第17話:藤沢 沙良
詩織は、不思議なくらい手のかからない子だった。
夜泣きも少なく、よく眠り、母乳もよく飲んだ。成長の一つひとつが愛おしく、私は日々、その小さな笑顔に癒やされた。
けれど、ふと彼女の顔を見つめると、胸がざわめくことがあった。
——どことなく、北村に似ている。
いや、それとも啓介に似ているのかもしれない。
自分がそういう視点で見てしまうから、そう感じるのだろう。
けれど少なくとも、亮にはあまり似ていなかった。
その事実が、私の胸をさらに重くした。
亮は、詩織を自分の子だと信じ、無垢な笑顔であやした。
「可愛いな、詩織。……本当に、オレたちの子だな」
そう言う彼の姿を見るたび、心臓を握りつぶされるような罪悪感に襲われた。
私は嘘をつき続けている。夫を欺きながら、母になっている。
その苦しみを抱えきれないとき、私は結局——啓介に電話をしてしまった。
彼は仕事で忙しいはずなのに、声を聞かせてくれた。
「……啓くん、もう駄目かもしれない。嘘をつくのが、こんなに苦しいなんて」
夜更けの受話器の向こうで、彼は黙って聞いてくれた。
時には、短い時間でも直接会ってくれた。
彼の顔を見るだけで、私は救われる気がした。
「沙良。お前がどんなに苦しくても、子どもを守らなきゃならない」
啓介の声はいつも落ち着いていて、揺るがなかった。
「そのためには、お前自身を守ることが必要だ。亮に嘘をつき続けるのは辛いだろう。けど、それはお前と……そしてオレが背負うべき罪なんだ」
その言葉に、私はいつも涙が止まらなくなった。
——一人で抱えているんじゃない。啓介も一緒に背負ってくれている。
そう思えた瞬間、胸を締めつけていた罪悪感が、ほんの少しだけ和らいだ。
詩織の笑顔に向き合う日々。
その裏に、消えることのない嘘と罪が積み重なっていく。
それでも、私が倒れてしまえばこの子を守れない。
だから私は、啓介の言葉を心の支えにして、毎日を生きていた。
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