一人、また一人②

「今度は畑中かよ」

「二人連続で首吊って死ぬとかありえないでしょ」

「めっちゃ怖いんだけど」


 今朝から教室の中はこの話題で持ちきりだ。そのせいかはわからないが、今日は靴箱の中に上靴があった。春奈はスクールバッグを机の上に置くと椅子に座り、窓の外を見る。

 三日前、桜の木で首を吊っている女子生徒が発見された。名は、畑中美沙みさ。提出物の回収などがある際に、春奈の順番が来るとわざと飛ばしていた女子生徒だ。夜に家を出たまま帰ってくることなく、制服姿で首を吊って亡くなっていたらしい。当初は事件性がないと判断していた警察も、いよいよ動き出した。

 というのも、亡くなる直前の行動も、首を吊るためにロープをかけた桜の木も、何もかもが笹山が取った行動と一致するためだ。当然、遺書もない。

 これだけでも気味が悪いが、畑中が首を吊っていた桜の木は笹山が首を吊っていた桜の木だったというのだから、更に気味が悪い。意図的にそうしたのだとすれば、それは何のために。

 何よりも気になるのは、笹山も畑中も命を断とうと思った理由だ。春奈に嫌がらせをして笑っていた者達が、このような行動に走るとは思えない。一体、何が彼女達を突き動かしたのか。今となっては、知る由もないが。

 視線を戻し、机の上に置いたままにしていたスクールバッグの中身を取り出して机の中に入れていく。最後に筆箱を取ったときだ。右肩を強く掴まれた。痛みから眉を顰めつつ振り向くと、一人の女子生徒が悲痛な面持ちで春奈を見ていた。

 この女子生徒は、川田清花さやか。春奈の上靴を靴箱から放り出している人物だ。何度かその現場に遭遇したことがあり、春奈を見ながら意地の悪そうな笑みを浮かべて上靴を放り投げていた。


「ね、ねえ! あのさあ、謝れば許してくれる?」

「……何が?」


 言っている意味がわからず首を傾げると川田は顔を赤く染め、春奈の両肩を掴んで激しく揺さぶってきた。手から筆箱が離れ、床に落ちる。


「や、やめて」

「おい! とぼけんなよ! あ、あんたに関わってた奴が死んでいってる! 愛未まなみも美沙も、じ、自殺なんて、するはずないのに!」


 川田の怒号に、教室がしんと静まり返る。


「ねえ、これまであんたにしてきたこと全部謝るから許してよ……あの二人とは違って、あたしは心の底から悪いってちゃんと思ってるからさあ……」


 肩を掴む力が弱まり、揺さぶられることもなくなった。川田は肩で息をしながら、力なく床へ座り込む。

 川田の言うとおり、亡くなった二人は春奈と関わっていた。嫌がらせ、という形で。だが、春奈からは何もしていない。もちろん、嫌がらせも。知らないうちに二人は行方不明となり、桜の木にロープをかけて首を吊り亡くなっていたのだ。警察や河嶋から聞いた話以上のことは知らない。

 それにしても、何とも身勝手な話だ。これまで散々嫌がらせをしておいて、いざ自分達の身に何か起き始めているとなると許しを乞うなど。嫌がらせやいじめという直接的な言葉を使わずに濁したのも腹立たしい。川田には春奈への申し訳なさはなく、ただただ自分が助かりたい気持ちしかない。

 込み上げる怒りから拳を握ろうとして──やめた。いまだ床に座り込んでカタカタと小刻みに震えている川田を見る。

 同情するつもりはないが、さすがにこうも立て続けに同じ事象が起きると気にはなる。とはいえ、春奈は本当に何もしていない。

 こうして川田が謝っているのは、春奈に嫌がらせをしていた友人達が不可解な自殺を遂げたからだ。そこから「春奈に嫌がらせをしていたからでは」と考え、笹山や畑中の二の舞を踏まないようにしているだけのこと。

 けれど、それを偶然という言葉で片付けてもいいのだろうか。

 春奈の知らないところで、何か起きていないとは言い切れない。何せ、春奈は何も知らないのだから。

 ふと脳裏に“あの子”の笑顔が過ったとき、教室に河嶋が入ってきた。


「こんなときだがホームルームを……って、川田はそんなところで座り込んで何してるんだ?」


 力なく項垂れていた川田だったが、顔を上げて勢いよくその場に立ち上がった。左手の人差し指で春奈を指す。


「先生からもこいつに言ってよ! あたしが謝ってんだから許してやれって!」

「川田、何を言ってるんだ? ほら、高橋も困ってるぞ」

「困ってるのはあたしの方だよ! こいつに許してもらえなかったら、死ぬんだよ!? 愛未や美沙みたいに、あの桜の木で首吊って死ぬの!」


 河嶋は一瞬目を丸くしたものの、すぐに表情が曇る。


「とにかく落ち着け。それにな……死ぬとか、簡単に口にするもんじゃない」

「死ぬんだってば! こいつのせい、で……あ、そっか」


 左手がだらりと下ろされたかと思えば、川田がゆっくりとこちらを振り向いた。視線が交じると、口角が上げられていく。


「高橋、あんたがいなくなれば解決じゃん」


 川田の両手が春奈の首を掴み、机の上へと押し倒してきた。ギリギリと容赦なくきつく締め上げられ、息ができなくなる。その様子を見ていたクラスメイトは叫び、教室は阿鼻叫喚の渦に包まれた。


