【4K高画質】あなたの姿だけを見ていた
心は強張っていた。
割れ物をつねに抱えながら歩いているようだった。
果てしない道のりを行く中で、わたしは考えることをやめた。
それが唯一わたしの破壊を免れるための術だった。
あなたの姿だけを見ていた。
吹雪く常闇の遠くに、くっきりと白い影が浮かんでいる。
それはヒトの形をしていた。
風に揺られているのではなく、こちらへと手を振っている。
眠ることも許されないこの道を進むわたしは、唯一あなただけを頼りとした。
この道はどこに続いているのか、わたしはなぜ歩いているのか。
何もわからない中、わたしはひたすらあなたの姿を目指した。
最後に太陽のひかりを浴びたのは何年前だったか、何秒前だったか。
時間の感覚も麻痺してしまい、今が今なのかもわからない。
吹き付ける雪風の冷たさと、踏みしめる砂利道の固さ。
どこまでも続く暗闇の中で、すべての感覚が永遠で、あなたの姿も不変だった。
しかし、わたしはあなたの姿にだけは心地よさを覚えていた。
ヒトの形をしているからだろうか。手を振ってくれているからだろうか。
はっきりとした輪郭で浮かぶあなたの姿だけを見ていた。
あなたの姿だけを見ていれば、痛みも苦しみも忘れられた。
少しずつ、あなたの姿が変わっていることに気が付いた。
背が30cm伸びた。髪も肩に少しかかるまで伸びた。親指と人差し指のあいだに指が一本増えて、六本になった。
頭の部分に小さな裂け目が出来ており、わずかに芽のような何かが顔を出している。
真っ白だった影が、よく見ると少しずつ淡い黄色へ変色し、至極ゆっくりと薄赤色に変化していく。そしてさらに時間をかけ、再び白へと変わっていく。
そしてこれは本当に注視していなくてはわからないことだが、肌が少しずつ溶けているように見える。
影の粒が表面を伝い、その色が何度か変色するほどの時間をかけ、やっと滴り落ちる。
何も変わらないはずのこの世界で、あなただけが変化していく。
それでもわたしは、あなたの姿だけを見ていた。
変わっていくあなたのことを受け入れる時間はいくらでもあった。
あなたの形は、いつしかヒトではなくなっていた。
頭は割れ、そこから無数の触腕が伸びてゆらめいているが、その触腕の先端にも新たな裂け目が出来ており、ふたたびあの小さな芽が顔を覗かせていた。
さながらマトリョーシカのごとく、触腕から新たな触腕が生まれていくのだろう。
肌はどろりととろけていて、ときおり影の雫を落とす。
その速度は以前よりも随分速くなっていた。
そして影の色は白から練色に変わり、シャトルーズイエロー、カナリア色、青黄色を経て完全なる黄色へ、黄色から卵色、鶏冠石、柑子色、山吹色、柿色、朱色、橙、赤橙、緋色と変わってやがて赤へ、そこから唐紅、薄紅、桃色、乙女色、薄桜、桜色、そして白へと色を変える。
しかしそこまで様変わりしてもなお、わたしはあなたを目指して歩いた。
わたしの拠り所はあなたしかなく、そしてこの世界であなたもまた、わたし無くしては存在し得ないと信じていた。
わたしはあなたの姿だけを見ていた。
あなたもわたしの姿だけを見ていた。
そしてどれくらいの時間が経ったころか。
突然ふっと、全身の力が抜け、わたしは仰向けに倒れ込んだ。
見上げる空は暗闇で、吹雪いていて、あなたの姿が広がっていた。遠くに星も見えた気がした。
薄れゆく意識。それにしたがって、あなたの姿もちらちらと弱弱しい点滅を見せた。
わたしと共に世界から消えてくれるというのか。
やはりあなたとわたしは運命共同体だったのだ。この果てしない暗闇の中で。
ふと自分の腕を見ると、その肌はどろどろに溶けており、中の骨が剥き出しになっていた。
イメージしていた骨は乳白色だが、溶解した肌から見えるそれは焦げたようなブラウンに近い黒で、ひびが入り所々が欠けている。
目の前に垂れ下がるのは、前髪ではなく触腕であった。
表面にはいくつもの傷がついており、吹雪とともに舞った小さな砂利で幾度もダメージを受けていたのだろうと推測された。
骨の損傷も、もしかしたらそれによるものかも知れないが、そこまで考え至る状態ではなかった。
そしてそれを含め、わたしの全身は、白から練色に変わり、シャトルーズイエロー、カナリア色、青黄色を経て完全なる黄色へ、黄色から卵色、鶏冠石、柑子色、山吹色、柿色、朱色、橙、赤橙、緋色と変わってやがて赤へ、そこから唐紅、薄紅、桃色、乙女色、薄桜、桜色、そして白へと徐々に色を変えていた。
そのとき、吹雪がぴたりと静止した。
「そうだったのか」
あなたは小さくつぶやいた。
あなたは最後の力で目を閉じた。
吹雪舞う暗闇から、より漆黒の暗闇へと遷移する。
そこにはわたしの姿はない。
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