そこはとどのつまり〈煉獄〉
「――はい。とまあ、こんな事態なんです」
視線を上げるとそこには背中から翼を生やした
今し方、終幕した人形劇のその台座や小道具類を
「えっと、ヴァルグエヌさんでしたっけ? つまり、どういう事なんです?」
「んー、やっぱりちょっと、理解が及びませんか」
「はあ」
「まあ、説明している私としても、今一つピンとこないんですよね」
眼前の大男がくぐもった重低音で、しかしやたらとフランクにそう同調を示す。
声がくぐもって聞こえるのはその頭部がバケツのような円筒形の
にもかかわらず胴体のほうは腰布一丁という出で立ちで、その見事に鍛えられた肉体を惜し気もなく晒している。
そして極めつけに、背中から大きな白い羽根が生えているということ。
筋肉モリモリマッチョマンの変態だと言われても弁明はできまい。
そんな歴戦の
「
「俺、死んだんですか?」
「はい、死にました。ハセベさん自身、死の間際の事、憶えてらっしゃいませんか? まあ、そういうものですよ」
「そういうものですか」
「そして、今一つが厄介なんです。こちらの世界で起こった時空干渉により、死の間際、ハセベさんの精神だけがこちら側へと渡って来てしまった――これがいわゆる大問題な訳です」
「大問題?」
「運が良いのか悪いのか……こう、丁度そちらの世界でハセベさんがお亡くなりになったそのタイミングと、こちら側で発生した時空干渉のこのタイミングが、正にドンピシャだったんですね」
筋肉天使が身振り手振りを
そんな対面をぼーっと眺めながら、変な夢を見ているなと自覚するのだ。
長谷部は今、光が果てなく広がるかのような場所にいた。
風景という概念すらも無いような真っ白な空間。辛うじて地面と空との境界がそのコントラストによって知れる。
その中心に、なぜかお
気づいた時には既に彼は対面におり、長谷部自身もここに座っていた。
何事かと驚き戸惑ったものの促されるままにお互い軽く自己紹介をした。
そしてさっきまで「分かり易いように」という彼の配慮から、
ちなみに声も動きも彼一人で演じ切っていた。――無駄に巧みだった。
「先程の劇中で出て来たこの石、これを〈
彼の指に人形の手に合わせたサイズの不透明な水晶の欠片が
「これが相当に危険な代物でして……我が主も、あまりに制御が難しいこの石を人間が誤って使わないようにと細心の注意をなされていたのですが……まあ結局はその誤った使い方がされてしまい、今ハセベさんを取り巻くこの事態となった。――と、そういう訳です」
長谷部にはとんと分からない話の連続だ。
「で、結局、俺はどうしたらいいんすか?」
「はい、そこなんですよ、一番の問題は」
一見事務的な口調に思えるが、何故かそこに親しみや気遣いが込められている風でバケツメットが一緒になって頭を
「単純な話、ハセベさんはお亡くなりになった。――この事は大丈夫ですか?」
「んー……全然、憶えてないですけど……まあ、はい」
「そして霊魂となったハセベさんは貴方側の世界の
「そうなんですか」
まるで観光気分でその何もないだだっ広いだけの空間を見回した。
「ですが、そこで浮上する問題が一つ。ハセベさんは我々の世界では生きていなかったという事なんです」
「はあ」
「死した人間の霊魂はここに集い、生前の罪や功績――その行いですかね、それによって向かう先が決まるんですが、ハセベさんの生前の行いは我々が関与する所でもなければ、その権利も持ち合わせてはいないのです。つまりは
「管轄違い……」
「よってハセベさんは今、生まれたままの状態、まっさらな赤ん坊という訳なんです。あくまでも我々の世界ではという限りで」
「言いたい事は、なんとなくですか判ると思います」
「結構。そこまでご理解いただけた上で一つ、我々からの提案があるんですよ」
「提案?」
「ハセベさん、すばり我々の世界でもう一度だけ『生きて』みませんか?」
長谷部はまた間の抜けた表情で相手を見返していた。
「難しい話ではないんです。こちらの裁量が届く範囲に、ハセベさんの存在を手繰り寄せたいという、そういう単純な話なんですよ」
「つまり?」
「我々の世界で一個人として生まれ変わって、そして寿命を全うしてください。それでハセベさんの根源的な在位――つまりは『格』ですかね、そういうものがこちらに
「生まれ変わる……ですか?」
「記憶や意識、人格も全てをリセット、白紙に戻して新しい人生を全うする。それだけで現在の異質なハセベさんの魂はこちら側へと真っ当に定着しますので」
長谷部はひどく長考した。
どうもここが夢の世界などではないという気がしてきたからだ。
同時に、正面のマッスル鉄仮面の話が想像をはるかに超えた案件であるとも。
だから答えに
けれど真実彼が思い悩んでいたのは、まさにその提案の内容に関して。
「その……」
「はい?」
「いや、あの……その記憶や人格をリセットするってのは、どうしてもやらなくちゃいけないですか?」
「それは、
「うーん……」
「そこが引っ掛かりますか? 問題はその部分?」
「いえ、あの……その……」
「どういう事か、お聞かせ願えますか」
「えっとですね……」
そう切り出したものの長谷部はまた口を
しかし向かいの相手は根気強く待ってくれた。
やがて短くない時間を要し、
「俺はその……まだ『生きて』なんてないんです」
「ふむ?」
「だって俺、まだ何一つだってやってないんです。友達や、彼女だっていないし、仕事もしてないし……やりがいや生きがいなんていうのを持ってないんです。夢は……あった気がするけど、そのために何かに打ち込んできたわけじゃない。まだ一つだって自分の意志でやり遂げた事はない、成し遂げたものなんて一つもないんですよ」
何故こんな話を自分はしているのだろうかと――
心の奥底で冷静にそう誰かが呟く。
けれども、どうしてかその思いの
「だからその、始まってもないんです……本当に俺……『生きて』ないんですよ。何ていうか、そんなだからまだ終わらせたくないと、そんな風に思ってんです」
今度は鉄仮面の方が黙り込んで何か熟考している素振りだ。
しおらしくなってしまった長谷部は相手を促す事も出来ず、的確に表現できないその気恥ずかしさに耐えていた。
その太い指で自身のメットをコツコツと数度叩いた後、何事かの決心がついたよう長谷部を見遣る向かい側。
「んー、なるほど、なるほど。詰まる所ハセベさんは現世の生に満足してらっしゃらないと、自分の人生をまだ全うしてないと」
「えっと、はい……だと思います」
「何か人生に意義を見出したいと」
「ええ、たぶん……」
「良いでしょう、それならばハセベさん、ここは一つ――」
その時、彼は何かを迎え
「世界を救ってみましょうか」
「……はい?」
後光というものか、そんな眩い光を長谷部は見ていた。
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