「……っ、う、あ」

「あたしのために死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」


 顔が近づけられ、呪いの言葉を吐くかのように「死ね」と繰り返す。

 眉間には皺を寄せ、目は吊り上がり、力を加減せずに首を絞めているためか顔が赤く染まっている。手を引き剥がそうとしてもびくともしない。

 川田は、本気で春奈を殺すつもりだ。

 息ができず、酸素が足りていないため目の前が霞み始める。


「川田! 何してるんだ! やめろ!」


 河嶋がやってきて、春奈を川田から引き離した。その際、春奈は河嶋に肩を抱かれる形で身体を支えられたが、川田は後ろへと突き飛ばされたようだ。机にぶつかりながら床へ倒れた。

 急激に酸素が入り込み、春奈は咽せながらも必死に息を吸う。その背を河嶋がさすりながら、床に倒れたままの川田へ声をかけた。


「川田! 自分が何をしたかわかっているのか!」

「何って、正当防衛じゃん。このままだとあたしが死ぬから」

「さっきからそればかりだな。話にならない。とりあえず、お前は職員室へ」

「いじめてたことを謝ってんのに許してくれないんだよ! あたしはまだ死にたくないのに! だったらこいつを殺すしかないでしょ!」


 怒鳴り散らす川田に、いじめという単語に教室内がどよめく。

 皮肉な笑いが込み上げそうになった。知っていたくせに、見て見ぬふりをしていたくせに。いじめと聞いて騒然とするなど、あれらを遊びの延長とでも本気で思っていたのか。

 唇を軽く噛んで俯いたとき、頭上から溜息が聞こえた。僅かに顔を上げて見てみれば、河嶋が眉間に皺を寄せて苛立っているかのような表情をしている。何が気に入らなかったのかと思っていると、彼は小さく舌打ちをし、口元を歪めて呟いた。


「騒ぎにしやがって。知らないふりをしてやってたのに」


 きっと、河嶋のこの言葉は誰にも聞こえていない。傍にいた、春奈だけにしか。

 ひゅ、と喉が鳴り、頭を強く打ち付けたかのような衝撃が走る。

 河嶋は、春奈への嫌がらせに気付いていた。気付いていてあえて知らないふりをしていた。では、今こうして寄り添っているのはただのパフォーマンスか。

 途端に河嶋が人間の皮を被った化け物のように思えた。何にせよ、河嶋のことは決して信じてはならない。

 すると、河嶋が憂いを含んだ眼差しを向けてきた。心配していると訴えかけるような表情だが、今ではもう演技に見えて言動も行動もすべてが嘘くさく感じてしまう。


「ったく……高橋、大丈夫か?」

「は……は、い」

「念のため、保健室に行こう。この時間は自習だ! 勉強しておくように!」


 抱えようとしてきたため、春奈は自分で歩けると首を横に振った。

 河嶋に触れられているだけで気持ちが悪い。思えば、出会ったときからずっと距離感がおかしいのだ。それもあり、河嶋には苦手意識を抱いていたのだが、先程の発言で尚更それは強くなった。

 これまでの河嶋の行動は、わざと女子生徒達を煽るためではないかと疑ってしまうほどに。

 普段からもそうだ。指名されることが多く、呼ばれて河嶋の元へ行けば近すぎるだろうと引いてしまうほどの距離まで近付かれる。自惚れでなければ、他の生徒にはそこまで近付いていない。春奈だけがそうなのだ。

 そこに、嫌がらせを受けていたことを知っていたという事実。どうしても疑ってしまう。


「無理するなよ。きつかったら抱えてやるから」

「……はい」

「川田は俺が別の先生を呼んでくるからここで待機。いいな」


 河嶋が春奈の背に触れて歩くように促してくる。ぞわぞわと鳥肌が立つような感覚に襲われながら、保健室へと歩き出した。

 通り過ぎるときに川田を見れば、彼女は涙を浮かべながらも鋭い目つきで春奈を睨みつけていた。すぐに視線を戻すも、視界の隅に映った“あの子”に慌てて振り向く。

 彼女は、始業式のときと同じように、瞬き一つせずにひどく冷たい目でこちらを見ていた。

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