一人、また一人
一人、また一人①
亡くなったのは、笹山
葬儀は一週間前に執り行われた。ただ、遺族側からは参列を控えてほしいと通達があり、学校関係者やクラスメイトは笹山を見送りには行っていない。生前の彼女のまま覚えておいてほしいという両親の願いからだと、河嶋が言っていた。
村の者は参列し、そこには春奈の両親もいたのだが、葬儀は終始空気が重苦しかったらしい。誰もがどう声をかけていいかわからなかったとか。
娘をこのような形で亡くしたのだ、笹山の両親がショックを受けて落ち込むのは至極当然のこと。それを聞いて、今回は参列せずに済んだことに安堵してしまったが、これについては誰にも言っていない。そんなことを思ってしまう自分が怖くなったからだ。笹山の両親は、葬儀後も家に閉じ籠もっているらしい。
笹山の死因は、頚椎を圧迫されたことによる窒息死。春奈は見ていないが、桜の木の枝にロープを巻きつけ、首を吊っていたそうだ。それも、制服姿のまま。
遺書らしきものは見つかっていない。全員事情聴取は受けたものの、警察は状況から事件性はないと判断しているようで形式的なものだった。
黒板にチョークで書く音が聞こえ、春奈は顔を上げる。考えことをしていて、授業内容がまったく耳に入っていなかった。せめてノートだけでも、と黒板に書かれている内容を書き写していく。
学校が再開されたのは今日からだ。生徒の心のケアが必要だとカウンセラーも配置された。
とはいえ、生徒が一人あのような形で亡くなったのだ。まだ気持ちが切り替えられないというのに、もう日常に戻らされてしまうとは。
カウンセラーがいるからと、これで元通りというわけにはいかない。何せ、嫌がらせをされていた春奈ですらショックがまだ残っている。仲が良かった者達ならば尚のことだ。しかし、否が応でも日常はやってきて、過ごさなければならないなんて。
ところが、そんな日常にも僅かに変化があった。春奈への嫌がらせだ。
笹山がいないためか、プリントが床に落とされることなく回ってくるようになった。それ以外については何も変わっていない。嫌がらせが一つなくなったことは、正直なところ複雑だ。
笹山が亡くなってよかったとは思っていない。されど、いなくなったことで嫌がらせが減って安心している自分がいるのは確かだ。春奈は、それが怖かった。
文字を書く手を止め、顔を俯けるとシャーペンをノートの上に置いた。怖いといえば、もう一つ気になっていることがある。
──“あの子”のことだ。
学校に来たのは騒ぎがあった日以来のため、“あの子”とも久方ぶりに顔を合わせた。彼女は何も変わっていない。目が合えば優しく微笑み、ノートを通じて「久しぶり」「会えなくて寂しかった」「元気だった?」と話しかけてきてくれた。
でも、と唇を噛む。
あの日、“あの子”は桜の木を見て優しく微笑んでいたのだ。おそらく、首を吊っている笹山を見ていたと思われる。人が首を吊って死んでいるというのに、微笑む要素などどこにあるというのか。
そのこともあり、向けられる微笑みもかけてくれる言葉も、あのときの“あの子”の異質さが恐怖となってしまっていた。春奈にとって、“あの子”は唯一の味方で理解者だったはずなのに。
ノートの上に置いていたシャーペンを取ろうとしたとき、ひとりでに動き出した。これまでのようにさらさらと文字を書き始める。
──元気がないように見えるけど、何かあった?
ちらりと教室の隅を見れば、“あの子”が心配そうな顔をして春奈を見ていた。気にかけてくれているようだ。それでも、心配してくれて嬉しいという気持ちよりも恐怖が
返事をしないわけにはいかない。小さく息を吐き出しながら、春奈は筆箱から別のシャーペンを取り出した。ノックボタンを二回押して芯を出すと、ノートへ文字を書き始める。
これ以上、“あの子”には関わらないほうがいい。距離を置こうと「何でもないよ」と書くつもりだったが、途中で書く手を止めた。
本当に、これでいいのだろうか。
他のページを捲ると、これまでの“あの子”とのやりとりが残されている。その中には、かけてもらえて嬉しかった言葉もあった。
筆箱から消しゴムを取り出すと、書いた文字をすべて消した。消しくずを払い、もう一度文字を書く。
──心配してくれてありがとう。あんな事件があったから、まだ本調子ではないかも。
異質さを感じている。恐怖を抱いている。何でもないと言って、距離を置こうともした。
が、異質さを感じても。恐怖を抱いても。“あの子”が春奈に優しさと救いを与えてくれた存在に変わりはない。なればこそ、やや
しばらくして、春奈が書いた文字の下に“あの子”から返事があった。
「……え?」
慌てて“あの子”の方を振り向くも、彼女はにこりと笑うばかり。首を吊って亡くなっている笹山へ向けていたときと同じ、あの優しい微笑みだ。
背筋が寒くなり、すぐに顔を黒板の方へ向けた。うるさいくらいの鼓動の音を耳にしながら、視線だけをノートへ動かして“あの子”が書いた文字を見る。
──あなたが気にすることなんて何もないよ。むしろ、あなたに嫌がらせをする人間が一人減って良かった。
あまりにも受け入れ難い現実に体が震え、口の中が渇く。心臓は落ち着きを失ってしまい、苦しさから呼吸を浅くさせる。
春奈はノートの上に力無く右手を置くと、“あの子”が書いたページをくしゃりと握り、手を下に動かして静かに破った。
“あの子”は、笹山が死んで良かったと言っているのだ。笹山に微笑みかけていたのも、つまりはそういうことだろう。
死んでくれて、良かったと。
考えただけで吐きそうになる。けれど、“あの子”から悪意は一切感じられない。ノートに書かれた文字からも優しさが感じ取れる。彼女は心の底から春奈のことを想い、嫌がらせをする人間が減ったことを、笹山がいなくなったことを喜んでいるのだ。
目を瞑り、破ったページを強く握り締めた。
これまでかけてくれた言葉は、嘘ではなかった。すべて本物だった。それは間違いない。ただ、春奈が“あの子”のことを何もわかっていなかっただけだ。
常軌を逸しているということを。
どうして気付かなかったのだろうか。“あの子”の優しさは甘美で、それでいて危険な毒のようなもの。決して、受け入れてはならないものだ。受け入れてしまえば、普通の感覚から乖離してしまう。
ノートの上に、何かが落ちる音がした。ゆっくりと目を開けば、新しいページに文字が書かれている。書かれている内容を見て、春奈は握り締めていた破ったページを落とした。それはノートの上を転がり、書かれた文字の近くで止まる。
──あなたは優しいね。あんな人のために悲しんでいる。悲しまなくていいよ。あなたを傷つける人はみんな罰を受けるべきで、今回もその罰を受けただけだから。
嫌がらせをされて辛く、苦しい思いをしているが、相手に死ななければならないほどの罰を与えてほしいとは思ったことはない。だが、“あの子”は違う。
因果応報だと、微笑んでいる。
そして、その日の夜。笹山が首を吊っていた桜の木で、また一人首を吊った。
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