、河嶋を見て騒いでしまうのも無理はない。とは思うが、冬華自身はそこまで騒ぐことはなかった。意外と若いとは思ったが、その程度だ。

 壇上に上がった河嶋がマイクの前で咳払いをする。場がしんと静まり返ると、口元を綻ばせて満面の笑みを浮かべた。


「初めまして、河嶋隼人です。恥ずかしながら、実は教師一年目なので皆さんと同じ一年生です。一緒に成長していくことができればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします」


 挨拶を終えて河嶋が頭を下げると同時に大きな拍手が鳴り響いた。照れくさそうにしながら壇上から下りてくる。


「では、これで入学式を終わります。教室で簡単なホームルームがありますので、保護者の皆様はもうしばらくお待ちください」


 河嶋が冬華達の前にやってくると、早速女子達が彼を囲み始めた。


「ねえ、先生って何歳なの?」

「村に戻ってきたのって何で?」


 怒涛の勢いで質問攻めにあっている河嶋は身動きが取れず、女子達も動く気配がない。教頭を見れば、呆れた顔でこの光景を見ている。そうこうしている内にまた注意しにやってくるだろう。並んで戻るようにとも言われていないため、先に教室へ行っておこうと冬華は立ち上がった。


「すまない、質問はまた後で。それよりも、高橋はいるか?」


 突然名を呼ばれ、両肩がびくりと跳ねた。女子達も目を見開いて冬華の方を見ている。


「少し話がしたいんだが、高橋はどこだ?」

「あ……高橋は、私、です」


 もう受け持つ生徒の名前を覚えたのか。驚きと戸惑いから、おずおずと手を挙げる。河嶋の表情がぱっと明るくなるもすぐに真顔になり、視線を上から下へと動かしている。下から視線が上がってきたかと思えば、じっと顔を見つめてきた。

 何だろうか、気味が悪い。明らかに教師がする目ではない。まるで品定めをされているような気分だ。


「……そうか、君が高橋か」


 声のトーンが明らかに落ち込んでいる。視線も若干下を向いていて逸らされてしまった。

 名を呼んだのは、用があったからではないのか。何が気に召さなかったのかは知らないが、勝手に値踏みのようなことをされてこの態度はあんまりだ。不愉快な気持ちに陥っていると、河嶋は貼りつけたような笑顔を作った。


「よし、みんな。一旦教室に戻るぞ。親御さん達も待ってくれているからな、早くホームルームを終わらせよう」


 河嶋に促され、彼を囲んでいた女子達も嫌々教室へと向かい始める。冬華もこの場を離れようとするも、右肩を強く掴まれてしまった。

 この力の強さは、翔太ではない。一体誰なのかと後ろを見れば、河嶋がいた。

 驚きから息が止まりそうになった。あと少しで鼻先が当たる距離。どうしてこのような近さでいるのか。


「ごめんごめん、驚かせたな。教室まで話しながら行かないか?」

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