第16話:広瀬 啓介
詩織が生まれた、と沙良から連絡を受けたとき、胸の奥に複雑な感情が渦巻いた。
祝福すべきことだ。だが同時に、オレは彼女と交わした秘密の約束を思い出し、その重みが一気に肩にのしかかってきた。
病院を訪れると、病室の中で沙良は疲れた顔をしながらも、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「啓くん……」
ベッドの横の小さな揺り籠には、真新しいタオルに包まれた赤ん坊が眠っていた。小さな胸が上下するたびに、その存在の確かさが胸を揺さぶった。
「……この子が、詩織」
沙良の声は震えていた。
オレは無言で抱き上げた。
小さな、小さな体。驚くほど軽いのに、その重みは言葉にできないほど大きかった。
——この子を守らなければならない。
オレの中で何かが深く刻まれた。まるで儀式のように。
「……啓くん」
沙良の声に顔を上げると、彼女は涙を浮かべていた。
「お願いがあるの。この子が三歳を過ぎて、物心がついてくる頃からでいい。年に一度でいいから……必ず詩織と会ってほしいの」
オレは言葉を失った。
「だって、この子は——私たちの子なのだから」
心臓が強く打ち、視界がにじんだ。
その言葉を前に、オレはもう断ることなどできなかった。
「……分かった」
小さな声でそう答えた。
詩織の寝顔を見つめながら、胸の奥で誓った。
——たとえ世間には隠し続けるとしても、この子を自分の娘のように守り抜く。
オレはもう既に美来との間に長男を得ていた。
美来は本当に優しい母親でもあり、何くれとなく息子の面倒を見ている。
そういう美来の姿を見るのはオレにとって最大の癒やしとなっていた。
―そんな美来に対して、これはすぐには話せない。
病院を出た帰り道、オレは深く考え込んでいた。
オレはこれまで、美来に対して何ひとつ秘密を持たず、すべてを共有して結婚生活を営んできた。
けれど、この件だけは——当分話すとはできない。
あまりにも重く、そして取り返しのつかない事実だからだ。
だが、いつか必ず話そうと思った。
そしてそのときには、美来なら理解してくれるはずだと信じていた。
夜風に吹かれながら、オレは静かに心に誓った。
——詩織を守ること。それがオレに課せられた、新しい責任なのだ。
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